2020−2022年 スタッフだより
(出張先からの、企画室から、現場の声をおとどけします!) |
発信者 |
記 事 |
更新日
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平原朋美
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本庄沙織里 |
7月31日(日)延び延びになっていた三浦半島の視察に行ってきました。今回は馬堀海岸駅から浦賀駅まで、近代史跡や景勝地を訪ねて歩きました。江戸湾(東京湾)の防衛ラインであった観音崎には砲台がいくつもありました。三浦半島には近代史跡だけではなく、『鎌倉殿の13人』にも出てくる平安時代〜鎌倉時代の三浦一族の史跡や、江戸時代後期に江戸湾の防護のために動員された会津藩士や川越藩士の墓、幕末の幕府海軍を牽引した人々のお墓など、みどころが非常に多かったです。いずれ写真を公開します。 |
2022.08.02 |
立花誠 |
『鎌倉殿の13人』。源頼朝の元・協力者で問注所の初代執事を務め、13人の合議制に加わった、結構コミカルな役柄の三善康信。小林隆さんが好演しています。昭和54年に放映された、同時代を描いた大河ドラマ『草燃える』では、7月26日に亡くなられた石濱朗さんが三善康信を演じておられました。三善康信は後年『承久の乱』と呼ばれた朝廷との戦を控えた軍議の席に、重病を押して参加し、北条義時・泰時・時房に京都への進撃を促すシーンは今でも印象に残っています。石濱朗さんのご冥福をお祈り致します。 |
2022.07.29 |
平原由美香&
平原朋美 |
『鎌倉殿の13人』。御家人たちを束ねていた源頼朝が亡くなって、いよいよ御家人たちの暗躍が始まります。今日は『鎌倉殿の13人』ゆかりの地めぐり〜鎌倉幕府黎明期の史跡探訪のコース内容の最終チェックを現地で行いました。7月17日(日)は若宮大路の東側、18日(月・祝)は若宮大路の西側を訪れます。

(左)白旗神社/(中)源頼朝墓/(右)ドラマで頼朝の火葬が行われた場所と思しき法華堂の遺跡 |
2022.07.03 |
立花誠 |
【伊豆諸島・南(青ヶ島/ベヨネース列岩/須美寿島/鳥島/孀婦岩)】
4月26日〜4月28日にかけて、めったに見られない伊豆諸島の南部の島々を無寄港クルーズで視察してきました。青ヶ島〜ベヨネース列岩〜須美寿島〜鳥島〜孀婦岩〜神津島〜式根島〜新島〜鵜渡根島〜利島〜伊豆大島を船上から見学する機会を得ました。近々、各島を写真付きで紹介してゆきたいと思います
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<青ヶ島>

・所 属: 東京都青ヶ島村
・面 積: 5.97平方キロメートル
・海岸線長: 9q
・最高標高: 423m
・人 口: 170人
・火山状況: ランクCの活火山。常時観測火山。カルデラ底が地表に露出している。
・島の特徴: 伊豆諸島に属し、有人島としては伊豆諸島最南端となる。 ---------------------------------------------------------------------------
<ベヨネース列岩>

・所 属: 東京都(直轄地)八丈支庁が管轄
・面 積: 0.01平方キロメートル
・海岸線長: 未詳
・最高標高: 11m
・人 口: 0人(無人島)
・火山状況: 明神礁カルデラ(海底カルデラ)のカルデラ縁上に位置する岩礁群
・島の特徴: 伊豆諸島に属し、3つの烏帽子型の大岩礁と小岩礁とで構成される
・島名由来: 弘化3年(1846)フランス海軍コルベットJ・R・バイヨネーズが
発見したことに因む。日本では『ベヨネース』と呼ばれ、それが定着。
別名の『ハロース』は『波浪の巣』から来ており、文字通り波浪の名所。
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・所 属: 東京都(直轄地)八丈支庁が管轄
・面 積: 0.03平方キロメートル
・海岸線長: 未詳
・最高標高: 136m
・人 口: 0人(無人島)
・火山状況: 八丈島と鳥島の間の6つのカルデラの一つスミスカルデラの外輪山
・島の特徴: 伊豆諸島に属し、本島スミス島のほか数個の岩礁が確認されている
・島名由来: 嘉永5〜6年(1853)イギリス軍艦サラワルソン号が発見した直後、
同じイギリスの軍艦ヘーバー号(スミス艦長)が確認し報告したことで
『スミス島』と名付けられた。須美寿とは、スミスに当て字したもの
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・所 属: 東京都(直轄地)八丈支庁が管轄
・面 積: 4.79平方キロメートル
・海岸線長: 6.5q
・最高標高: 394m
・人 口: 0人(無人島)
・火山状況: 第四紀に活発な活動が見られる活火山。直近では、2002年に噴火が
確認されている。されている。明治32年(1902)の噴火では島民
125人が死亡した。昭和14年(1939)の噴火以降、無人島となる。
・島の特徴: 伊豆諸島に属し、二重式成層火山島で、火山活動度ランクAに指定。
・島名由来: 伊豆諸島で、唯一アホウドリの生息地となっていることから鳥島と命名。
・略 歴: 記録に残っている噴火は上記の三回に加え、明治3〜4年(1871)と
平成10年(1998)にもにも噴火している。日本沿岸の太平洋上で
漂流した舟の多くは鳥島に漂着し、土佐のジョン万次郎もそのひとり。
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<孀婦岩>見る角度によって姿を変えるふしぎな孀婦岩


・所 属: 東京都(直轄地)八丈支庁が管轄
・面 積: 0.01平方キロメートル
・海岸線長: 未詳
・最高標高: 99m
・人 口: 0人(無人島)
・火山状況: ランクは未分類ながら活火山。カルデラ式海底火山の外輪山にあたる。
・島の特徴: 伊豆諸島に属し、同諸島の最南端。属する海底火山をケーキに見立てた
場合、孀婦岩はケーキの縁に立てられた一本の蝋燭のような状態という。
2018年の調査により、海鳥や巨大な昆虫のの生息地であることが判明。
・島名由来: 天明8年(17883)二艘のイギリス商船を従えて交易のための渡海
中であったジョン・ミアーズが孀婦岩を発見。旧約聖書の創世記19章
26節に記された、神の指示を守らなかったために塩の柱に変えられた
『ロトの妻』にちなみ 『Lot’s wife』と命名。日本名はそれを意訳した
『やもめ』を意味する『孀婦岩(そうふがん/そうふいわ)』となった。
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2022.07.01
2022.06.29
2022.06.28
2022.06.27
2022.05.06
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立花誠 |
大和朝廷の時代に東国(坂東)開拓の拠点として機能していた香取神宮、鹿島神宮。そして『延喜式神名帳』には記載がないものの『六国史』に記載のある格式の高い『国史見在社」である息栖神社の三社は、古くから東国(坂東)屈指のパワースポットとして信仰されてきました。東国(坂東)の生命線とも云える利根川下流の内海(香取海)の入口に鎮座する三社はいつしか『東国三社』と呼ばれるようになり、江戸時代以降は盛んに三社めぐりが行われたそうです。東国の人々は伊勢神宮参拝の最後にこの三社を訪れていたそうです。パームツアーセンターでは、香取神宮〜息栖神社〜鹿島神宮の順にお参りする東国三社めぐりのプランを企画しています。コースが完成しましたら特設ページをお披露目します。おたのしみに!
【香取】
(左)愛染明王像(渕生稲荷神社、龍田神社、御霊宮)
(中)東の宮=忍男(おしお)神社 (右)西の宮=瞻男(まもりお)神社

【香取神宮】
(左)津宮鳥居河岸(香取神宮の利根川の玄関口)
(中)香取神宮拝殿 (右)要石

【息栖神社】
(左)忍潮井(おしおい)・女甕(めがめ)
(中)忍潮井(おしおい)・男甕(おがめ)/(右)息栖神社の利根川の玄関口

(左)息栖神社の鳥居/(中)息栖神社の境内/(右)天保水滸伝の笹川繁蔵の伝説の残る「力石」

【鹿島神宮】
(左)鹿島神宮の鳥居/(中)鹿島神宮の楼門/(右)鹿島神宮の社殿

(左)鹿島神宮の鹿園/(中)鹿島神宮の要石/(右)御手洗(みたらし)

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2022.04.29
2022.03.24
2022.03.23 |
本庄沙織里
&
本庄久美 |
2月23日に行く予定であった、東京都中央区兜町周辺の視察に行ってきました。証券取引所や証券会社が軒を並べる街として有名ですが、名所旧跡もあるんですよ。兜神社と兜石、銀行発祥の地や渋沢栄一の邸跡などなど。次回以降、写真を掲載してゆきます。また、兜町や茅場町の史跡探訪コースも企画中です。完成しましたらお披露目致します。おたのしみに!

【兜神社】 左から: 兜神社/社殿/兜神社および兜町の名称の由来となったという兜石 22.02.04

【銀行発祥の地】 左から: ツーリストマップ/渋沢栄一や第一国立銀行の説明板/銀行発祥の地プレート 22.02.14

【日枝神社周辺】 左から: 日本橋日枝神社/上野寛永寺末寺・智泉院/智泉院で見かけた石像は山王様?22.02.15

【鎧橋周辺】 左から: 電燈供給発祥の地/鎧橋付近で出会った芸術/源義家に伝説が残る『鎧の渡』跡 22.02.16

【日証館周辺』 左から: 兜町のシンボル東京証券取引所/日証館(渋沢栄一旧宅跡)/郵便発祥の地 22.02.17
兜町や茅場町には、江戸時代以前からの歴史や伝説が刻まれた古刹や由緒ある神社、そして明治〜大正時代に渋沢栄一やその仲間が手掛けた制度や産業の史跡がたくさんあります。ぜひ、歴史の十字路・兜町界隈を歩いてみましょう。
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2022.02.03
2022.02.04
2022.02.14
2022.02.15
2022.02.16
2022.02.17 |
平原由美香
&
平原朋美 |
今月12日には埼玉県深谷市の『論語の里』で渋沢栄一や尾高惇忠ゆかりの地を巡りました。13日には埼玉県飯能市や越生町にて飯能戦争の史跡を巡り、渋沢平九郎の最期の足跡を辿りました。そして本日19日には大河ドラマ【青天を衝け】でも大きな役割を果たした川村恵十郎ゆかりの地と日野の新選組関連史跡を訪れました。武州の農村は幕末維新期にたくさんの人材を世に送り出しました。深谷、飯能、越生、裏高尾そして日野・・・今後、テーマを決めウォーキング・プランを販売してゆきたいと思います。

【深谷】左:青淵由来の碑/中:渋沢栄一の生家『中の家(なかんち)』/右:尾高惇忠の生家
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【飯能】左:天覧山から富士を望む/中:名刹・能仁寺の振武軍の碑/右:飯能戦争で残った店蔵絹甚

【顔振峠】左:振武軍が投宿した家(吾野)/中:顔振峠の平九郎茶屋/右:顔振峠から富士を望む

【黒山】左:渋沢平九郎自決之地/中:全洞院の渋沢平九郎墓/右黒山三滝の男滝(右)と女滝(左)
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【越生】左:渋沢平九郎埋首之碑/中:平九郎が梟首された場所/右:渋沢栄一&尾高惇忠の宿泊の家 |
2021.12.20
2021.12.21
2021.12.22 |
平原由美香
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本庄久美 |
9月1日平原由美香&本庄久美が横浜市中区に点在する各種『発祥の地』やおしゃれなカフェを視察しました。開港の地・横浜には幕末の己丑以来、外国人が異文化を携えて居住を開始し、多くの産業が興り、行政の歴史が刻まれました。ちょっと変わったウォーキング・プランの販売を考えています。 ところで、横浜駅東口付近の「横浜プラザホテル」前に建てられていた『日本ガソリンスタンド発祥の地』が、横浜プラザホテルともども、無くなっていました。ホテルの取り壊しの際に撤去されたのでしょうか?碑の行方をご存知の方はらっしゃいますか?ところでガソリンスタンドといっても、現在のシステムとは異なり、油槽に張ったガソリンを量り売りしていたとのことです。旧・石碑と、新しくなった石碑、両方を見ているだけに、ゆくえが気になります。 |
2021.09.10 |
立花誠 |
現在のところ、海外旅行の販売は、まだまだ先になると思います。国内プランは、奈良県の飛鳥・生駒・吉野郡のコース、紀伊半島の コースの充実を図っています。9月には、大峰山系の東に位置する北山郷を訪れるコースを実施します。今後、『鬼滅の刃』ゆかりの地めぐり、『呪術廻戦』ゆかりの地めぐり、日本の神話や民話を訪ねるテーマ性のある旅等、引き続き順次、発表してゆきます。このようなご時勢ですが、旅行の灯を消さぬよう、スタッフ一同、頑張ってゆく所存です。引き続き宜しくお願い致します。 |
2021.08.25 |
本庄久美 |
大河ドラマ【青天を衝け】で堤真一さん演じた一橋徳川家家老並・近江守平岡円四郎のお墓が池之端の正慶寺にあるらしいとのことでしたが、誤報でした。そのお寺さんにお墓のある平岡家は、円四郎の一族とは別の一族で、幕府陸軍士官の平岡芋作の平岡家であることを確認しました。ところで【青天を衝け】の登場人物ゆかりの地が東京各地の意外な場所にあります。今日は所用で出かけた日本橋で、常盤公園という場所に立ち寄り、渋沢栄一の銅像を見ました。竹橋では徳川慶喜がいた一橋徳川家屋敷跡、千代田区役所敷地内では大隈重信雉子橋邸跡を見ました。ちなみに雉子橋にはかつて雉子橋御門があり、その門外で一橋家用人・中根長十郎が暗殺されています。現在、雉子橋御門はなく、石垣だけが遺されています。 |
2021.07.03 |
本庄久美 |
大河ドラマ【青天を衝け】で堤真一さん演じる一橋徳川家家老並・近江守平岡円四郎が暗殺されました。雨の中、水戸藩士・林忠五郎(丸山敦史さん)と江幡広光(嘉人さん)に斬殺される円四郎。部下の川村恵十郎(波岡一喜さん)が駆けつけ、激闘の末、自らも傷を負いながらも、刺客二人を討ち取ります。円四郎の最後の言葉は【やす(円四郎の奥方=木村佳乃さん】でした。一会桑政権という一橋徳川家と会津藩(京都守護職)と桑名藩(京都所司代)で構成される朝廷工作を目的とした独立政権。その中心にいたのが平岡円四郎でした。会津藩お預かりであった新選組も無関係ではありません。町田啓太さん演じる新選組副長・土方歳三等が池田屋で勤王志士を襲撃し、勤王志士の怒りの矛先が平岡円四郎に向かう描写がありました。活躍した時期が短いため、円四郎の全生涯についての史料は多くはありません。ただ、最近の調べで円四郎のお墓が池之端の正慶寺にあるらしいことが判りました。その向かい側に大正寺があり、円四郎を抜擢した川路聖謨(平田満さん)が眠っています。調査の上、お参りに行きたいと思います。 |
2021.05.31 |
本庄久美 |
大河ドラマ【青天を衝け】に町田啓太さん演じる新選組副長・土方歳三が登場します。本日、所用があって上野の松坂屋に行った折、土方歳三さんが丁稚奉公をしていたという伝説のエピソードを記したパネルを見つけました。後に多摩に帰った歳三さんは、薬の行商などをしながら天然理心流に入門して剣術の稽古を積み、生涯の盟友・近藤勇等とともに、新選組を結成します。松坂屋はもう一つ、戊辰戦争の上野戦争で、彰義隊と対峙する新政府軍の盟主・薩摩藩の陣が敷かれたとされています。薩摩藩は新政府軍の中心となり、西郷隆盛・大久保利通が大活躍しますが、彼等に活躍の場を与えたのは家老の小松帯刀だったとされています。奇しくも町田啓太さんは大河ドラマ【西郷どん】では小松帯刀を演じていました。

左:松坂屋の歳三パネル/中:上野戦争で薩摩藩が布陣した松坂屋/右:広小路から上野のお山を望む |
2021.04.23 |
平原由美香 |
大河ドラマ【青天を衝け】で坂下門外の変が描かれ、老中・安藤信正が襲撃されました。桜田門外の変で大老を殺された幕府は、幕閣に登城の際の警備強化を命じていた為、安藤信正も駕籠周りに厳重な警護を付けていました。ドラマでは岩瀬亮さん演じる安藤信正を、山崎銀之丞さん演じる大橋訥庵の門下生たちが襲撃するまでを丁寧に描いていました。福山翔大さん演じる河野顕三らが襲撃するシーンはリアリティがありました。今回は、谷中霊園にある大橋訥庵のお墓、小塚原回向院にある河野顕三らのお墓をご紹介します。知名度の高くない坂下門外の変ですが、幕府の権威はさらにおちてゆくきっかけとなりました。

左:谷中霊園の大橋訥庵墓/中:安藤の駕籠に訴状を差し出した河本杜太郎墓(小塚原回向院)/右:福山翔大さんが演じた河野顕三墓(小塚原回向院)。実家の姓である甲田が刻まれています。
※桜田門外の変、坂下門外の変、<仮>雉橋門外事件(2021.04.20)
幕末、江戸城周辺で起こった三つの襲撃事件。桜田門外の変では大老・井伊直弼が暗殺され、<仮>雉橋門外事件では、徳川慶喜の側近・中根長十郎(ドラマでは長谷川公彦さんが演じています)が暗殺されました。坂下門外の変は襲撃に失敗し、志士側が全滅するという結末を迎えます。坂下門外の変では、水戸浪士のほか、下野の宇都宮藩の儒学者・大橋訥庵(ドラマでは山崎銀之丞さんが演じています)を中心としたいわゆる草莽の志士たちが暗躍しました。今週は彼等についてのコラムを書きたいと思います。
※坂下門外の変の実行犯〜1〜(2021.04.21)
桜田門外の変で大老・井伊直弼が討たれた後、幕閣を牽引したのは老中・安藤信正でした。彼は老中・久世広周と共に井伊直弼の開国路線を継承するとともに、幕府と朝廷との結びつきを強める為(公武合体)に皇女・和宮を将軍・家茂に降嫁させることに成功しました。ドラマでは磯村勇斗さん演じる徳川家茂と深川麻衣さん演じる和宮の対面がおごそかに描かれましたが、和宮降下は全国の尊王攘夷の志士たちの反感を買い、坂下門外の変に向かうことになります。坂下門外で安藤信正を襲撃した実行犯は6名。そのうち4名が水戸藩浪士で、平山兵介、黒沢五郎、小田彦三郎、高畑総次郎。そして残りの二人が越後の医師・河本杜太郎、下野の医師・河野顕三でした。文久2年(1862)1月15日、午前8時ごろ、彼等は斬奸趣意書を携行し、平藩の藩邸を出て登城する途中の安藤信正を坂下門外で待ち受けていました。
※坂下門外の変の実行犯〜2〜(2021.04.22)
4人の水戸藩浪士のうち、黒沢五郎と高畑総次郎は、英国仮公使館であった高輪の東禅寺で英国公使のオールコックを襲撃する事件に加わっています(第一次東禅寺事件)。黒沢五郎は水戸藩の郷士(郷医で、高畑総次郎は水戸藩の農民出身と伝わっています。どのような経緯で『藩士』になったかは調査中ですが、どちらかというと、ドラマで田辺誠一さん演じる尾高惇忠が語っていた草莽の志士に近い人物であったと考えられます。第一次東禅寺事件を生き延びた二人でしたが、坂下門外の変では命を落としました。 |
2021.04.19
2021.04.20
2021.04.21
2021.04.22 |
平原朋美 |
大河ドラマ【青天を衝け】で桜田門外の変が描かれ、大老・井伊直弼が斃されました。岸谷五朗さん演じる井伊大老が最期に手にしていたのは狂言台本。狂言は能楽師の狂言方が演じ、鼓と関係があります。茶歌鼓(チャカポン)と呼ばれた井伊大老らしい最期が描かれました。【篤姫】では中村梅雀さん演じる井伊大老が篤姫にお茶を点てていました。日本史上屈指の暴君として語られることの多い井伊直弼も時代に翻弄された一人なのかもしれません。安政の大獄の舞台の一つとなった伝馬町牢屋敷跡〜愛宕山〜桜田門〜豪徳寺〜松陰神社〜小塚原回向院を一日で回るコースを企画中です。完成したらアップいたします。

左:伝馬町牢屋敷の石垣/中:橋本左内等が処刑された場所/右:小塚原回向院の橋本左内墓
※徳川慶喜を将軍にするために奔走した橋本左内は伝馬町牢屋敷に投獄され、安政の大獄で処刑されました。大河ドラマでは小池徹平さんが演じていました。小塚原回向院には供養墓が建てられています。

左:愛宕山の桜田烈士の碑/現・憲政記念館は彦根藩邸跡に建つ/右:井伊直弼が暗殺された桜田門
※竹中直人さん演じる徳川斉昭が水戸に帰る駕籠の中で号泣するや、見送る水戸藩士たちは悲憤慷慨。その後一部の水戸藩士たちは脱藩して井伊直弼襲撃を行います。彼等は愛宕山で先勝祈願をしました。

左:豪徳寺の井伊直弼のお墓/中:豪徳寺の桜田殉難八士のお墓/右:小塚原回向院墓地
※世田谷の豪徳寺は井伊家の菩提寺。井伊直弼のお墓の後方には直弼を守るべく戦って亡くなった八士のお墓もあります。小塚原回向院には安政の大獄で亡くなった志士のお墓(右側)と桜田門外の変の桜田烈士のお墓(左側)が向かい合っています。いちばん奥に見えるのは長州藩の志士・吉田松陰のお墓です。右側の墓石群の中には水戸藩志士で安政の大獄に斃れた鵜飼吉左衛門・幸吉父子のお墓もありました。 |
2021.04.12
2021.04.13
2021.04.14 |
本庄沙織里 |
江戸川区の史跡めぐりのリサーチに行ってきました。都営新宿線一之江駅と小松川ランプを結ぶ今井街道(街道の中心から一之江駅側の半分は『はなみずきロード』、小松川側の半分は『しらさぎ通り』)には昔、路面電車が、その後はトロリーバスが走っていました。その名残を今でも少し見ることができます。

左:今井街道の交通史の説明版/中:一之江境川親水公園に残る城東電車の線路/右:トロリーバスの絵
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(その1)葛西→下鎌田
江戸川区の史跡めぐりリサーチ第一弾は、東葛西を出発し、女装した男性が無病息災を祈念して疾走する奇祭『大般若』で知られる雷集落、新川の東端今井水門を通り、東部図書館のある下鎌田集落へのルート上に点在するみどころや風景の写真を紹介します。千本桜で新名所となった新川のほとりに、信者の多い雷不動明王への道標が建っていました。現在、道標は別の場所に移されましたが、その跡地を示す説明版があります。新川は新中川と中川/荒川とを結ぶ運河で、かつてはポンポン船が就航していました。今井の集落には児童交通公園がありましたが、いまは防災公園造成のため東部地区に移転し、撤去が進んでいます。もう一枚は下鎌田の集落に鎮座する五穀豊穣の神様を祀る鎮守の豊田神社でご神木がみごとです。

左:雷集落の雷不動明王石造道標跡/中:今井の児童交通公園跡/右:下鎌田集落の豊田神社
※児童交通公園跡は、見どころではありませんが、記憶にとどめておきたく、掲載しました。
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(その2)妙見島と新川
1.ところで、江戸川区と千葉県浦安市との間を流れる旧江戸川の河口には、東京都23区唯一の自然島である妙見島があります。現在は工場が建ち並んでいますが、住宅もあるようです。この島の最古の記録は貞治元年(1362年。北朝・後光厳天皇/南朝・後村上天皇の治世。室町幕府第二代将軍・足利義詮の治世)のもので、島に妙見堂が建立されたことが記載されています。島の北部には妙見様(星の神様)を祀る妙見神社もあります。新川は旧江戸川と中川とを結ぶ人口の運河で、かつては運搬船が行き交っていました。桜の名所として整備され、江戸川区の施設のひとつ『’新川さくら館』が建っています。

左:旧江戸川と妙見島/中:新川の遊歩道。遠くに火の見櫓/右:新川さくら館
2.天正18年(1590年。後陽成天皇の御代。関白・豊臣秀吉の治世)、徳川家康は豊臣秀吉の命令で江戸に入府し、まもなく運河掘削を開始しました。新川はそうした運河の一つであり、主に行徳塩田の塩を江戸府内に運ぶ上で重要な役割を果たしていました。江戸時代には小型の輸送船である高瀬舟が行き交い、明治維新後は外輪蒸気船『通運丸』がその役割を担いましたが、鉄道網の発達と共に姿を消してゆきました。最後に登場したのが乗合蒸気船『通船』が、浦安〜江東区高橋間に就航、乗客を運びました。

左:高瀬舟/中:通運丸/右:通船。新川の遊歩道に輸送船の模型がありました。 |
2021.03.12
2021.03.15
2021.04.06
2021.04.07 |
平原由美香 |
秘湯とジビエ料理をテーマにしたコースを組もうと、かつて訪れた奥鬼怒温泉郷の写真や史料を見返していました。奥鬼怒温泉郷は、江戸の豪商『佐野屋』の主人で、勤王の志士でもあった菊池教中(きくち・きょうちゅう)が開発したとのことです。菊池教中は、安政の大地震で家財の多くを失い、宇都宮藩に身を寄せて新田開発や温泉の開発に力を尽くしました。文人としても名高く、また、姉婿であった大橋訥庵の影響から、活発な勤王活動も行いました。後に逮捕され、失意のうちに病死しますが、日光沢温泉の史料には彼の功績がが書かれていました。大河ドラマ『青天を衝け』では、満島真之介さん演じる尾高長七郎が、山崎銀之丞さん演じる大橋訥庵と出会うシーンが描かれていました。訥庵の弟子たちはやがて、坂下門外で老中・安藤信正を襲撃することになります。奥鬼怒は景色もよく、温泉も楽しめるので、いずれ、秘湯とジビエのツアーを組んでみたいと思います。 |
2021.03.30 |
平原朋美 |
大河ドラマ『青天を衝け』では渋沢栄一たちが暮らす血洗島と、徳川慶喜公たちが暮らす江戸という、ふたつの舞台が登場し、それぞれの舞台に関わる人物を丁寧に掘り下げています。渋沢栄一と慶喜公は昨日の放送で初めて相まみえました。今週は東京に点在する『青天を衝け』の魅力的な登場人物たちのゆかりの地を紹介してゆきたいと思います。平岡円四郎に関しては史料が乏しく、出生地や墓所がいまのところ確定できていません。今後、折を見て平岡円四郎や周辺人物の足跡を調査してみたいと思います。
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(2021.03.23)
既に一度紹介していますが、渋沢栄一のお墓、徳川慶喜公・美賀子夫人のお墓、一橋徳川家家臣・中根長十郎のお墓の写真です。渋沢栄一のお墓は谷中霊園に、徳川慶喜公・美賀子夫人のお墓は谷中霊園に隣接する寛永寺墓地に、中根長十郎のお墓は千駄木の養源寺にあります。中根長十郎は渋沢栄一と喜作が慶喜公に仕官する前の文久三年、江戸雉橋門外にて暗殺されています。『青天を衝け』では渋沢栄一を吉沢亮さん、慶喜公を草g剛さん、美賀子夫人を川栄李奈さん、中根長十郎を長谷川公彦さんが演じています。

左:渋沢栄一墓/中:徳川慶喜公(左)と美賀子夫人(右)墓/右:中根長十郎墓(千駄木の養源寺)
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(2021.03.24)
今日は幕末に活躍した外国奉行のお墓をご紹介します。いずれも大河ドラマ『青天を衝け』に登場し、活躍を見せている人物です。左の川路聖謨のお墓は台東区池之端の大正寺にあります。ドラマでは平岡円四郎が徳川慶喜公に仕えるきっかけを与える人物として登場。平田満さんが演じています。中の岩瀬忠震のお墓は雑司ヶ谷霊園にあります。安政の五カ国条約締結の際に活躍した人物で、日本を植民地化から守った英雄として最近は評価されています。ドラマでは川口覚さんが演じています。右の永井尚志は海防掛として活躍した人物で、長崎海軍伝習所の総監を務め、動乱の京都で奉行として活躍し、箱館戦争にも従軍しました。ドラマでは中村靖日さんが演じています。能吏三人衆の今後の活躍が楽しみですね。

左:川路聖謨のお墓/中:岩瀬忠震のお墓/右:永井尚志のお墓
(2021.03.25)
ちなみに、川路聖謨には有能な外交官として歴史に名を刻む井上清直がいます。岩瀬忠震とともに諸外国との条約調印に尽力した人物で、町奉行としても業績を残しました。左iは新宿区の宗相寺にある井上清直のお墓です。岩瀬忠震の従兄弟には堀利煕がいます。日露和親条約調印前に樺太と蝦夷地の調査を行いましたが、プロイセンとの条約調印に不都合があったと追及され、自刃しました。樺太と蝦夷地の調査には榎本武揚も同行しています。中は文京区の源覚寺にある堀利煕のお墓。永井尚志は幕府瓦解後に榎本武揚等と蝦夷地に渡り、養子の永井岩之丞とともに新政府に対抗しました。右は永井尚志と養子・永井岩之丞の記念碑で、箱館戦争の戦友たちの碑と共に荒川区南千住の円通寺にあります。

左:井上清直のお墓(宗相寺)/中:堀利煕のお墓(源覚寺)/右:永井父子碑(円通寺)
(2021.03.26)
井上清直のお墓のある宗相寺は、東京メトロ東西線の早稲田駅と神楽坂駅の中ほどにあります。ここでは平将門公一族の供養塔を見ることができます。堀利煕のお墓のある源覚寺は別名『こんにゃく閻魔』として多くの参拝者が訪れます。永井尚志・岩之丞父子の記念碑のある円通寺には、戊辰戦争から箱館戦争までの間、新政府に抵抗した彰義隊や新選組の墓標や慰霊碑が数多くあります。その中で渋沢喜作とともに彰義隊を牽引した天野八郎のお墓があります。喜作は北の戦線に赴きましたが、天野八郎は残った彰義隊を束ね、大村益次郎や江藤新平が組織した新政府軍に激しく抗い、最後は捕縛され、獄死しました。

左:平将門公一族の供養塔(宗相寺)/中:こんにゃく閻魔(源覚寺)/右:天野八郎のお墓(円通寺) |
2021.03.22
2021.03.23
2021.03.24
2021.03.25
2021.03.26 |
平原朋美 |
本庄久美と二人、『鬼滅の刃』の恋柱『甘露寺蜜璃』の聖地のリサーチの再踏査をしてきました。その後で愛宕山〜桜田門〜赤坂まで歩きました。今日は愛宕山周辺で見つけた史跡等を紹介したいと思います。
左は『新聞創刊の地』の碑です。明治7年11月2日に大衆啓発紙読売新聞が発行されたことを祈念する日です。発行者は元大垣藩士で新聞の礎を築いた子安峻です。中は『江藤新平遭難の地』の碑です。元佐賀藩士で黎明期の明治政府で司法卿として辣腕を振るい、後に佐賀の乱をおこして刑死した維新の十傑のひとり江藤新平が、明治2年12月20日に刺客に襲われて重傷を負った地点に建てられています。右は元紀州藩士で勝海舟に海軍を学び、坂本龍馬の海援隊で副長格を勤め、明治政府では外交官として活躍した陸奥宗光の銅像です。幕末、龍馬・慎太郎暗殺の報復として天満屋事件をおこした人物でもあります。

左:溜池・新聞創刊の地の碑/中:江藤新平遭難の地の碑/右:陸奥宗光銅像
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2021.03.18
陸奥宗光銅像を見た後、霞が関から桜田門を経て憲政記念館→国会議事堂→国立劇場→最高裁判所→旧永田町小学校→旧プリンスホテル→麹町中学校(旧安田善次郎邸)→清水谷公園と進みました。左の写真は旧李王家東京邸す。前身は北白川宮能久親王邸でした。親王は還俗前は輪王寺宮といい、旧幕勢力の彰義隊や奥羽越列藩同盟の精神的支柱となった人物です。維新後は赦されて皇族に復帰しました。中の写真は内務卿・大久保利通遭難(紀尾井坂の変)地に建つ哀悼碑です。右の写真は弁慶濠にかかる弁慶橋です。

左:旧北白川宮能久親王&李王家邸跡/中:紀尾井坂の変跡の大久保利通哀悼碑/右:弁慶橋
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2021.03.19
紀尾井坂から弁慶濠に掛かる弁慶橋を渡って赤坂へ。店長・立花は一ツ木通りで生まれ育ちました。昔は八百屋さん、魚屋さん、肉屋さん、乾物屋さん、和菓子屋さん、雑貨屋さん、傘屋さん等が軒を並べていたそうです。TBSを経て氷川地区に向かうと、勝海舟の屋敷跡があります。勝海舟と弟子の坂本龍馬の銅像が建っています。ところで勝海舟も、中岡慎太郎も、龍馬像と並んで建つ銅像はみな座っています。諸説ありますが、龍馬が当時としては長身であったため、つり合いを考えて座らせたのだとか・・・
→ 勝海舟と坂本龍馬の像 |
2021.03.17
2021.03.18
2021.03.19
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立花誠 |
昨日、所用があって久しぶりに中野の風の旅行社に行ってきました。当番のスタッフの人たちと言葉を交わし、良い一日となりました。暫くは国内旅行が主体となりますが、 緊急事態宣言が解除されたら、店舗での業務も再開したいと思います。『鬼滅の刃』ゆかりの地めぐり第三弾では、東京都の大岳山を歩きます。ネパールやペルー、ボリビアなどで山歩きをし、様々な景観を楽しみましたが、日本の山の風景もとても素晴らしいものです。皆さんに喜んでいただけるような商品づくりをしてゆきますので、今後とも宜しくお願い致します。また近々、天誅組や江戸川区の史跡、鬼滅の刃のプランをご紹介いたします。 |
2021.03.16 |
本庄沙織里 |
江戸川区の史跡めぐりのリサーチに行ってきました。都営新宿線一之江駅と小松川ランプを結ぶ今井街道(街道の中心から一之江駅側の半分は『はなみずきロード』、小松川側の半分は『しらさぎ通り』)には昔、路面電車が、その後はトロリーバスが走っていました。その名残を今でも少し見ることができます。

左:今井街道の交通史の説明版/中:一之江境川親水公園に残る城東電車の線路/右:トロリーバスの絵
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(その1)葛西→下鎌田
江戸川区の史跡めぐりリサーチ第一弾は、東葛西を出発し、女装した男性が無病息災を祈念して疾走する奇祭『大般若』で知られる雷集落、新川の東端今井水門を通り、東部図書館のある下鎌田集落へのルート上に点在するみどころや風景の写真を紹介します。千本桜で新名所となった新川のほとりに、信者の多い雷不動明王への道標が建っていました。現在、道標は別の場所に移されましたが、その跡地を示す説明版があります。新川は新中川と中川/荒川とを結ぶ運河で、かつてはポンポン船が就航していました。今井の集落には児童交通公園がありましたが、いまは防災公園造成のため東部地区に移転し、撤去が進んでいます。もう一枚は下鎌田の集落に鎮座する五穀豊穣の神様を祀る鎮守の豊田神社でご神木がみごとです。

左:雷集落の雷不動明王石造道標跡/中:今井の児童交通公園跡/右:下鎌田集落の豊田神社
※児童交通公園跡は、見どころではありませんが、記憶にとどめておきたく、掲載しました。 |
2021.03.12
2021.03.15 |
平原朋美 |
本庄久美と『鬼滅の刃』の恋柱『甘露寺蜜璃』の聖地のリサーチの再踏査をしてきました。麻布台〜東麻布界隈には麻布區の面影が残る場所が、いくつもありました。再リサーチ後に愛宕山〜桜田門〜赤坂まで歩きました。今日は愛宕山の写真をいくつか掲載します。桜田門外の変の桜田烈士の足跡も辿りました。

左:愛宕神社参道/中:撫でると福を招くという石/右:井伊直弼を斃した桜田烈士の碑
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日米修好通商条約の無勅許調印に激怒した孝明天皇が水戸藩に対し、幕府を通さずに直接、幕政改革を命ずる密勅を下しました(戊午の密勅)。水戸藩の前藩主・徳川斉昭は、その戊午の密勅を受理し、更に自身の息子である一橋・徳川慶喜を将軍に推したことで大老・井伊直弼と対立します。斉昭は、大老・井伊直弼によって水戸での永蟄居を命じられ、政治生命を断たれ、海防参与の役目も取り上げられ、有能な家臣たちを大勢、処罰されました(安政の大獄)。この状況に憤った水戸藩士の有志は水戸藩を脱藩し、外桜田門に井伊直弼を襲撃し、これを斃します(桜田門外の変)。水戸浪士たちは襲撃の当日、愛宕山に詣でて戦勝を祈願し、外桜田門に向かったと言われています。井伊直弼の圧政に恐怖していた人々は、水戸浪士たちを桜田烈士(薩摩藩士・有村次左衛門を含む)と呼んで、その行動を義挙として崇めました。

左:彦根藩屋敷跡(憲政記念館)/中:外桜田門/右:皇居のお濠と桜田門の説明版 |
2021.03.092021.03.10 |
立花誠 |
新型コロナウイルス禍が全世界を席捲する直前、いまのところ最後に訪れたのはアセンション島とセントヘレナ島でした。そろそろ一年が経とうとしています。その間、日本国内の素晴らしさ、奥深さに改めて向き合うことが出来ました。コロナ禍の時だからこそできることをスタッフ一同で考えています。もちろん、旅行以外の仕事もしていますが、異業種の人たちと旅行の話をすると、今まで知らなかった情報を得ることもでき、毎日のように刺激を受けています。『鬼滅の刃』のアニメの続編も放映が決まり、元忍の音柱・宇随天元一家が活躍するそうですが、忍の文化に触れる旅なども企画したいと思います。 |
2021.03.08 |
本庄久美 |
先週末、上野に行ってきました。人気テレビ番組の『世界ふしぎ発見!』で紹介されたみどころのうちの幾つかを見学しました。一日では見切れないほど、たくさんの観光地があります。上野戦争で戦った『西郷隆盛』の銅像と『彰義隊』の碑、『上野戦争を指揮した大村益次郎』が不平士族に襲われた際に右脚切断の手術をした『ボードワン博士』は上野戦争後に荒廃した上野のお山を公園にすることを提案した恩人として胸像が建てられています。上野戦争前には寛永寺大慈院に将軍・徳川慶喜が謹慎していました。東京国立博物館に移築された黒門の最後の持ち主であった池田慶徳は慶喜の兄。歴史の不思議を感じます。

左:西郷隆盛の銅像/中:彰義隊の碑/右:寛永寺黒門跡(大村益次郎の命で西郷ら薩摩軍が布陣)

左:大村を治療したボードワン像/中:弟・将軍慶喜が謹慎した寛永寺/右:兄・池田慶徳の屋敷の門
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→ こちらは荒川区南千住の円通寺にて保存された黒門
【慶応ひそひそ噂話】
※黒門は城でいう大手門。最も激戦地となると見られていました。長州藩士で軍防事務局判事加勢であった大村益次郎は、薩摩藩に黒門を攻略するように命じました。その時、大村は西郷どんに、死を賭して戦えと言ったとされますが、実際は華々しい戦いになる黒門攻略を、多くの藩が志願したという説もあります。午後二時過ぎまでは一進一退の攻防となったようですが、世界に比肩する先進国の肥前佐賀藩のアームストロング砲が上野のお山に撃ち込まれ、彰義隊は四散しました。上野戦争の前までは、彰義隊の首脳に渋沢成一郎がいました。大河ドラマ『青天を衝け』で高良健吾さんが演じている渋沢喜作その人です。
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昨年の夏、谷中方面を探訪していた際、谷中霊園と寛永寺墓地で、徳川慶喜公と渋沢栄一主従のお墓にお詣りしました。慶喜公のお墓は、徳川歴代将軍の中で唯一、神式で築かれています。右隣りには美賀子夫人のお墓があります。『青天を衝け』では慶喜公を草g剛さん、美賀子夫人を川栄李奈さんが演じます。 |
2021.03.01
2021.03.02
2021.03.03 |
立花誠 |
奈良県に行ってきました。最近は、東吉野、生駒に行く機会が多いです。 東吉野は天誅組首脳の終焉の地であり、生駒は皇祖の神話の宝庫です。もう一つ、新しい発見がありました。奈良県の山間部では、地元のジビエを提供する飲食店や宿泊施設が増えてきました。温泉もありますし、歴史の舞台や神話のふるさとを見て、温泉に浸かり、ジビエに舌鼓を打つといった楽しみ方もできます。今後、東吉野村のさらに奥に位置する川上村、上北山村、下北山村、五條市、十津川村などの旅も企画してゆきたいと思います。

(左・中)生駒の旅館でいただいたぼたん鍋と鹿の唐揚げ/(右)吉野山の旅館でいただいたうな丼 |
2021.02.25 |
平原朋美 |
新大河ドラマ『青天を衝け』が始まりましたね。埼玉県深谷市や、北区王子、京都ほか、主人公・渋沢栄一や従兄弟の渋沢喜作の足跡を辿るプランを企画しています。農民から草莽の志士、幕臣、そして維新後は経済界の重鎮となった渋沢栄一の数奇な人生を辿ってみたいと思います。同時進行で製作中の天誅組関連のプランがありますが、八月十八日の政変がもう少し遅れていたら、渋沢栄一も天誅組に関わっていたかもしれません。ちなみに同じく同時進行で製作中の鬼滅の刃関連のプランがありますが、渋沢栄一は鬼滅の刃の物語が展開されている時代も活躍していました。彼の終焉の地は、胡蝶しのぶ出生地近くです。 |
2021.02.15 |
平原由美香 |
『鬼滅の刃』で活躍する鬼殺隊・水柱・冨岡義勇の生誕祭( 2月8日)、冨岡義勇の誕生地に設定されている旧・野方村に行きました。中野区上高田の古刹めぐりをしていた際、源通寺に立ち寄りました。幕末から明治期に活躍した歌舞伎狂言作者・河竹黙阿弥のお墓がありました。次回以降、コースに入れます。

左: 源通寺 / 中: 河竹黙阿弥墓所の説明版 / 右: 河竹黙阿弥墓
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ちなみに上高田四丁目には、忠臣蔵の敵役・吉良上野介義央、町奴・幡随院長兵衛を暗殺した旗本奴・水野十郎左衛門成之のお墓のある萬昌院功雲寺、万延遣米使節団の正使・新見豊前守正興のお墓のある願正寺があります。こちらも次回以降、コースに入れようと思います。

左:水野十郎左衛門墓(功雲寺)/中:吉良上野介墓(功雲寺)/右:新見正興墓(願正寺) |
2021.02.092021.02.12 |
平原由美香 |
奈良県のM.W.様に、奈良県の天誅組関連史跡の写真を頂きました。高取町、吉野町ほかを訪れたそうです。現在、製作中の天誅組写真館(仮名)にも掲載しますが、今回、ちょっとだけ紹介したいと思います。軽挙か維新の魁か、意見が分かれますが、地元の方たちは大切に彼等の史跡やお墓を守っています。

左:鳥ヶ峰古戦場(高取町)/中:高取城跡一升坂(高取町)/右:藤本鉄石碑(吉野・如意輪寺)
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今日は桜井市に残る天誅組の史跡やお墓です。市内の来迎寺にはかつて、巨大な松の木がありました。この地で戦死した前田繁馬と関為之助の首級を枝に吊るしたと言われています。二人のお墓は慈恩寺の共同墓地にあります。また、倉橋池の近くの雀塚という古墳の上に、楠目清馬のお墓が残っています。

左:来迎寺の天誅松址(桜井市街)/中:前田繁馬・関為之助墓(慈恩寺)/右:楠目清馬墓(倉橋)
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本日はパームツアーセンターのスタッフが今まで訪れた天誅組関連史跡です。十津川村には天誅組上野地本陣跡の碑があります。天誅組は十津川郷士を味方につけ、高取城を攻略しようとしましたが、失敗しました。奈良と大阪の県境にある磐船神社には、南山踏雲録を著した伴林光平の辞世の句碑があります。
左:十津川の山々(十津川村)/中:天誅組上野地本陣跡(十津川村)/右:磐船神社・伴林光平碑 |
2021.01.25
2021.01.26
2021.01.27 |
平原由美香 |
奈良県のM.W.様より冬の奈良の景色の写真を頂きました。高見山、吉野山、高取城を歩いたそうです。いずれも現在企画中の天誅組の史跡めぐりに欠かせない場所ばかり。天誅組写真館?のページもあと少しで完成です。ちなみに高見山は2月頃、吉野は桜の季節、高取城は新緑・紅葉の時期がベストだそうです。

左:霧氷で有名な高見山(東吉野)/中:後醍醐天皇陵(吉野・如意輪寺)/右:高取城跡(高取町) |
2021.01.13 |
立花誠 |
明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い致します
2月8日の『鬼滅の刃・水柱・冨岡義勇誕生地めぐり』より、本格的に始動します。
主人公・竈門炭治郎が大岩を斬ったシーンを彷彿とさせる『一刀石』の写真を掲載します。
柳生にある一刀石と天乃石立神社の写真掲載で悪鬼(コロナ)滅殺を祈念したいと思います。

左: 炭治郎が斬った岩を彷彿とさせる一刀石 / 中・右: 天乃石立神社の磐座(いわくら)群 |
2021.01.12 |
本庄沙織里 |
各方面のお問合せは随時、お受けしますのでご連絡をお待ちしております。
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