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美しき東欧/中欧シリーズ
2018年09月15日(土)出発

ヨーロッパの異色の国々
ベラルーシ 6日間
成田空港発着 トルコ航空利用
ここがポイント!

■美しき東欧/中欧シリーズ■

ヨーロッパの異色の国々
 ★ ベラルーシ


◆ベラルーシ◆
 ソ連が崩壊し、すでに27年の歳月が流れました。ソ連を構成していた15の国々は、
 それぞれが独立国として新しい道を歩み始めました。
 
 ベラルーシ共和国は、東ヨーロッパに位置する共和制国家で、東はロシア、南は
 ウクライナ、西はポーランド、北西はリトアニアおよびラトビアと国境を接して
 います。世界最北の内陸国として知られています。日本語では「白ロシア」とも
 呼ばれています。「白ロシア」の「ロシア」は、国家のロシアのことではなく、
 「白い民族衣装を着るルーシ族」という意味と言われています(諸説あり)です。
 ソビエト連邦が崩壊する前に事実上、独立した国で、ベラルーシとウクライナは
 ソ連時代からソ連とは別に国際連合に加盟していました。

 古くはスラブ族が6〜8世紀にこの地に移住したと言われていましたが、近年、
 研究により、古代からスラブ族が居住していたという説が有力になっています。
 9世紀、キエフ・ルーシの一部であったポロツク公国が、ベラルーシ発祥地と
 考えられています。ポロツクはバルト海と黒海とを結ぶ交易の要衝として栄え、
 10〜11世紀にはその版図を拡大し、キエフ・ルーシや、ノヴゴロド公国と
 争うようになりました。10世紀末には南部にトゥーロフ公国が成立しました。
 12世紀〜13世紀前半には10ほどの公国による群雄割拠の時代を迎えると
 同時に、ベラルーシ人のナショナリズムが高揚し、団結してドイツ騎士団や、
 モンゴル帝国と戦いました。
 13世紀までには現在のベラルーシ地域に点在していた公国は、ひとつ残らず
 ベラルーシ人により統治されていた『リトアニア大公国』に併合されました。
 1385年(日本では南朝が元中2年。後亀山天皇の御代/北朝が至徳2年。
 後小松天皇の御代。室町幕府第三代将軍・足利義満の治世)クレヴォの合同に
 より、『ポーランド・リトアニア合同』が成立すると、リトアニア大公国にも、
 ポーランド化の波が押し寄せ、ベラルーシ地域も例外ではありませんでした。
 1569年(日本は永禄12年。正親町天皇の御代。室町幕府第十五代将軍・
 足利義昭/執政・織田信長の治世)には『ポーランド・リトアニア共和国』が
 成立すると、貴族階級を中心に、さらなるポーランド化に拍車がかかります。
 ポーランド化は、1795年(日本では寛政7年。光格天皇の御代。江戸幕府
 第十一代将軍・徳川家斉の治世)までに三度のポーランド分割により、現在の
 ベラルーシ地域がロシア帝国に併合されるまで続いたと考えられています。
 ロシア帝国支配下にあった1830年(日本は文政13年。仁孝天皇の御代。
 江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)11月に、ポーランド・リトアニア
 共和国はロシア帝国に対し、『十一月大蜂起』を起こしますが鎮圧され、貴族
 階級や富裕層は、ヨーロッパやアメリカへと亡命(大亡命)してゆきました。
 民主ポーランドの志士たちは、1863年(日本は文久3年。孝明天皇の御代。
 江戸幕府第十四代将軍・徳川家茂/将軍後見職・徳川慶喜の治世)の1月に、
 『一月蜂起』を起こします。これもまた、ロシア帝国に鎮圧されますが、貴族、
 富裕層、そして中産階級は亡命を余儀なくされるか、あるいは家財を没収され
 農地に追いやられました。
 1917年(大正6年)ロシア革命が勃発。第一次世界大戦の間、ベラルーシ
 地域を占領していたドイツが、敗戦により撤退すると、翌年、ベラルーシ人民
 共和国が成立。これはベラルーシが史上初の独立を果たしたことを意味します。
 1919年(大正8年)ソビエト連邦に編入された為、この独立ベラルーシは
 短命に終わり、『白ロシア・ソビエト社会主義共和国』が成立しました。
 1922年(大正11年)にソビエト社会主義共和国連邦に加盟しましたが、
 この頃に勃発したポーランドVSソビエト連邦戦争の結果、リガ条約によって
 ベラルーシの西半分がポーランドに割譲されました。
 1939年(昭和14年)9月、第二次世界大戦が勃発、ソビエト連邦軍は、
 ポーランドに侵攻し、ポーランドの東半分を占領、リガ条約により割譲された
 領土を白ロシアに編入しました。
 1941年(昭和16年)ドイツが白ロシアに侵攻し、ブレストもミンスクも
 陥落しますが、1944年(昭和19年)にはソビエト連邦に復帰しました。
 白ロシアを舞台に繰り広げられたナチス・ドイツとソビエト連邦との戦いは、
 『ベラルーシ作戦』として歴史に名を残しています。
 1945年(昭和20年)に第二次世界大戦が終結。ポツダム会談でソ連及び
 ポーランドの国境が西に移動し、白ロシア全体がソビエト連邦領ベラルーシと
 なりました。その際、ポーランド系の住民は西方に追放され、白ロシア内には
 ポーランド時代に家系がポーランド家せずにルーシ人だった者と、19世紀に
 ロシアから移住した東欧ユダヤ系、その混血だけが暮らす場所になりました。
 そして、ロシアからロシア人が大量に移住してくるようになります。
 1986年(昭和61年)4月26日、白ロシアに隣接するウクライナ最北部、
 チェルノブイリ原子力発電所事故が発生。南東部のホミェリ(ゴメリ)州等に
 甚大な被害をもたらしました。 
 1990年(平成2年。ソ連崩壊の前年)7月27日に独立宣言、1991年
 8月25日に白ロシア・ソビエトベラルーシは独立します。
 ちなみに白ロシアの『白』は、中国の五行思想、すなわち方角を色で表現する
 習慣から来ているという説もあります。不思議に思われるかもしれませんが、
 ベラルーシ等ルーシの人々が13〜16世紀に、モンゴルの支配を受けていた
 時代(タタールのくびき時代)にモンゴルが、中国から得た治世の知識として、
 五行思想を持ち込みました。冒頭で述べた白い民族衣装を着たルーシの人々が
 暮らすというのは、後付けなのかもしれません。

 今回はベラルーシの入門編。
 首都ミンスクと、第二次世界大戦の業火の中でナチス・ドイツとソ連が地域の
 覇権を賭けて激戦を繰り広げたブレストの二か所を訪れます。


ミンスク: 
 ミンスクはベラルーシ共和国の首都で、ベラルーシの中心部に位置しています。
 ソビエト連邦崩壊後に独立した国々12か国によって構成される独立国家共同体
 本部が置かれていることで知られています。ドニエプル川の支流であるベレジナ
 川、そのまた支流であるシヴィスワチ川とニアミハ川の川畔に位置しています。
 トラクター等の車両工業が盛んです。第二次世界大戦ではナチス・ドイツにより
 壊滅的なダメージを蒙り、市民は東方に脱出、その後、パルチザンの志士たちが
 壮絶な抵抗を続け、ソビエト連邦はミンスクに『英雄都市』の称号を与えました。
 戦後、ミンスク市街は復興しましたが、昔の面影のない、無機質で社会主義的な
 街づくりが行われました。ミンスクに昔の面影を戻るのは、トラエツカヤ旧市街
 復元を待たねばなりませんでした。


ブレスト: 
 ブレストはベラルーシとポーランドとの国境に位置する町で、1941年6月
 22日、ソビエト連邦に侵攻を開始したナチス・ドイツ軍は、三手に分かれて
 この町になだれ込み、瞬く間に町の9割が破壊されました。ナチス・ドイツの
 侵攻から約1ヶ月で現在の首都ミンスクも陥落し、現在のロシア西方にある町
 スモレンスクが攻撃を受けてもなお、包囲するナチス・ドイツ軍に激しく抵抗、
 ついに落城した『英雄要塞』ことブレスト要塞や復元された市街地があります。


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ロシア、ウクライナ、モルドバ、ポーランドなど、周辺国との組み合わせの旅も
 アレンジ可能です。まずはお問い合わせ下さい!



推奨モデルプラン(手配旅行です)
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<01日目>09月15日(土)
■行程: 成田空港⇒
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: トルコ航空で空路、イスタンブールへ。
 TK−053 成田空港    22:30⇒イスタンブール 04:40 翌
・・宿泊: 機内泊
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<02日目>09月16日(日)
■行程: ⇒イスタンブール⇒ミンスク
・・手続: (安全検査)
※移動: トルコ航空で空路、ベラルーシの首都ミンスクへ。
 TK−283 イスタンブール 13:00⇒ミンスク 15:25
・・手続: 入国〜受託手荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*送迎: 専用車で空港から夕食、その後ホテルにご案内致します。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: ホテル・ミンスク(スタンダード部屋)または同等
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<03日目>09月17日(月)
■行程: ミンスク
*朝食: ホテル
*観光: 終日、ブレストを観光します。
 ◎
ブレスト要塞
  第二次世界大戦の業火の中の1941年(日本は昭和16年)6月22日、
  ナチス・ドイツ軍がソビエト連邦に対する侵攻を開始した際、最初に攻撃を
  受けたのがブレスト要塞です。ヒトラーの『バルバロッサ作戦』と呼ばれる
  この作戦は、ブレスト要塞はあっけなく落城する、という予測で成り立って
  いましたが、ソビエト軍の抵抗はすさまじく、要塞を完全に包囲されながら
  一か月以上の籠城戦を戦い抜き、ナチス・ドイツの肝胆を寒からしめ、遂に
  全滅しました。ソビエト軍はこの要塞の籠城戦の間に、ナチス・ドイツ軍と
  戦う準備を進めることができました。戦後、クレムリンは、ブレスト要塞の
  物故戦士たちに哀悼の意を表し『英雄要塞』と名付けました。ブレスト要塞
  内部には数多くの史跡が残されています。要塞の『正門』、『勇敢の像』、
  『永遠の炎』、『水を汲む兵士の像』、『物故戦士のメモリアルプレート』、
  無数の弾痕が激戦を伝える『ホルムスク門』等を見学することができます。
 ●
ブレスト駅: (外観見学。撮影は基本的に禁止ですが、確認を)
  ベラルーシ最西端の国際駅で、ミンスクから来た列車はブレスト駅を経由し、
  ポーランドへ続いています。旧ソ連とポーランドの間は線路の幅が違います。
 〇
ソヴェツカヤ通り
  第二次世界大戦後、ブレストの街は、要塞から離れた場所に再建されました。
  まるで公園のようなソヴェツカヤ通りには飲食店や商店が建ち並んでいます。
*昼食: ローカル・レストラン
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホテル・ミンスク(スタンダード部屋)または同等
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<04日目>09月18日(火)
■行程: ミンスク
*朝食: ホテル
*観光: 半日、ミンスク市内ミニ観光
 〇
勝利の塔
  高さ38mの勝利の塔はミンスクのランドマークのひとつです。祖国解放の
  ために戦い、命を捧げたソビエト将兵を哀悼するために建てられた塔です。
 〇
英雄都市記念碑
  マシェロフ大通りを北上すると見えてくる巨大な塔。これが英雄都市記念碑。
  記念碑の隣にトランペットを掲げる女神像が建ち、街の象徴になっています。
 〇
オペラ・バレエ劇場(外観):
  高価な大理石を建材としてふんだんに使った贅沢な劇場で、ベラルーシでも
  屈指の格式を誇っています。オペラは飛込で観劇できる可能性があります。
 〇
精霊大聖堂
  1642年(日本では寛永19年。女性の明正天皇の御代。江戸幕府第三代
  将軍・徳川家光の治世)、ベルナルディン修道院の付属教会として建てられ、
  1852年(嘉永4〜5年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十二代将軍・徳川
  家慶の治世)にロシア正教に押収。これはベラルーシが帝政ロシアの領土に
  なったためです。『奇跡の聖母子』をはじめとする多数のイコンが寺宝です。
 〇
聖シモン・聖エレーナ教会
  ネザヴィーシモスチ広場の近くに建つ赤レンガづくりのカトリック教会です。
  長崎の浦上天主堂から贈られた鐘が、教会堂の外に碑として祀られています。
 〇
トラエツカヤ旧市街(復元された旧市街)
  第二次世界大戦で灰燼と化したトラエツカヤ旧市街は、1980年代、学生
  ボランティアを中心とする復興チームによって、戦前の商家や住宅地の姿に
  復元されています。ソビエト連邦の時代の雰囲気をいまだに持ち続けている
  ミンスクにあって、この場所だけは別の時間が流れているような雰囲気です。
  トラエツカヤを歩くと、お土産屋さん、民芸品店、カフェ等に出くわします。
*昼食: トラエツカヤのカフェ(予定)
*観光: 午後、ミール地方の観光に行きます。
 ◎ミール城【世界文化遺産「ミール地方の城と関連建物群」】
  ミール地方にはミンスクとブレストとを結ぶ街道を中心に点在する古城群が
  あります。ミール城はそうした古城のひとつで、16世紀からの歴史があり、
  ルネサンス様式やゴシック様式で建てられた美しい城です。17〜18世紀、
  戦火により破壊され、1812年(文化9年。光格天皇の御代。江戸幕府第
  十一代将軍・徳川家斉の治世)に再建されましたが、第二次世界大戦でも、
  被害を蒙りました。1938年(日本は昭和13年)最後の城主ニコライ・
  ミール公が亡くなると、国有財産となり、現在、宿や資料館になっています。
  高い城壁や堅固な見張塔が印象的な豪壮建築で当時の公の生活が偲ばれます。
 ◎
ネスヴィジ城【世界文化遺産】
  1533年(日本は天文2年。後奈良天皇の御代。室町幕府第十二代将軍・
  足利義晴の治世)に竣工、16〜19世紀は貴族ラジヴィウ家の居城でした。
 ●
ミール地方の景観
  ミール地方は、ミンスクとブレストを結ぶだけでなく、文化や交易の幹線で
  あったため様々な人が行き交いました。そんなミール地方を車窓からみます。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホテル・ミンスク(スタンダード部屋)または同等
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<05日目>09月19日(水)
■行程: ミンスク⇒イスタンブール⇒
*朝食: ホテル
・・自由: 午前、自由行動。
*送迎: 専用車でホテルから空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: トルコ航空で空路、イスタンブールへ。
 TK−284 ミンスク 16:20⇒イスタンブール 18:55
・・手続: (安全検査)
・・宿泊: 機内泊
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<08日目>08月15日(土)
■行程: ⇒イスタンブール⇒東京/成田空港
※移動: トルコ航空で空路、成田空港へ。
 TK−052 イスタンブール 01:40⇒成田空港    19:10
・・帰国
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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
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 2018年09月15日(土)出発
 成田空港出発 トルコ航空利用
 このコースには添乗員が同行し、お世話致します。
 


<最少催行人員: 1名様から催行。定員6名様。添乗員が同行します>


★添乗員が同行する場合★
 ◆2018年09月15日(土)
人数 ご旅行代金 航空券代 合計
1名様でご参加の場合 お問合せ下さい ご旅行代金に含まれます お問合せ下さい
2名様でご参加の場合 お問合せ下さい ご旅行代金に含まれます お問合せ下さい
3名様でご参加の場合 お問合せ下さい ご旅行代金に含まれます お問合せ下さい
4名様でご参加の場合 お問合せ下さい ご旅行代金に含まれます お問合せ下さい
5名様でご参加の場合 お問合せ下さい ご旅行代金に含まれます お問合せ下さい
6名様でご参加の場合 お問合せ下さい ご旅行代金に含まれます お問合せ下さい
 シングル部屋追加料金 お問合せ下さい

●お申込期間: 出発の3週間前までにお申込下さい



●旅行条件

<ご旅行代金に含まれるもの>
 *車 両: ベラルーシ 全行程専用車
 *宿 泊: 各地の3★クラス以上のホテル スタンダード部屋
   ミンスク  ホテル・ミンスク(スタンダード部屋)または同等
 *食 事: 朝食3回/昼食2回/夕食3回
 *観光費: ◎(入場の箇所)の入場・拝観料/英語ガイド・運転手諸費用
 *税 金: 宿泊税/観光税
 *添乗費: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/入場・拝観料/通信費/他経費

<ご旅行代金に
含まれないもの>
 ・食 費: お飲物、明記されないお食事、ルームサービスやミニバー
 ・チップ: ガイド・運転手・お部屋のハウスキーパー・レストランへの心付
 ・入出国: 入出国税が課せられる場合、その入出国税
 ・通信費: 現地でご利用になる通信費(電話・FAX・ネット)
 ・航空券: 飛行機代として別途算出してございます。
 ・個人費: ホテルの有料サービス(ミニバー、ルームサービス、有料施設等)


●旅券(パスポート)/査証(ビザ)
 ・・旅券: 帰国時に6カ月以上の残存有効期間と未使用の査証欄が3ページ以上、必要です。
 ・・査証: 日本国籍のお客様は査証は不要です。日本国籍以外のお客様はご相談下さい。



  


電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで
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