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知られざる西アフリカの国々シリーズ 2018年
04月27日(金) 成田空港発着
ゴールデンウイークスペシャル
残席5 ・・・ まだ間に合う!
知られざる西アフリカ
ギニア/リベリア/シエラレオネ
いいとこどり EY 10日間
エティハド航空/アブダビ経由

ここがポイント!


★西アフリカの知られざる国々シリーズ★


 ギニア/リベリア/シエラレオネ 10日間


※航空会社のスケジュール変更でシエラレオネとリベリアの訪問順序が変わりました。


西アフリカの国々。
日本人にはなじみの薄い国々ですが、それでもマリ、ガーナ、 セネガルなど、日本人が旅行者として訪れる国々はいくつかあります。
その西アフリカの中で、一般の旅行者がなかなか行こうと思いつかない国々がいくつかあります。
今回はそうした国々の中で、ギニア、シエラレオネとリベリアを訪れます。
有名な観光地は少ないけれども、行く先々で人々の暮らしと歴史を垣間見ます。


ギニア

アフリカ各国が欧州の植民地から独立をしてゆく中で、初代大統領セクゥ・トゥーレによる『隷属下での豊かさより、自由のもとで貧困を』の思想のもと、完全独立を目指した国です。旧宗主国フランスは独立を認める代わりに、フランスが作り上げた全ての物を本国に持ち帰り、  道路や施設を破壊したので、正にゼロ、貧困の中からスタートしました。
その後、社会主義政策に人権抑圧、軍事政権によるクーデターや暴動と、この国は常に時代の波に翻弄されてきました。今も激動の時代の余波は  続いているといえるでしょう。
この国を訪れる人は、現在進行形の歴史、そしてその歴史のうねりの中でたくましく生きる人々に会えるでしょう。  
観光にはまだまだ手の回らない状況ですが、『西アフリカのスイス』とも称される
フータジャロン山地に少しずつ、欧米から観光客が来ています。
南部には世界自然遺産登録のニンバ山が聳え、幽玄の様相を呈しています。

<観光の見どころ>
フータジャロン: 熱帯雨林とサバンナを分ける高原で、かつては独立国だった地域。  ガンビア川、セネガル川、ニジェール川の源流も近くにある。

イスラーム建築: フータジャロンのフーグンバやティンボにイスラーム王国であった
 頃の名残があり、伝統的な茅葺建築が印象的。

民芸品の即売所: ギニアの民芸品は高品質。造形的に面白いものが多い。  
      

<写真: (左)マムーのイメージ/(右)マムーの商館>


<写真: (左)ティンボ周辺ののイメージ/(右)ダラバの首長の居館>


<写真: (左)フータジャロンの家屋/(右)フータジャロンの家屋(イメージ)>



リベリア  
1816年(日本は文化13年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)、
米国で設立された米国植民協会が、アフリカ系奴隷の故郷への帰還を計画、1822年(文政5年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)に最初の解放奴隷が乗る船団が現在のリベリアに到着。1824年(文政7年)にはそれまでメスラド岬植民地と呼ばれていたこの地は、リベリアと改名され、更に多くの解放奴隷が入植。
1847年(日本は弘化4年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十に代将軍・徳川家慶)7月26日には、合衆国憲法を基本とした憲法を制定し、ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツを初代大統領として独立を果たし、以来独立を守り続けています。
入植者即ち解放奴隷の子孫はアメリコ・ライベリアンと呼ばれ、先住民を差別、抑圧した為、先住民族との間に確執が生じ、たびたびそれは暴動・内乱へ発展。1980年(昭和55年)、先住民族出身のドゥがクーデターで政権を奪取、以降二度の内戦、ドゥ虐殺、政権を手にしたチャールズ・テイラーによるシエラレオネ内戦関与と、動乱が続きましたが、2006年(平成18年)の動乱の終結とともに、少しずつではありますが、国家再建の兆しをみせています。

プロビデンス島: 
 リベリア発祥の地と言える場所。1818年(日本は文化15年〜文政元年。仁孝天皇の
 御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)、アメリカ合衆国政府は、解放した
 奴隷の居住地として、モンロビアの湾口に浮かぶプロビデンス島を、土地の首長から
 割譲させました。1820年(文政3年)には解放奴隷88人を乗せた“エリザベス号”が
 ニューヨークを出発し、西アフリカのシエラレオネに向かいました。1822年(文政5年)、
 初の解放奴隷の一団がプロビデンス島に上陸、彼らは再移住区を建設しました。

ウォーターサイド・マーケット: 
 モンロビア、いや、リベリアにおける最大級のマーケット。カラフルで、活気があります。
 モンロビア市民の胃袋をささえる天下の台所の役割を果たしています。

民芸品: 
 モンロビアの街中には、古色を帯びた儀式用の仮面や木彫りの像を売るお店が
 いくつかあります。また、空港と市内の間にはかごを売る店もいくつかあります。

 
 <モンロビア写真: (左)プロビデンス島/(右)ウォーターサイド・マーケット>



シエラレオネ
1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)に
ポルトガルの航海士のペドロ・ダ・シントラにより『ライオンの山』と命名されたフリータウン
半島はやがて英国の支配下に置かれました。
1579年(日本は天正7年。正親町天皇の御代。征夷大将軍は足利義昭。織田信長の時代)、に英国の奴隷商人ドレイクの来訪から、1772年(日本は明和9年〜安永元年。後桃園天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)に奴隷制度が廃止されるまでは、バンス島を拠点とした奴隷貿易が行われました。  
1787年(日本は天明7年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世))に
奴隷貿易廃止運動の志士グランビル・シャープを中心とした、第一次シエラレオネ入植を皮切りに、ノバスコシアからの解放奴隷船団や、ジャマイカからの元逃亡奴隷を乗せた船が次々とシエラレオネに来訪して、いまのシエラレオネ国の基礎が作られました。
1808年(日本は文化5年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)〜
1960年(昭和35年)の英国植民地時代を経て、1961年(昭和36年)に独立。
その後不幸な内乱で、国土は疲弊し、経済も低迷しましたが、2002年(平成14年)には
内戦が終結します。その後、エボラ出血熱騒動により、一時、観光不可能な状態が続きましたが、現在は観光を産業のひとつと位置付け、リゾートや観光地の整備もすすんできています。動乱時には訪問が困難だった地域にも観光客向けのホテル等が建設中です。

タクガマ・チンパンジー保護区: 
 タクガマ・チンパンジー保護区は、内戦時代に棲み家を失ったチンパンジーたちを、
 保護しています。

バンス島の奴隷貿易時代の史跡: 
 1663年(日本は寛文2〜3年。後西天皇〜霊元天皇の御代。江戸幕府第四代将軍・
 徳川家綱の治世)にイギリスが貿易の中継地としてバンス島に目を付け、要塞を築き、
 入植を開始しました。1670年(寛文10年)にはイギリスの西アフリカ穀倉海岸における
 最大の貿易拠点となりました。1702年(日本は元禄15年。東山天皇の御代。江戸幕府
 第五代将軍・徳川綱吉の治世。赤穂浪士の討入の起った年)にはフランスにより、島の
 要塞が落城。その後、要塞は再建されますが、オランダやポルトガルに占領され、また
 イギリスが奪還するという、攻防の歴史が残されています。
 1719年(享保4年。中御門天皇の御代。江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の治世)には、
 フランス軍に、活動拠点であるヨーク島を攻撃されていたイギリス王立アフリカ会社が
 バンス島に活動拠点を移転します。しかし1728年(享保13年)に今度はポルトガルが
 バンス島の要塞を攻撃し破壊、王立アフリカ会社は撤退を余儀なくされます。
 1750年(寛延3年。桃園天皇の御代。江戸幕府第九代将軍・徳川家重の治世)になると
 王立アフリカ会社が利用した要塞は、グランド・サージェント・オズワルド社が引き継ぎ、
 直ちに奴隷貿易の主要積出港として機能し始めます。内陸部や、西アフリカ各地から
 運ばれてき奴隷たちは、主にアメリカ合衆国や、カリブ海の西インド諸島の小アンティル
 諸島へと送られてゆきました。アメリカ合衆国のサウスカロライナ州に住む、ガラ人を
 ルーツとするアフリカ系住民は、このバンス島から送られてきたと考えています。

バナナ諸島: 
 フリータウン半島の南東の沖合いに浮かぶ島々、それがバナナ諸島です。ダブリン島、
 リケット島という二つの主島と、その他の島々からなる諸島です。ダブリン島の北の
 はずれにはダブリン村があり、1881年(日本は明治14年)に建立された教会の遺構が
 ありますが、かつては奴隷収容所として機能していました。ダブリン周辺にはイギリス
 植民地時代の大砲、奴隷貿易関連史跡があり、村はずれにはビーチもあります。
 
 
 <フリータウン市内写真: (左)コットン・ツリー/(右)マルーン教会>

  
 <左: フリータウン半島のビーチ/右: フリータウン俯瞰>

 
 <フリータウン郊外写真: (左)解放奴隷の屋敷/(右)タクガマのチンパンジー>

 
 <フリータウン半島写真: (左)バンス島/(右)バナナ島の民家>

 
 <(左)ある日の食事/(右)路上のバー>


復路のカサブランカ、ドバイでは離団が可能です。お問い合わせ下さい!

■添乗員つきの手配旅行です。全行程、添乗員が同行し、お世話致します。

●復路、経由地のカサブランカとドバイで途中降機が可能です。お問合せ下さい。

★店長のリベリアの思い出はこちら

★店長のシエラレオネの思い出はこちら


モデルプラン(手配旅行です)

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知られざる西アフリカ三国の旅
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<01日目>04月27日(金)
■行程: 成田空港⇒アブダビ⇒

成田空港発着の場合
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エティハド航空で空路、アブダビへ。
 EY−871 成田空港    17:55⇒アブダビ    00:30 翌日
・・宿泊: 機内泊

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<02日目>04月28日(土)
■行程: ⇒アブダビ⇒カサブランカ⇒コナクリ
・・手続: 安全検査
※移動: エティハド航空で空路、カサブランカへ。
 EY−613 アブダビ    02:45⇒カサブランカ  08:30
・・手続: 乗換手続/安全検査
★選択: オプション★ご希望の方は実費でカサブランカ市内にご案内致します。
    その場合、入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、鉄道で市内に向かいます。
    空港には次便出発の3時間前に戻り、搭乗手続〜安全検査/出国を行います。
※移動: ロイヤル・モロッコ航空で空路、ギニアの首都コナクリへ。
 AT−527 カサブランカ  22:30⇒コナクリ    01:25翌
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*出迎: ガイドが空港にてお出迎え致します。
*送迎: 専用車で空港からホテルにご案内致します。
*宿泊: ホテル・プティ・バトゥ(スタンダード部屋)または同等
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<03日目>04月29日(日)
■行程: コナクリ→フータジャロン/ダラバ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でコナクリからフータジャロン観光の基点マムーへ(06:00-12:00)。
*昼食: マムーにあるホテル・バリーズのレストラン(12:00-13:00)
*観光: 午後、フータジャロンの観光をします(13:00-19:00)
  ◎
藁葺屋根が印象的なフーグンバ山麓独特の伝統建築(入場)
  ○ダラバの古いコロニアル建築群 @
VILLA SILI
  ○ダラバの古いコロニアル建築群 A
CASA DE PALABRES
  ○ダラバの古いコロニアル建築群 B
WILLIAMS-BAH MUSEUM
  ○
フータジャロンの村
  ●
フータジャロンの景観(車窓)
*夕食: ホテル・フータ・SIB HOTEL FOUTA (19:00-20:00)
*宿泊: ホテル・フ―タ・SIB または同等
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<04日目>04月30日(月)
■行程: フータジャロン/ダラバ→コナクリ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でキンディアに移動します (08:00-12:00)
*昼食: キンディアにあるホテル・ル・フランボワイヤン (12:00-13:00)
*移動: 専用車でコナクリに移動します (13:00-16:00)
*観光: 夕刻、コナクリ市内を観光します。
 ○大モスク: 礼拝者が少ない場合、境内に入ることができるかもしれません。
 ○植物園: 荒れ放題ですが、珍しい植物に出会えるかもしれません。
*買物: カマイエンヌ・ホテル前の民芸品市場に行きます。
 ○
民芸品市場: コレクター垂涎の木彫りやアクセサリーを買うチャンス!
*夕食: ホテル・プティ・バトゥ Hotel Petit Bateau
*休息: ホテル・プティ・バトゥ(スタンダード部屋) または同等
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<05日目>05月01日(火)
■行程: コナクリ⇒カサブランカ⇒フリータウン
*朝食: ホテル
*送迎: 深夜〜早朝、専用車でホテルから空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: ロイヤル・モロッコ航空で空路、カサブランカへ。
 AT−528 コナクリ    04:35⇒カサブランカ  09:10
★選択: オプション★ご希望の方は実費でアル・ジャディーダにご案内致します。
    その場合、入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、鉄道で市内に向かいます。
    空港には次便出発の3時間前に戻り、搭乗手続〜安全検査/出国を行います。
※移動: ロイヤル・モロッコ航空で空路、リベリアの首都モンロビア/ロバーツフィールド空港へ。
 AT−567 カサブランカ  23;00⇒モンロビア   02:25翌
・・手続: ロバーツフィールド空港に到着。入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*送迎: 混載の送迎車で空港からホテルにご案内致します。
*夕食: ホテル
*宿泊: ロイヤル・グランド・ホテル(スタンダード部屋) または同等

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<06日目>05月02日(水)

■行程: モンロビアROB⇒フリータウン
*朝食: ホテル
*観光: 午後、モンロビア市内の観光(タクシーまたはホテルの車両を利用)
 ○
プロビデンス島 PROVIDENCE ISLAND: 
  解放奴隷上陸とリベリア独立の史跡。
 ○
プロビデント・バプティスト教会 PROVIDENT BAPTIST CHURCH : 
  リベリア最古の教会のひとつです。
 ○
100年祭パビリオン CENTENNIAL PAVILION:
  歴代大統領就任式会場史跡。第19代大統領ウィリアム・タブマン(1895-1971) の
  墓所が隣接しています。
 ●
スナッパー・ヒル SNAPPER HILL : 
  モンロビアの市街地を見下ろす高台。
 ●
デュコール・パレス・ホテル跡 DUCOR PALACE HOTEL SITE: 
  内戦で廃墟と化したかつてのインターコンチネンタル系列の最高級ホテル跡。
 ●
キャピトル・ヒル CAPITOL HILL : 
  モンロビアを形成する半島部の中央に位置するキャピトル・ヒルは官庁街。
  政府機関は殆どここに集まっています。
 ○
テンプル会堂 TEMPLE OF JUSTICE : 
  官庁街にあるリベリアの国会議事堂。
 ○
国立博物館 NATIONAL MUSEUM: 
  リベリア独立前から現代までの史料を展示。
  解放奴隷の子孫アメリコ・ライベリアンの遺物や古銭、国旗などもあります。
 ○
アフリカン・アートセンター AFRICAN ARTS CENTER: 
  リベリアの芸術家の作品が展示、即売されています。
  モンロビアの新しい町おこしのかたちです。
 ○
メイソニック寺院跡 The RUIN OF MASONIC TEMPLE : 
  内戦で廃墟と化した、リベリアにおけるフリーメイソンの拠点の史跡です。
  一部修復されています。
 ○
郵便局 POST OFFICE: 
  リベリアの珍しい切手が買えるかもしれません。
 ○
両替商 FOREX BUREAUS: 
  雑居ビルのフロアの奥や、市場の奥で営業。まるで秘密結社?いえいえ、正規の
  両替商です。
 ○
ウォーターサイド市場 WATERSIDE MARKET:
  食品や雑貨、衣料品などが売らている大きな市場。
 ○
民芸品店&バスケット露店 HANDICRAFT SHOP(S):
  リベリアや周辺国の仮面や木彫り製品、民芸品などが買えます。
 ○ブロ・デグボ BLO DEGBO: 
  リベリアが最近、観光地として紹介しています。
  人面岩として、知る人ぞ知る奇岩怪石のひとつです。
*昼食: サンドイッチとジュースをご用意致します。
*送迎: 混載の送迎車でロバーツフィールド空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国

※移動: ケニア航空で空路、シエラレオネの首都フリータウン/ルンギ空港へ。
 KQ−502 モンロビア   15:10⇒フリータウン  16:00
・・手続: 入国〜受託荷物〜通関を済ませ、出口へ。
*移動: 水上タクシーでルンギ空港からフリータウン/アバディーン埠頭へ。
*送迎: 専用車でアバディーン埠頭からホテルへ。
*夕食: ホテル
*宿泊: ザ・カントリー・ロッジ・コンプレックス(スーペリア部屋) または同等
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<07日目>05月03日(木)
■行程: フリータウン
*朝食: ホテル
*観光: 終日 バナナ島
 ◎バナナ諸島 BANANA ISLANDS:
  フリータウン半島の埠頭から小舟に乗り、バナナ諸島にある二つの主島のうち、
  ダブリン島を訪れ、上陸します。ダブリン島では奴隷貿易関連史跡(教会跡など)、
  入植者の遺跡、島民の家などをご覧頂きます。天候と時間が許せば、美しい砂浜で
  海水浴もお楽しみ頂けると思います。車窓からフリータウン半島の景観もお楽しみ
  頂けます。※水着、タオル、ビーチサンダルをご用意下さい
 ※フリータウン半島の様々な景観の例
  ・・美しい砂浜のあるリバー・ナンバー・ツー・ビーチ RIVER NUMBER TWO BEACH
  ・・小さな漁船やバナナ諸島への渡し舟が停泊するケント村 KENT VILLAGE
 ●クリオ・ビレッジ KRIO VILLAGE:
  タクガマ・チンパンジー保護区の近くには、解放奴隷によって作られた集落があり、
  現在も古色蒼然とした木造家屋が点在しています。現在のフリータウンに最初の
  解放奴隷が入植したのは、18世紀後期の1787年(日本は天明7年。光格天皇の御代。
  江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)で、カナダのノヴァスコシアや、カリブの
  ジャマイカから来た人が多かったそうです。築100年ぐらいの家屋もあるとか・・・
*昼食: ダブリン島の食堂
*夕食: ホテル
*宿泊: ザ・カントリー・ロッジ・コンプレックス(スーペリア部屋) または同等
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<08日目>05月04日(金)
■行程: フリータウン
*朝食: ホテル
*観光: 午前、奴隷貿易の拠点のひとつバンス島をボートで訪れ、観光します。 
 ◎バンス島 BUNCE ISLAND:
  フリータウン近郊、ロケ川の河口に浮かぶ
  米国のコリン・パウエル元国務長官もバンス島を訪れ、自分のルーツを感じるとの
  コメントを残しました。バンス島には奴隷貿易の時代の城塞、奴隷房などの遺跡や、
  入植者たちの墓地が残されています。ボートを利用するので、船上からの風景も
  お楽しみ頂けます。
*昼食: ローカル・レストラン
*観光: 午前 フリータウン市内観光(専用車+英語ガイド)
 ○
聖ジョージ大聖堂 ST. GEORGE'S CATHEDRAL:
  1817年着工ー1828年竣工の、フリータウン最大にして荘厳な大聖堂です。
 ○
鉄道博物館 RAILWAY MUSEUM:
  シエラレオネには1974年まで鉄道が活躍していました。現在、鉄道博物館では、
  蒸気機関車、ディーゼル機関車など、かつての雄姿を見ることができます。
 ○
国立博物館 NATIONAL MUSEUM:
  解放奴隷が長い航海を終えてフリータウンに上陸してから現在までの歴史や、
  シエラレオネの諸民族の民俗に関する資料が展示されています。
 ○
聖ジョーンズ・マルーン ST. JOHN'S MAROON CHURCH:
  1820年(日本は文政3年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の
  治世)に建立されたフリータウン最古の教会です。国指定の史跡でもあります。
 ○
マーテロー塔 MARTELLO TOWER (フリータウンの真田丸?):
  1805年(日本は文化2年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の
  治世)に港をテムネ族から守るために築城された、防御のための出城
 ○
コットン・ツリー COTTON TREE:
  樹齢500年。万里の波濤を越え、フリータウンに上陸した解放奴隷が、一休みした
  といわれる、シエラレオネの建国神話の舞台です。撮影は、ガイドに聞いてから!
 ○
ソーントーン要塞 FORT THORNTON:
  1792年(日本は寛政4年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の
  治世)に着工し、13年かけて完成した稜堡式要塞です。
 ◎タクガマ・チンパンジー保護区 TACUGAMA CHIMPANZEE SANCTUARY:
  タクガマ・チンパンジー保護区は、内戦時代に棲み家を失ったチンパンジーたちを、
  保護しています。1995年(平成7年)に設立。脱走事件で有名になったブルーノは、
  ここで保護されていました。それぞれのグループの生活圏は巨大な網で覆われ、
  観光客はその網を通して、チンパンジーの姿を見ることができます。午前10時30分、
  午後4時から、観光客の見学時間帯が設けられています。
*買物: 時間が許せば、
民芸品市場で買物の時間をとります。
 〇民芸品市場: ヘルメット式の被るタイプの仮面は必見!
*夕食: ホテル
*休息: ホテルのお部屋は出発までご利用頂けます。
*送迎: 専用車でアバディーン埠頭へ。
*移動: 水上タクシーでアバディーン埠頭からルンギ空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
・・宿泊: 機内泊
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<09日目>05月05日(土)
■行程: フリータウン⇒カサブランカ⇒アブダビ⇒
※移動: ロイヤル・モロッコ航空で空路、カサブランカへ。
 AT−564 フリータウン  02:15⇒カサブランカ  07:00
・・手続: 乗換手続〜安全検査
※移動: エティハド航空で空路、アブダビへ。
 EY−612 カサブランカ  09:55⇒アブダビ    20:25
・・手続: 安全検査
※移動: エティハド航空で空路、ソウル/インチョン空港へ。
 EY−876 アブダビ    22:15⇒インチョン空港 11:35 翌日
・・宿泊: 空港待機
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<10日目>05月06日(日)
■行程: ⇒アブダビ⇒ソウル/インチョン空港⇒成田空港

・・手続: 安全検査

成田空港発着の場合
※移動: エティハド航空(コードシェア便)で空路、成田空港へ。
 EY8491 エティハド   17:40⇒成田空港    20:00
・・帰国

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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
 

 2018年04月27日(金)成田空港出発
 エティハド航空利用
 添乗員が同行し、お世話致します。



<最少催行人数 :1名から催行。添乗付きのみ。定員5名様>

人数 ご旅行代金 航空券代 合計
01名様でご参加の場合   2,490,000円 旅行代金に含まれます   2,490,000円
02名様でご参加の場合 1,650,000円 旅行代金に含まれます 1,650,000円
03名様でご参加の場合 1,380,000円 旅行代金に含まれます 1,380,000円
04名様でご参加の場合 1,290,000円 旅行代金に含まれます 1,290,000円
05名様でご参加の場合 1,200,000円 旅行代金に含まれます 1,200,000円
06名様でご参加の場合 −−−−−− −−−−−− −−−−−−
07名様でご参加の場合 −−−−−− −−−−−− −−−−−−
08名様でご参加の場合 −−−−−− −−−−−− −−−−−−
09名様でご参加の場合 −−−−−− −−−−−− −−−−−−
10名様でご参加の場合 −−−−−− −−−−−− −−−−−−
  お一人部屋追加料金      60,000円


●お申込期間:2018年03月27日(火)



●ご旅行代金には下記のものが含まれます*
 *宿泊: 下記のホテル または同等クラスのスタンダード部屋
  ・・コナクリ: ホテル・プティ・バトゥ(スタンダード部屋) または同等
  ・・ダラバ: ホテル・フータ SIB (スタンダード部屋) または同等
  ・・モンロビア: ロイヤル・グランド・ホテル(スタンダード部屋) または同等
  ・・フリータウン: ザ・カントリーロッジ・コンプレックス (スタンダード部屋) または同等
 *食事: 朝食6回/昼食5回/夕食6回
 *交通: 下記の車両/船舶を利用します。
   ・・ギニア:  送迎/観光ともに専用車(燃料代込)
   ・・リベリア: 送迎/観光ともに混載車(燃料代込)
   ・・シエラレオネ: 送迎/観光ともに混載車(燃料代込)
    船舶: 水上タクシー空港送迎/バンス島観光のボート/バナナ島観光の渡し舟
 *航空: 日本⇒ギニア⇒リベリア⇒シエラレオネ⇒日本 航空券(税・燃油代込)
 *案内: ギニア、リベリア、シエラレオネ いずれも英語ガイド兼運転手がご案内致します。
 *観光: 入場箇所の入場料/拝観料
 *税金: 宿泊税/観光税
 *添乗: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/観光同道経費/査証代/現地での通信費


●ご旅行代金に含まれないもの
 x 通信費: 現地でご利用になる通信費(電話/FAX/ネット)利用費用
 x 飲食代: 明記されない食事代/飲物代/お部屋のミニバーやルーム・サービス
 x 個人費: 洗濯代/ホテルや観光施設の有料サービス・施設使用料
 x 観光費: オプショナル・ツアー
 x 経由地: 経由地での諸経費
 x チップ: ガイドや運転手へのチップ/ホテルの枕銭
 x 渡航費: 旅券(パスポート)申請/更新/査証欄増補などの費用
 x 査証代: ギニア査証代金/リベリア査証代金/シエラレオネ査証代金


●旅券(パスポート)/査証(ビザ):
 ・・旅券(パスポート):
   ・帰国日の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間
   ・未使用の査証欄が左ページから連続2頁(見開き1頁)x3カ国分

 ・・査証(ビザ): ギニア/リベリア/シエラレオネの観光査証が必要です。

 【ギニア】
  @パスポート: 日本帰国の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間のある旅券
         未使用の査証欄が左ページから連続4ページ(見開き2頁)あること
  A顔写真 縦4.5cmx横3.5cm 3枚(背景は白)
  B黄熱予防接種証明書
  C申請書3部
  D家族からの身元保証書
  E査証料: ギニア     実費15,000円/申請手数料10,800円


 【リベリア】
  <必要書類>
   @上記の条件を満たす旅券
   A証明写真 縦4.5cmx横3.5cm 2枚(背景は白の無地。無帽)
   B英文銀行残高証明書
   C会社推薦状または登記簿の写し ⇒ これについてはお問い合わせ下さい。
    ・会社員=会社推薦状/自営業=定款/無職・学生=身元保証書
   D黄熱予防接種証明書
   E実費8,000円+手数料10,800円
   ※査証申請要綱は複雑なので、お申込時、ご説明致します。
   ※査証事情は流動的です。必ず、お問合せ時に、最新情報をお伝え致します。

 【シエラレオネ】 日本で申請し、空港到着時に取得します。
  <必要書類>
   @上記の条件を満たす旅券
   A実費US$180.00/申請手数料10,800円





電話でのお問合せは 080−5028−6007 まで

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・・・店長のシエラレオネの思い出・・・

1993年の12月15日。ギニアのコナクリーからの乗り合いタクシーで、陸路国境を越え、フリータウンにたどり着いたのは翌日の早朝。当時シエラレオネは夜間外出禁止令が発令されていて、夜9時から朝の6時までは車で移動することもできませんでした。フリータウンについて真っ先に向かったのは、ロンリープラネットにも載っていた古びた木造の宿シティホテルでした。そこのおじいさんが昔日本の漁船で働いていたということで、記憶を辿りながら、日本語でいろいろ話しかけてくれたのは驚き。思えば、シエラレオネで日本語を話すなんてまず普通では考えられないですよね。これが第一の驚き。
第二の驚きは、コットンツリーの周りを歩き回っていたとき、憲兵に検挙されたことです。通常アフリカでこういう状況に陥ると、賄賂をせびりまくられるのがオチですが、憲兵たちは「政府関係の建物の周りをうろついてるとスパイと間違えられるよ!」とか、日本のことをいろいろ聞かれたり、アフリカ放浪の旅を顛末を聞かれたり、シエラレオネの国内ではどこそこが危ないから行ってはいけないとか、どこの店のぶっ掛けご飯はおいしいとか、両替をするならレートのいい銀行を教えてあげる、今晩サッカーの試合があるので一緒に観戦しようとか・・・・・いままでのアフリカの官憲のイメージが崩れ去ってしまうような、不思議で暖かい時間を過ごしました。一銭もせびられるわけでもなく、おみやげを要求されるわけでもなく、仲良くなった1人の憲兵が市内の案内役まで買って出てくれました。
あれから不幸な内乱の業火にたたきこまれたシエラレオネであの親切な人たちがどうなったか知る由もありませんが、もし今回ご縁があって皆様とご一緒にフリータウンに行くことができたら、あの気のいい親切な友達の消息を聞いてみたいと思います。


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・・・店長のリベリアの思い出

2000年の9月。
内戦後、初めてリベリアに行った。
以前行ったときとは、政体も、何もかもが違う、いわば、新しい国に行くようなものだ。

リベリアに入国するためにはビザを取らなければならない。
日本にはリベリア大使館がある。
当然、日本人はそこでビザを取らなくてはならない。
訪れたリベリア大使館は、マンションの一室だった。
インターホンを押すと、地域住民のように着飾らない、気さくな大使が出迎えてくれた。
『こんにちは。リベリアに行きますか?』と、そのあとは英語での会話になった。
必要書類を提出、代金を払うと、『ちょっとまってください』といわれた。
大使はビザ発給を始め、10分ほどでビザができた。
頂いた麦茶と、近所から聞こえてくる風鈴の音が、ここが大使館だという事を忘れさせた。
まるで親戚の家に遊びに行ったような感覚がいつまでも残った。

アビジャンからモンロビアへの航空券は日本で購入した。
が、帰りの航空券は日本では買えず、当時流行りつつあったネットを使い、買い方を調べた。
モンロビア⇒アビジャンの便を持つのはウエワスア航空だという。
そしてその航空会社のオフィスは、アビジャンの空港の一画にあることがわかった。
アビジャンに到着するや、ウエワスア航空のオフィスに直行し、帰りの便を購入した。
そこのマネージャーさんは、駄菓子屋さんのおっちゃんのようなイメージだった。
カバンからノートを出し、運航スケジュールを見せ、どれにする?と聞いてくれた。
3日後のフライトを指差し、これを下さい、というと、手書きでチケットを発券してくれた。
「どこに泊まっているの?」「イビスです。」「何かあったら連絡するね」そんな会話をした。
翌日、空港にはあの、駄菓子屋のおっちゃんのようなマネージャーさんが改札をしてくれた。

リベリアに15年ぶりに入国したが、入国管理官が私服だったのには驚いた。
何か聞かれるでもなく、スタンプを押され、パスポートが戻された。
そのあと、荷物をピックアップして、税関を抜けたが、拍子抜けするほど、簡単だった。
出口を出ると、タクシーの運転手が、これにのりなよ!と声をかけてくる。
いちばん、商売っ気のない運転手さんに、モンロビアに連れて行ってもらった。
ホリデイ・インというホテル(あのチェーンではない)に泊まると、定額だけ受け取った。
「帰りも乗ってくれますか?」 アフリカ人には珍しい、口数の少ない、好男子だった。
ホリデイ・インは、博物館や、商店街に近く、観光には一番便利な立地だったと思う。
おっそろしく高いレストランがあるほか、何の変哲もないホテルだったが、みな親切だった。
ただ、リベリアの英語は聞きづらい。相手の親切が伝わるのに時間のかかる国だった。

廃墟が、あちこちにあり、夜になると、その中で灯りがゆらゆらと揺れている。
ホテルの従業員に、「あの灯りは何ですか?」と聞いた。
「ああ、あれは、田舎からモンロビアに出てきた人たちが勝手に住んでいるんです」という。
「あの人たちは、田舎には帰らないんですか?」と聞く。
「帰ろうにも、帰るお金がありません。だからお金が貯まるまで、あそこで暮らすんです。」
内戦の悲惨さは、内戦が終わった段階ではまだ終わっていないのだ。
翌日、その廃墟の前を通ったが、なるほど、あちこちに洗濯ものが干してある。
「Japan!こにちわ!」 廃墟から声が降ってきた。
見上げると、そこには・・・
たいへんな状況に置かれながらたくましくその日を生きる人たちの満面の笑みがあった。

帰りのウエワスア航空は、小型プロペラ・ジェット機で、定刻に出発した。
アフリカ最大級の熱帯雨林や蛇行するカフェオレ色の川の景観の上をゆっくりと飛んだ。
2泊3日で、モンロビアと近郊にしか行かれなかったが、この国は深く、印象に残った。