コートジボワール 西アフリカのギニア湾岸(大西洋岸)に位置する共和制国家。 北にブルキナファソにマリ、東にガーナ、西にギニアにリベリアと国境を接しています。 かつては“象牙海岸”と呼ばれていました。 EXPO’70に出展した際の公式ガイドブックにも“象牙海岸”とあります。 統一言語であり、公用語であるフランス語での国名表記を全世界に要請しました。 それ以降“コートジボワール”が定着しています。 初代大統領フェリックス・ウフェ・ボワニが強力な独裁政権を打ち立てました。 そしてウフェ・ボワニによって高度経済成長の時代を迎え、安定した長期政権下、 “イボワールの奇跡”あるいは“アフリカの日本”と呼ばれるまでになります。 ウフェ・ボワニの失脚後、この国は政情不安や民族対立が激化します。 二度の内戦により、国が二分される寸前までいったことは記憶に新しいです。 停戦がなされ、念願のツアー再開となりました。 今回の旅では、コートジボワールの旧都アビジャンや、北部のコロゴを訪れます。 多様な民族が暮らすこの国は、たいへん貴重な生きた民俗資料の宝庫です。 アビジャン: アビジャン ABIDJAN は、コートジボワール南部に位置する同国最大の都市で、 ギニア湾に面しています。 もともと、この土地は、エブリエ部族のビジャン人の村でしたが、1893年、 フランス領コートジボワールの成立後、当時の首都グラン・バッサムから首都 機能を移すにあたり、フランス人が調査をした結果、交通や交易の要衝となる この地に目をつけ、先住民を駆逐した上で“ビジャンの土地”を意味するこの 地〜広域アビジャンを建設し、その一部であるバンジェルヴィル市への遷都と なりました。 1934年7月1日には、さらにアビジャン市への遷都が行われました。 1904年、アビジャンからニジェールのニアメ(どちらも旧フランス領)を つなぐ鉄道の建設が始まりました。しかし、工事は難航し、1954年に隣国 オートボルタ(現ブルキナファソ)の首都ワガドゥグまで延びたところで終了 しました。また、1950年7月に運河の建設が終わり、アビジャン港が開港 となりました。ココア産業等の拡大により高度経済成長時代を迎え、同国は、 “イボワールの奇跡”や“アフリカの日本”という称賛を得ました。首都が、 ヤムスクロにうつされた後も、アビジャンは重要都市であることは変わらず、 行政・経済の中心的役割を果たしています。 アジャメ: アジャメは広域アビジャンを形成する、エブリエ潟を囲む衛星都市の一つです。 日本で言う下町で、交通の要衝という意味です。街は巨大な市場のようです。 バンコの森 PARC NATIONAL DU BANCO: アビジャンに来たら、ぜひ、訪れたいのがバンコの森です。ここはもともと、 手つかずの熱帯雨林だった場所で、緑と水にあふれており、アビジャン周辺の 水源地となっています。かつての首都圏に、山手線の内側の半分ほどの規模の 自然公園があるというのが不思議ですが、フランス人植民者が自邸と狩猟場と して確保したと言います。森にはカメレオンやヘビがいますが、奥に入ると、 チンパンジーが暮らす場所があるとか。いまではほとんどの大型動物は森から 姿を消しましたが、うっそうと繁った森には貴重な植物がたくさん見られます。 同国で人気ミネラルウォーター“AWA”はここの渓流の源流の水です。 マン MAN: マンは、コートジボワール西部のモンタグネス地方を構成する、トンキピ州の 中心都市です。モンタグネス地方は、コートジボワールの隣国のギニア共和国、 リベリア共和国の国境線に接しており、平坦な土地が多いコートジボワールに 於いて珍しく山がちな土地です。2011年より以前は、十八山州と呼ばれて いました。山や滝のある変化に富んだ地形は人気を集め、内戦以前には主要な 観光地の一つでした。内戦終結後、再び観光客の誘致が始まっています。なお、 周辺はコートジボワールの主要産物のカカオやコーヒーの生産が盛んで、また 内戦以前のように、米、キャッサバの栽培も再開されています。 ヤクバの村 YACOUBA: コートジボワールには6つの語系に分けられる、63もの民族グループがあり、 その一つ、ニジェール・コンゴ語族マンデ語派に属するダン語系のヤクバ語を 話す部族が暮らす村を訪れます。ヤクバの人々は、独自の伝統・文化を持ち、 茅葺き屋根を持つ泥と日干煉瓦の家に住み、森の精霊を信仰しています。最も 有名なのは、竹馬踊りです。長いものでは、2mぐらいの竹馬を両足に履いて 踊る独特のダンスは、この地方を代表する民族舞踊となっています。森林での “元服”や、グニュゲと呼ばれる仮面をつけた徒競走の儀礼など、民俗儀式の 宝庫とも言われています。 サッサンドラ: 低サッサンドラ BAS-SASSANDRA は、コートジボワールの南西部に位置しており、、 大西洋のギニア湾に面しています。州都はサン・ペドロで、きれいなビーチがある ことで知られています。リベリアに近く、この地方の西の境は、リベリアとの国境に なっています。アビジャンに次ぐギニア湾に面する港湾都市で、1971年に深水港が 開港しました。カカオの積出港として栄え、内戦終結後、元の活気を取り戻しています。 グラン・バッサム: コートジボワールの大河のひとつコモエ川の河口は、かつてアルサム ALSAMと 呼ばれていました。15世紀末〜16世紀初頭、広域グラン・バッサムには、 漁民であったンズィマ人が定住しましたが、19世紀になると、イギリス及び フランスがこの地の領有をめぐって争うようになります。この時、フランスは この地一帯を統治していた首長アテクブレ ATTEKEBLE と条約を結び、要塞を 築城する許可を得ます。既成事実構築後、商人たちが訪れるようになりました。 1893年にはフランス領コートジボワールの主都となり、換金作物栽培地の 拡大をはじめ、植民地開発の拠点となりました。 ここで世界文化遺産に登録されたのは居住地区、行政地区、商業地区、そして ンズィマ人居住地区、灯台で、これらは史跡に指定されています。砂浜があり、 プチ・リゾートが建っており、国の内外から保養客も訪れています。