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★西アフリカの知られざる国々シリーズ★
カボベルデ 05日間
西アフリカに、不思議な国があります。
アフリカ大陸の沖合に浮かぶ、最果てのアフリカである島国カボベルデ。
15世紀までは無人であった旅情あふれる美しいサンチアゴ島と石畳の首都プライア・・・
この旅では奴隷貿易の拠点となったガンビアと、船で新世界に送られる奴隷が最後に立ち寄った航海の中継点カボベルデを訪れます。
≪カボベルデの紹介≫
アフリカに島国はいくつあるでしょう。
大西洋とアフリカ大陸の両方に領土を持つ赤道ギニア、ギニア=ビサウ、ケニア、タンザニア、モザンビーク、南アフリカなどは除外するとして・・・
領土の周囲をすべて海に囲まれた国は・・・マダガスカル、モーリシャス、セイシェル、コモロ、サントメ=プリンシペそしてカボベルデ。以上の六カ国が正解です。
今回訪れるカボベルデは、大西洋上に点在するバルラヴェント諸島とソタヴェント諸島からなる島国で、アフリカ大陸の西の沖合いのマカロネシアに位置しています。
北にはスペインのカナリア諸島、南にはかなり離れて英国領のセントヘレナ島やアセンション島があります。
この島は1456年(日本では康正2年。後花園天皇の御代。室町8代将軍・足利義政の治世。太田道灌が江戸城を築く前年)、そして1460年(日本では長禄4年。同じく後花園天皇の御代で8代将軍・足利義政の治世)にポルトガル人の冒険家た来たときはまだ、無人であったと言われています。
その後、1462年(日本では寛正3年。後花園天皇の御代から後土御門天皇の御代に。室町幕府は8代将軍・足利好間瀬の治世)からポルトガル人による植民がはじまり、リベイラ・グランデ(いまのシダーデ・ベーリャ)にヨーロッパに於ける熱帯で初めての植民地の基礎が築かれました。
その後の奴隷貿易の時代には、アフリカ大陸と南米とを結ぶ海上の中継点として栄えました。このポルトガル領時代は、1975年(日本では昭和50年)7月5日まで続き、独立しました。首都はサンチアゴ島のプライアに置かれています。
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<観光のみどころ>
シダーデ・ベーリャ: 世界文化遺産。
1462年よりポルトガル人による植民が進み、ヨーロッパに於ける熱帯で初めての
植民地となった。古くはリベイラ・グランデと呼ばれていたが、やがて他の島の
同名の街と区別するため、シダーデ・ベーリャと呼ばれるようになった。
1770年(日本では江戸時代の明和7年。歴史上最後の女帝である後桜町天皇から
後桃園天皇へと御代が移り、江戸幕府10代将軍・徳川家治の治世)にプライアへの
遷都で首都でなくなるまで、カボベルデの重要な拠点として栄えた。
世界文化遺産に登録される基準となった史跡は、奴隷を行きながら獄門にかけた
獄門台 (Pelourinho) とレアル・デ・サン・フィリペ要塞。要塞からはかつては首都で
あったシダーデ・ベーリャの全貌が見られる。
サンチアゴ島の景観:
サンチアゴ島は、櫛の歯のような山々や、折り重なるような山と谷の景観がみごと。
荒涼とした大地や、緑あふれる山地など、小さな島ながら、絶景が楽しめる。また
タラファルの海岸は、風光明美な海岸として知られている。
首都プライア:
1770年にシダーデ・ベーリャから遷都されて以来、カボベルデの中心として栄えて
いる。坂の多い街で、石畳の道と、ポルトガル(南欧)風の建物が近世の景観を醸し
出している。ポルトガル料理を出すレストランなどもわずかながら、ある。

<カボベルデ写真: (左)シダーデ・ベーリャ/(右)タラファル海岸>
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