☆2020(令和2)年 夏 フェロー諸島 東京(羽田空港)発着 スカンジナビア航空とアトランティック航空を利用 さいはての島へ! 極北の島で自然・歴史・民俗を探訪。 今回は北大西洋に浮かぶもう一つのデンマーク領であるフェロー諸島を訪れます。 フェロー諸島は、日本でこそ知名度はまだまだ低いですが、美しい景色の宝庫です。 フィヨルドあり、入江と山と古民家が織りなす幽玄の風景あり、海鳥のコロニーあり・・・ 芝生屋根の建物や、素朴な漁村、ヴァイキングの史跡も強烈に印象に残ります。 今回の旅では、フェロー諸島の中でも最も人気の高い3つの島を訪れます。 (By 平原朋美) 新型コロナ・ウイルスが収束し、旅行ができるようになり、現地の旅行機関の受け入れが整えば このコースは即・販売可能です。 本コースは、シーフード・ディナー開催期間を基準にしています。 シーフード・ディナーの開催期間外でも、内容を変えて販売ができます。 出発曜日につきましても、ご相談に乗ります。 ぜひ、北欧の離島フェロー諸島の旅行をご検討下さい。 (By 本庄沙織里) フェロー諸島 島めぐり スカンジナビア半島と、イギリスと、アイスランドの中間点に浮かぶフェロー諸島。 スカンジナビア半島ノルウェー西岸、イギリスはスコットランドのシェトランド諸島、 アイスランド、からほぼ等距離に位置する北大西洋の島々です。 デンマークの自治領で、デンマーク本土やグリーンランドと共に、デンマーク王国を 構成しています。 国家元首はデンマーク国王ですが、フェロー諸島内の行政はフェロー諸島自治政府が 行っています。 自治政府の長は任期4年の首相で、フェロー諸島議会(議席33)によって選出されます。 尚、フェロー諸島はデンマーク国会(フォルケティング)に2議席を有しています。 議員は選挙により選ばれます。 第二次世界大戦中に自治政府を有していた経緯もあり、独立派が多いことでも 知られています。 フェロー諸島は18の島々から構成されており、総面積は1398.85平方キロメートル、 人口は5万人弱です。 主島は、“潮流の島”を意味するストレイモイ島で、首府トシュハウンはこの島にあります。 首府トシュタウンのあるストレイモイ島と空港のあるヴォーアル島とは海底トンネルで、 ストレイモイ島と隣接するエストゥロイ島との間には“大西洋にかかる唯一の橋”が かかっています。 冬の白に夏の緑、風光明媚なフェロー諸島は最近、人気が出てきました。 カラフルな家が並ぶ港町、伝説の奇岩怪石、芝葺き屋根の教会など、珍しい風景に 出会うことができます。 今回はヴォーアル島やストレイモイ島、エストゥロイ島の絶景ポイントにご案内します。 <フェロー諸島の歴史> ・・フェロー諸島は、アイルランドから来た修道士により“発見”されたと言われています。 修道士はこの地に修道院を建立したと、歴史に刻まれています。 ・・フェロー諸島への本格的な入植は、9世紀が最初と言われています。 ノルウェーを統一してノルウェー王国の始祖王と言われるハーラル1世の圧政から 逃れたノルマン人(ヴァイキング)が最初の入植者であったと言われています。 ・・825年(日本は平安時代初期の天長2年。西院帝と呼ばれた淳和天皇の御代)が 現在のトシュハウン港を二つに隔てるティンガネス半島に、独立議会を設立しました。 但し、議会設立当時、中立を期すため、あえてティンガネス半島には集落が置かれ なかったと言われています。毎年、夏になると、ヴァイキングの代表がティンガネスに 集まり、議会を開いたと言われています。 ・・1035年(日本は平安時代中期の長元8年。後一条天皇の御代)、ヴァイキングの治世は 終わりを告げ、その後、ティンガネス半島を中心に市場が築かれ、港が置かれました。 ・・11世紀(日本では摂関政治が栄華を極め、地方の在庁官人=地方領主化した貴族=、 武士が台頭し始めた頃)、ノルウェーの領土になります。 ・・1271年(日本は文永8年。亀山天皇の御代。鎌倉幕府第七代将軍・源惟康=後の 惟康親王/第八代執権・北条時宗の治世)、ノルウェー王室の貿易専売所が設置され、 トシュハウンはベルゲン等との貿易を独占し、フェロー諸島の盟主として発展する きっかけとなりました。 ・・1380年(日本は南朝=天授6年。長慶天皇の御代。/北朝=康暦2年。後円融天皇の 御代。室町幕府第3代将軍・足利義満の治世)にノルウェーとデンマークが同君連合に より、事実上、デンマーク王国が衰退したノルウェー王国とその領土を統治することと なり、フェロー諸島もデンマーク王国の版図に組み込まれます。 ・・1397年(日本は応永4年。後小松天皇の御代。室町幕府第4代将軍・足利義持の治世)、 デンマーク=ノルウェーとスウェーデンがカルマルにて同君連合を締結。 締結場所の名をとって、カルマル同盟と呼ばれるこの同盟により、フェロー諸島もその 版図に組み込まれました。 ・・1539年(日本は天文8年。後奈良天皇の御代。室町幕府第十二代将軍・足利義晴の 治世)、プロテスタントの改革運動が起こりました。 ・・1579年(日本は天正7年。正親町天皇の御代。織田信長の治世。室町幕府滅亡後ですが 征夷大将軍・足利義昭は在職中)、海賊によるフェロー諸島での略奪が頻発したことに より、トシュハウンの北端部に砦が造られました。定住する土地を持たない下層民が、 農家など富裕層から兵糧・武具の提供を受けて、警護にあたりました。 ・・1655年(日本は承応3・4年~明暦元年。後光明天皇~後西天皇の御代。江戸幕府 第四代将軍・徳川家綱の治世)、デンマーク王フレデリク3世が、執政官クリストファー・ ゲーベルに褒美としてフェロー諸島を下賜します。それにより、フェロー諸島の貿易と 利益はゲーベル一族により独占され、輸入税も値上げされ、島民に利益が還元されない システムが確立されます。島民はゲーベル一族により抑圧され、不満が高まって ゆきました。 ・・1673年(日本は寛文12・13年~延宝元年。霊元天皇の御代。江戸幕府第四代将軍・ 徳川家綱の治世)、島民はついに蜂起。ゲーベル一族の支配する役所/代官所などを 焼き討ちしました。 ・・1709年(日本は宝永6年。日本は東山天皇~中御門天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・ 徳川綱吉~第六代将軍・徳川家宣の治世)、フェロー諸島は再度、デンマーク王家の 所有に戻りました。治安や島民の生活も安定し始め、コペンハーゲンからの物資補給の 船便も3便が設定されるなど、回復の兆しを見せ始めます。しかし、同年、天然痘が 猛威をふるい、トシュハウンの住民の殆どが命を落とすことになります。 ・・18世紀後半になると、トシュハウンはようやく、復興に向けて動き出します。18世紀末の 英仏戦争時、フェロー諸島は英国に対して密輸を行い、巨利を得ます。その利益を 水産業の振興に使い、現在に通じる貿易の基盤がつくり上げられました。 ・・1856年(日本は安政2~3年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十三代将軍・徳川家定の 治世)、フェロー諸島は自由貿易をかちとりました。同年、トシュハウンに町議会が 置かれました。これによりトシュハウンは、貿易港と、首都機能との両方を手にし、移行、 名実ともにフェロー諸島の中心となってゆきます。 ・・1909年(明治42年)、デンマーク本土の都市と同じように市場が開設され、名実ともに デンマーク本土と同じ扱いであるという意識を高めます。 ・・1927年(昭和2年)、トシュハウンの港が拡張され、ここに近代的な港湾として第一歩を 記します。 ・・第二次世界大戦が始まると、ナチス・ドイツはデンマーク=ノルウェーへの侵攻を開始、 フェロー諸島はデンマーク本土と分断されてしまいます。 ・・1940年(昭和15年)4月、ヴァレンタイン作戦を立案したイギリスは、戦略的拠点である フェロー諸島に進出し、フェロー諸島はイギリスの占領下に入ります。イギリスは住民に よる自治を認めます。この自治を認められたことがフェロー諸島民のナショナリズムの 高まりに繋がり、自治政府発足要求の住民運動のきっかけとなります。 ・・1948年(昭和23年)国防や外交の一部を除く、かなり大きな権限を持つ自治政府が 成立しました。 ・・1973年(昭和48年)デンマーク本国がEC(欧州共同体)に加盟。フェロー諸島は独自の 外交路線を敷き、いまだに欧州連合に加入していません。 <ツアー行程> ヴォーアル島ツアー: カラフルなかわいらしい家や、奇岩怪石を見学 真紅の屋根の教会があるサンダヴァーグ村/ 立派な鐘楼を持つ白亜の教会があるミザヴァーグ村/13世紀からの歴史を持つソルヴァグ村/ カラフルな民家が並ぶガウサダル村/緑に覆われたミキネス島の眺望ポイント/海食によって できたテント型の岩礁ティドホウルム島の眺望ポイント等を訪れます。 テント型の岩礁ティドホウルム島の眺望(左/右) ストレイモイ島: 海鳥の楽園など6つの絶景を見物 かつてフェリーの港があったヴェストマンナ村からボートに 乗り、海鳥の楽園バード・クリフを訪れます。尖がった山、絶壁、小さな洞窟、不思議な地峡、深い 入江、海鳥・・・6つの絶景に出会えます ストレイモイ島とエストゥロイ島: 伝説の奇岩怪石や絵になる村を訪問 東に浮かぶエストゥロイ島の終日観光。 かつて捕鯨の 基地であったVið Áir/大西洋にかかる唯一の橋/Funningur村付近のヴァイキング集落遺跡/ おとぎの世界に擬せられる美しい小村ギョグ村/“Risin og Kellingin 巨人とその妻"という 奇岩怪石の眺望ポイント/芝葺き屋根の古民家が点在する美しい村サクスン(ストレイモイ)を 訪れます。 ギョグ村の風景(左/右) エストゥロイ島の景観 サクスン村 <観光の見どころ> ストレイモイ島 STREYMOY ISLAND: 主島ストレイモイ島は、フェロー諸島のちょうど真中あたりに位置しています。 北西から南東へ長さが約47km、幅は平均して約10km、面積373平方キロメートルの 細長い島です。 南東部にはコラフィヨルズル、カルバクスフィヨルズルという、二つの深いフィヨルドが あります。 山がちなこの島の最高峰は、北西部に聳えるコプセニ山(789m)で、コプセニ山の 周囲は、高さ500mを超える崖がそそり立っています。 山深いこの島には、小さな湖沼や渓流があり、風光明媚な島という印象を受けます。 古来、樹木は生えず、従って、16世紀からこの地を開墾して定住したヴァイキングは、 主に流木を建材に使い、ブルン BRUNN に現存しています。 植物は芝がよく育ち、屋根が芝葺きになっている建物を多数、見ることができます。 トースハウンに滞在する観光客にとって、観光地として人気のあるネルソイ島は、 ストレイモイ島の南に浮かんでいます。 この島には首府であり、諸島最大の海港のあるトシュハウンがあります。 ほか、かつてフェリー港があったヴェストマンナ VESTMANNA、渓谷と山々の景色が 美しいサクスン SAKSUN とテョルヌヴィク TJORNUVIK、中世に宗教の中心地だった キルクシュボア KIRKJUBOUR などの村落があります。 ストレイモイ島の北東に隣接する、諸島第二位の面積(286.3平方キロメートル)を持つ エストゥロイ島との間にはスンディニ海峡があり、。エストゥロイ島へはスンディニ海峡を またぐ“大西洋にかかる唯一の橋”を渡って行くことができます。 ストレイモイ島の南西に隣接する、諸島第三位の面積(177.6平方キロメートル)を持ち、 国際空港のあるヴォーアル島との間には、4.9kmの長さを持つヴォーアル・トンネルが 結んでいます。エストゥロイ~ストレイモイ~ヴォーアルの主要三島は、こうして陸路で 移動することができるようになっています。 トシュハウン TORSHAVN: デンマーク王国の自治領フェロー諸島の首府(首都)で、主島ストレイモイ島の 南東端に近い場所に位置しています。 トシュハウンという地名は、北欧神話に登場する雷鳴と稲妻の神であるトールに由来。 “トールの港”という意味です。 日本語では、しばしばトールシャウンあるいはトースハウンと呼称されます。人口は 約20,000人で、海に面しています。 また北西に HUSAREYN 山(347m)が、南西に KIRKJUBOREYN 山(350m)があります。 旧市街の建物は木造建築が多く、カラフルに彩色された建物もあり、異国情緒満点。 ティンガネス半島 TINGANES: ヴァイキングが825年に議会を設立した場所であり、現在のトシュハウン港を 分断する場所に位置しています。 現在は朱色の政府の建物が建てられています。屋根は名物の芝葺き屋根です。 トシュハウン港 TORSHAVN PORT: 現在、貿易港であり、客船もこの港を利用しています。スマイリル・ラインが、 トシュハウンとアイスランドの東部の港セイジスフィヨルズルとの間を結んでいます。 シェトランド便、ベルゲン便は廃止になっています。 フェロー諸島議会 LOGTING: 1856年(日本は安政2~3年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十三代将軍・徳川家定の 治世)トシュハウンに町議会が設立されました。これにより、トシュハウンは名実ともに フェロー諸島の中心になりました。 トシュハウン大聖堂 TORSHAVN CATHEDRAL: 1788年(日本は天明8年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の 治世)建立の大聖堂です。 1990年(平成2年)から、ルーテル教会のトシュハウン司教座が置かれています。 スカンシン砦 FORT SKANSIN: 1579年(日本は安土時代の天正7年)、海賊からトシュハウンの街を守るために、 トシュハウンの北部に築城された小さな砦が原型で、その後も改装を繰り返し、 トシュハウンの防御拠点として活躍しました。頂上からの眺望は秀逸! 旧市街 OLD TOWN: トシュハウンの地名に明確に旧市街と呼ばれる場所はありませんが、トシュハウンの 港の周辺が旧市街にあたります。古色蒼然とした北欧風の木造建築が多く、中には カラフルに彩色されたものもあります。 サクスン SAKSUN: フェロー諸島を紹介するポスターや写真集で必ずといっていいほど取り上げられる 風光明媚な村。 山が直接海に落ち込むようなフィヨルドを持つ西海岸や、灰色の砂のきれいなビーチ、 深い山々、折り重なる山の間を流れる渓流、芝葺き屋根の家屋、芝葺き屋根の教会などが 見られます。