異文化体験とホームステイの旅。現地体験型の旅、超個性派の旅ならパームツアー。南太平洋・中南米・中近東・カリブ海・アフリカ・アジア・北米他


海外旅行で異文化体験、ホームステイのパームツアーセンター。 ありきたりの旅ではない、自分らしい旅をしませんか? 世界遺産、変わった遺跡巡り、エコツアーにもこだわりがあります・・・ パームツアーセンターは現地に密着した旅、ディープな旅をプロデュースします!
  TOP    会社案内    旅行業約款    店長紹介    お問合せ    FAQ  
 ■
現地発着ツアーカレンダー
 
スペシャルプラン
アフリカ 中南米 南太平洋 カリブ海 北米他 アジア

トップ現地発着スペシャル【カリブの旅】
■ ハイチスペシャル

■ 現地発着スペシャル

■ エリアで探す
■ 目的別で選ぶ
 
フォトギャラリー
■ お客様の声
会社案内
ご旅行条件
旅行業約款
ご旅行申込方法
店長ってどんな人?
お問合せ
MSN サーチ

2019年10月26日(土)出発
イスパニョーラ島
陸路で越えるドミニカ共和国とハイチの国境
サントドミンゴ&カップヘイシャン9日間
世界文化遺産シタデル、サン=スーシー城、
ラミエール国立歴史公園とサントドミンゴ

成田空港発着/アエロメヒコ利用

ここがポイント!


ドミニカ共和国からハイチへ
西インド諸島の大アンティル諸島に属するイスパニョーラ島にある共和国(スペイン語圏)。
イスパニョーラ島にはもうひとつ、ハイチ共和国(フランス語圏)があります。
ドミニカ共和国はスペインが新世界に築いた最古の植民地のひとつです。
今回の旅の基点は首都のサントドミンゴ。コロンブスゆかりの史跡や、スペイン入植者たちが築いてきた歴史が刻まれた街並みが残されています。
イスパニョーラ島南東部に位置するサントドミンゴから、反対方向である北西部に位置するハイチ共和国のカップヘイシャンへ、観光バスで訪れます。
どことなく中南米の雰囲気を持ったドミニカ共和国領を通り過ぎ、国境を越えると、そこは西アフリカの雰囲気を持ったハイチ共和国領です。
ひとつの島を共有する二つの国が、これほどの文化の違いを見せる地域がほかにあるでしょうか?。
ドミニカ共和国が中南米のひな型ならば、ハイチはカリブ海に浮かぶアフリカの飛び地。
住民の生活も、食文化も、街の雰囲気も、田舎の風景も、カリブの風が運んでくる香りすらも大きく異なる二つの国。ぜひ、その対比をお楽しみください。


ドミニカ共和国

ドミニカ共和国は、コロンブス(クリストバール・コロン)によってヨーロッパに報告された島々のひとつで、彼の子から孫、3代にわたって居住した場所でもあります。
面積は48,730平方キロメートル。人口は約1009万人。
首都は南部、カリブ海に面し、オサマ川の河口に位置するサントドミンゴ。
紀元前4000年ごろから西暦1000年頃までの間、先住民となるアラワク族が、ギアナ地方から渡来し、居住しました。先住民たちは、ヨーロッパ植民地化が進む中で歴史のはざまに消えてゆきました。
1492年にコロンブスの上陸後、スペインによる植民地化が進み、二度の植民失敗を経て、1496年にコロンブスの弟バルトロメ・コロンによってサントドミンゴが建都され、新大陸初のスペイン植民地としての歴史がはじまりました。1502年にニコラス・デ・オバンド総督がヨーロッパとの交易制度を確立。先住民は過酷な鉱山での仕事に酷使され、滅亡しました。
スペインの植民地時代は、『サントドミンゴ』と呼ばれていました。
1801年、隣のフランス領サンドマングの独立運動の志士トゥールサン・ルーベルチュールがフランスに逮捕され、獄死すると、サンドマングで独立の機運が高まり、1804年にはフランス軍に打ち勝ち、ハイチとして独立しました。その際、サントドミンゴもハイチの一部として、ともに独立した形となります。
1821年11月30日にサントドミンゴは、スペインのハイチ共和国として独立しました。
1822年1月に再度ハイチに占領され、1844年にハイチの占領下から独立を果たします。
ハイチとの和平条約が締結されたのが1875年のことでした。

<観光の見どころ>
サントドミンゴ
ドミニカ共和国の首都。コロンブス上陸依頼、スペインの植民地としての歴史を歩み、サントドミンゴには堅固な要塞が築かれ、現在残るコロニアル建築が数多く建設されました。
コロンブスの子孫が居住したアルカサルや、スペイン王国が新大陸に国の威信をかけて建立した大聖堂、外敵から新大陸の首都の富を守るために築城されたオサマ砦など、その建築はすぐれたものが多く、世界文化遺産に登録されています。
また、オサマ川の対岸にはロス・トレス・オホス(3つの目)という名勝称があります。



ハイチ共和国


ハイチ共和国とは・・・
中央アメリカの西インド諸島の大アンティル諸島内、イスパニョーラ島の西部に位置しており、東にドミニカ共和国と国境を接する国です。

人口は約1000万人で、人口密度は1平方キロメートルあたり、362人。
面積は27,750平方キロメートル。
首都は、ポルトープランスです。

旧宗主国フランスからの独立は1804年(日本では享和4年。光格天皇の御代。徳川幕府は11代将軍・徳川家斉の治世)で、アメリカ大陸で二番目の独立であり、世界初のアフリカ系の人によって建国された国としても知られています。

【ハイチ(アイティ)】という国名は、先住民族であるアラワク系タイノ人(インディアン)の言葉で、『山がちな土地』という意味で、それまでフランス領としての地名であった『サン・ドマング』から改名しました。


プレ・コロンビア時代の紀元前4000円から紀元後1000年までの間に、先住民族のタイノ人が、現在の南米・ギアナから移住してきたときから、ハイチの歴史は始まりました。彼らはカシーケと呼ばれる首長が牽引する5つの部族社会を構築し、最盛期は100万人〜300万人の島民がいました。

1492年(日本では延徳4年。後土御門天皇の御代。室町幕府は9代将軍・足利義尚〜10代将軍・足利義材<よしき=後年、足利義稙として復権する人物>の治世)に、クリストファー・コロンブスによりイスパニョーラ島が“発見”され、それから25年ほどの間にスペイン人による入植が盛んになり、先住民族であるタイノ人は絶滅させられました。
金鉱山の発見で、労働力が必要だったスペイン人は、最初はタイノ人とは別のカリブ・インディアンであるカリブ人に奴隷として働くことを強いていましたが、やがって疫病や過労によって、カリブ人は姿を消し、それに代わってアフリカから連れて来られた奴隷が工夫として使役されました。
スペインの勢力が陰りを見せ始めた1659年(日本では万治2年。後西天皇の御代。徳川幕府は4代将軍・徳川家綱の治世)ごろから、フランスが徐々にイスパニョーラ島西部にを侵略し、1697年(日本では元禄10年。東山天皇の御代。徳川幕府は5代将軍・徳川綱吉の治世。元禄赤穂事件=忠臣蔵事件の5年前)にはフランスが正式にイスパニョーラ島の西1/3を領有することになりました。
以降、サン=ドマング Saint-Domingue (現ハイチ)では、アフリカから連れて来られた奴隷たちが大農場開墾に駆り出され、農耕に使役されました。
奴隷たちは西アフリカの奴隷海岸(ナイジェリア、ベナン、トーゴ)から連れて来られ、同時にブードゥー教をはじめとする宗教や生活文化もこの地に持ち込まれました。

1789年(日本では天明8年〜9年。光格天皇の治世。徳川幕府は10代将軍・徳川家治の治世)ごろには宗主国であるフランスではバスティーユ監獄襲撃に端を発する革命=フランス革命が勃発し、それを引き金にサン=ドマングでも、1791年(日本では寛政3年。光格天皇の御代。徳川幕府は11代将軍・徳川家斉の治世)にアフリカ系とアフリカ系及びヨーロッパ系の混血であるムラートが蜂起、ハイチの独立運動が始まりました。
そしてトゥーサン・ル−ヴェルチュール、ジャン・ジャック・デッサリーヌ、アンリ・クリストフに率いられた反乱軍は各地でヨーロッパ人農業主を打倒し、1804年には、独立を宣言しました。

その後、各指導者はハイチを分割統治するようになりますが、アンリ・クリストフはハイチ北部を占有し、王となり、カパイシャン周辺を中心とした現在の北県にあたる土地の支配を開始しました。
アンリ・クリストフは、自分を百姓から皇帝に登りつめたナポレオン1世になぞらえ、ヴェルサイユ宮殿を模した豪壮なサン・スーシ城を築き、豪華絢爛な戴冠式と挙行しました。

混乱の中で産声をあげたハイチは、独立後の政情は安定せず、憲法を制定し、法治国家を目指したデッサリーヌは、アレクサンドル・ペチョンや、アンリ・クリストフにより圧迫され、最後は暗殺されました。独立運動を牽引したトゥーサン・ル−ヴェルチュールは独立運動のさなか、フランスによって捕えられ、フランスで獄死していて既になく、ペチョンも南米の独立の志士シモン・ボリバールを庇護するなど中南米の独立の手助けをしましたが、黄熱病に倒れ、アンリ・クリストフもまた、サン・スーシ城で錯乱して自害。指導者や有力者を相次いで失ったハイチは、暗黒アフリカさながらの混乱期に突入・・・現在に至るまで、混乱は日常的になっています。ハイチは天災地変の起こりやすい土地とも言われ、大地震や疫病にも悩まされ、政情不安もあいまって、中南米カリブでは最も発展の遅れた国という印象を持たれています。

ただ、アフリカ以外では、ブラジルのサルバドールと並んで最もアフリカの記憶を残している国としても知られ、ブードゥー教は生活文化に溶け込み、いまなお、アフリカを彷彿とさせるライフスタイルを見ることができます。


アンリ・クリストフ・・・
今回の旅ではハイチの北県を訪れます。
ハイチ独立の英雄のひとりであり、奴隷身分から皇帝にまでなったアンリ・クリストフの治世におけるさまざまな遺産や記憶が残されている北県では、彼の名は避けて通れません。
自分をナポレオンになぞらえて、ヴェルサイユ宮殿を模したサン・スーシ城で豪華絢爛な戴冠式を行い、北部に君臨したアンリ・クリストフが次に行ったのは、そのナポレオンが率いるフランス軍の侵攻を防ぐための、シタデル城の築城でした。しかし、フランスは既に、ハイチに再び攻め入る余裕はなく、意味のない城の築城は、旗本や家臣の反抗を招き、アンリ・クリストフは次第に精神を蝕まれてゆきます。
「誰かが朕を裏切れば、朕の帝国は崩壊する」 
「朕が信ずるに足る家臣はもうおらぬ・・・」
追い詰められたアンリ・クリストフは、サン・スーシ城で拳銃で自害します。
そして彼が憧れ、また仮想的として恐れたナポレオンも、配流先のセントヘレナでその生涯を終えました。
フランスとハイチ・・・遠く離れた二つの土地で、似たような生涯を送った人物がいたのは非常に興味深いものがあります。


日本人にはまだまだ馴染みの薄いハイチですが、ユネスコの世界文化遺産に認定された堅固な城塞シタデルと栄華を極めたサン=スーシー城の廃墟。度重なる災害から立ち直ろうとしている首都ポルトープランス。この旅では、ハイチの外せないい見所を訪れます。
オプションで珍しいブードゥー教の儀式のショーもご覧頂けます!!お楽しみに!


 
(写真:左 ブードゥーの儀式/右 シタデル)

モデルプラン<手配旅行です>
====================================

====================================
<01日目>10月26日(土)
■行程: 成田空港⇒メキシコシティ⇒
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: アエロメヒコで空路、メキシコシティへ。
 AM−655 成田空港    14:25⇒メキシコシティ 13:05
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関〜乗換手続〜安全検査
・・備考: 基本的に空港待機を予定しています。
    但し、待ち合わせ時間を利用して、市内に出ることが可能です。
    ご希望の方はメキシコシティ観光(実費)にご案内致します。
・・宿泊: 機内泊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<02日目>10月27日(日)
■行程: ⇒メキシコシティ⇒サントドミンゴド
※移動: アエロメヒコで空路、ドミニカ共和国のサントドミンゴへ。
 AM1654 メキシコシティ 01:25⇒サントドミンゴ 06:40
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*送迎: 専用車で空港からホテルへ。
*休息: ホデルパ・ニコラス・デ・オヴァンド(クラシック部屋)または同等
*朝食: ホテル
*観光: 専用車によるサントドミンゴ一日観光
  ●
大統領府: ドミニカ共和国の大統領が政務を行う、政治の中心(車窓)
  ◎
アルカサル: コロンブスの子から孫へ三代にわたって居住した屋敷
  ○
日時計: 18世紀に建造された新大陸で最古の日時計。
  ●
ダマス通り: 旧市街のオサマ川の川畔から少し奥まった道路(車窓)
  ○
パンテオン: 1714年にイエズス会の教会として建立、紆余曲折を経て霊廟に。
  ○
大聖堂: 1510年、スペイン王の命により建立された新大陸初の教会。
  ◎
オザマ砦: サントドミンゴ旧市街を囲む要塞の中心的存在で、堅牢な建物
  ○
コロンブス記念灯台: 1992年、コロンブス新大陸到達500年を記念して建設。
  ●
マレコン通り: サントドミンゴのウオーターフロントを走る道路(車窓) 
  ○
文化広場: サントドミンゴの文化の中心。周囲に各博物館が配される。
  ◎
ロス・トレス・オホス: 先住民が住んだ洞窟。3つの湖を持つのが名の由来。
  ○
民芸品店・お土産店: 民芸品や、名物の琥珀製品を買うチャンスがあります。
*昼食: ローカル・レストラン
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホデルパ・ニコラス・デ・オヴァンド(クラシック部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<03日目>10月28日(月)
■行程: サントドミンゴ→>国境<→カップヘイシャン
*朝食: ホテル
*出迎: 09:00 観光バスでホテルを出発。国境の街ダハボン Dajabon へ。
・・通過: 11:30頃〜12:00頃 サンチアゴを通過。時間が許せば小休止
>国境: 14:30頃、国境に到着。ドミニカ共和国を出国 → ハイチ共和国に入国
*昼食: お弁当 または ローカル食堂
*移動: 引き続きカップヘイシャンへ。
 
 <左: 小さな家と食べ物を売るスタンド(イメージ)/右: 少し大きな家(イメージ)>
 
 <左: 新しい教会(イメージ)/右: 街のなんでも屋さん(イメージ)>
*夕食: ホテル
*宿泊: ホテル・デュ・ロア・クリストフ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<04日目>10月29日(火)
■行程: カップヘイシャン
*朝食: ホテル
*観光: 終日、世界文化遺産シタデル城、サン・スーシ城、ラミエール国立歴史公園観光
 ◎
シタデル城: ナポレオン率いるフランスを仮想的に、アンリ・クリストフ
  が築城を命じた難攻不落の堅固な要塞。結局この城を攻撃する者はひとりも
  現れなかった。堅牢な城壁に囲まれた城の一画に、クリストフの陵墓が残る。
  

  
 ◎
サン・スーシ城: ロワ・クリストフが建設を命じた西半球で最も豪壮な城
  であった建物の遺構。巨大なドームを持つチャペルが傍らに建立されている。
  ヴェルサイユ宮殿を模したこの城の庭で、一代の梟雄クリストフは自殺した。
  
  
  
 ●
ミロの集落: シタデル城の麓には人々の生活文化が感じられる集落がある。
*昼食: お弁当 または ローカル・レストラン
*観光: 午前、カップヘイシャンの旧市街を散策します(ウォーキングツアー)
 ○カップヘイシャン旧市街
  ・・・タイタニック号に乗客として乗船して亡くなった唯一のアフリカ系の技術者
   ジョセフ・フィリップ・ルメルシエール・ラローシェ生誕の地(19番通り)
  ・・・新世界(南北アメリカ)で生まれたアフリカ系の人物としては初の人類学者
   となって活躍をしたアンテノール・ファルマン博士の生誕の地(18番通り)
  ・・・ノートルダム大聖堂
  ・・・プラスダルム PLACE DES ARMES
  ・・・市場
  ・・・コロニアル建築群
 
 
 
*夕食: ホテル
*宿泊: ホテル・デュ・ロア・クリストフ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<05日目>10月30日(水)
■行程: カップヘイシャン→>国境<→サントドミンゴ
*朝食: ホテル
*出迎: 観光バスでホテルを出発。国境の街ダハボン Dajabon へ。
>国境: 国境に到着。ハイチ共和国を出国 → ドミニカ共和国に入国
*昼食: お弁当 または ローカル食堂
*移動: 引き続きサントドミンゴへ。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホデルパ・ニコラス・デ・オヴァンド(クラシック部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<06日目>10月31日(木)
■行程: サントドミンゴ
*朝食: ホテル
・・自由: 終日、自由行動
・・昼食: 含まれません。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホデルパ・ニコラス・デ・オヴァンド(クラシック部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<07日目>11月01日(金)
■行程: モンテゴベイ⇒メキシコシティ⇒
*朝食: ホテル
*送迎: 専用車でホテルから空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: アエロメヒコで空路、メキシコシティへ。
 AM−655 サントドミンゴ 09:01⇒メキシコシティ 12:05
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関〜乗換手続〜安全検査
・・備考: 基本的に空港待機を予定しています。
    但し、待ち合わせ時間を利用して、市内に出ることが可能です。
    ご希望の方はメキシコシティ観光(実費)にご案内致します。
・・宿泊: 機内泊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<08日目>11月02日(土)
■行程: メキシコシティ⇒
※移動: アエロメヒコで空路、帰国の途へ。
 AM−058 メキシコシティ 00:10⇒成田空港    06:05 翌
・・宿泊: 機内泊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<09日目>11月03日(日)
■行程: ⇒成田空港
・・帰国
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−


====================================


============================================================================
※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
============================================================================


 2019年10月26日(土)成田空港出発
 アエロメヒコ利用
 添乗員が同行/または/合流しお世話致します。


<最少催行人数 :1名で催行。定員5名>

 
添乗員同行のみ

 ハイチへの旅はやや難易度が高いため、添乗員が同行/合流
 する形で設定しております。


 ◆2019年10月26日(土)出発
  添乗員同行または合流
人数 現地費用 航空券代 合計
 1名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 2名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 3名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 4名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 5名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 6名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 7名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 8名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 9名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
10名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 お一人部屋追加料金 お問い合わせ下さい


●お申込期間:出発2か月日前まで


オプショナル>

ブードゥー教儀式ショー
(人数に関係なく一組につき)


 120,000円

ブードゥー・セレモニー: 文様神事/ドラム神事/巫女たちの踊り/生贄の儀式のデモンストレーション 往復送迎と飲み物つき


<写真:ブードゥーの儀式 生贄の儀式>



●ご旅行代金に含まれているもの:
 *航 空: 国際線 羽田空港⇒プロヴォ⇒カップヘイシャン⇒モンテゴベイ⇒羽田空港
       国内線 カップヘイシャン⇔ポルトープランス
      (燃油サーチャージ/空港税込)
 *宿泊: 各地のスタンダード・クラスのホテルのスタンダード部屋を利用します。
  トロント・・・ホリデイイン・トロント・エアポート・イースト(スタンダード部屋)または同等
  プロビデンシャル・・・ロイヤル・ウエスト・インディーズ(スタンダード部屋)または同等
  カップヘイシャン・・・ホテル・デュ・ロア・クリストフ(スタンダード部屋)または同等

 *車 両: 基本的に、送迎は混載車/観光は専用車となります。
 *ガイド: フランス語ガイド/英語ガイド
 *食 事: 朝食4回/昼食3回/夕食4回
 *観 光: 
  世界文化遺産シタデル城塞+サン・スーシ城観光、 カップヘイシャン徒歩観光>
 *添乗員: 添乗員の日本からの交通費/宿泊/食費/通信費/諸経費など

●ご旅行代金に含まれないもの:
 X 飲食費: お飲物/お食事/ホテルのミニバーやルームサービス
 X 追加費: オールインクルージブやミールクーポンが手配可能な場合、その料金
 X 通信費: 現地でご利用になる電話/FAX/ネット等の通信費
 X 個人費: ホテル(洗濯/土産/有料サービス/アクティビティ/オプショナルツアー)
 X 査証等: 渡航に必要な査証代/入出国書類作成費用
 X 諸経費: 観光で入場する場所の入場料・拝観料/経由地での諸経費


●旅券(パスポート)/査証(ビザ)
 ・・旅券(パスポート): 帰国時に6カ月以上の残存有効期間と、未使用の査証欄が2頁以上
           あることが望ましい。
 ・・査証(ビザ)   : 今回の旅に、日本国籍のお客様は査証は不要です。
           日本国籍以外のお客様はご相談下さい。






電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで
▲TOPへ