★西アフリカの知られざる国々シリーズ ★ ギニア/シエラレオネ/リベリア 10日間 西アフリカの国々。日本人にはなじみの薄い国々ですが、それでもマリ、ガーナ、 セネガルなど、日本人が旅行者として訪れる国々はいくつかあります。 その西アフリカの中で、一般の旅行者がなかなか行こうと思いつかない国々が あります。 そのうちギニア共和国、シエラレオネ、そしてリベリアを訪れます。 有名な観光地は少ないけれども、行く先々で人々の暮らしと歴史を垣間見ます。 ギニア アフリカ各国が欧州の植民地から独立をしてゆく中で、初代大統領セクゥ・トゥーレによる『隷属下での豊かさより、自由のもとで貧困を』の思想のもと、完全独立を目指した国です。旧宗主国フランスは独立を認める代わりに、フランスが作り上げた全ての物を本国に持ち帰り、 道路や施設を破壊したので、正にゼロ、貧困の中からスタートしました。 その後、社会主義政策に人権抑圧、軍事政権によるクーデターや暴動と、この国は常に時代の波に翻弄されてきました。今も激動の時代の余波は 続いているといえるでしょう。 この国を訪れる人は、現在進行形の歴史、そしてその歴史のうねりの中でたくましく生きる人々に会えるでしょう。 観光にはまだまだ手の回らない状況ですが、『西アフリカのスイス』とも称されるフータジャロン山地に少しずつ、欧米から観光客が来ています。 南部には世界自然遺産登録のニンバ山が聳え、幽玄の様相を呈しています。 <観光の見どころ> フータジャロン: 熱帯雨林とサバンナを分ける高原で、かつては独立国だった地域。 ガンビア川、セネガル川、ニジェール川の源流も近くにある。 イスラーム建築: フータジャロンのフーグンバやティンボにイスラーム王国であった 頃の名残があり、伝統的な茅葺建築が印象的。 民芸品の即売所: ギニアの民芸品は高品質。造形的に面白いものが多い。 <写真: (左)マムーのイメージ/(右)マムーの商館> <写真: (左)ティンボ周辺ののイメージ/(右)ダラバの首長の居館> <写真: (左)フータジャロンの家屋/(右)フータジャロンの家屋(イメージ)> シエラレオネ 1462年ポルトガルの航海士ペドロ・ダ・シントラにより『ライオンの山』と命名されたフリータウン半島はやがて英国の支配下に置かれました。 1579年に英国の奴隷商人ドレイクが来訪してから、1772年に奴隷制度が廃止されるまでは、バンス島を拠点とした奴隷貿易が行われました。 1787年、奴隷貿易廃止運動の志士グランビル・シャープを中心とした、第一次シエラレオネ入植を皮切りに、ノバスコシアからの解放奴隷船団や、ジャマイカからの元逃亡奴隷を乗せた船が次々とシエラレオネに来訪して、いまのシエラレオネ国の基礎が作られました。 1808年〜1960年の英国植民地時代を経て、1961年に独立。 その後不幸な内乱で、国土は疲弊し、経済も低迷しましたが、2002年に内戦は終結。 現在は観光を産業のひとつと位置付け、リゾートや観光地の整備もすすんできています。 動乱時には訪問が困難だった地域にも観光客向けのホテル等が建設中です。 チンパンジー保護区: タクガマ・チンパンジー保護区は、内戦時代に棲み家を失った チンパンジーたちを、保護しています。 奴隷貿易時代の史跡: バンス島(ベンス島)には、奴隷貿易隆盛時代の砦や奴隷を 積荷として保管する為の館の跡が残る。米国のコリン・パウエル元国務長官もこの島を 訪れ、自分のルーツを感じるとのコメントを残しました。 奴隷貿易の時代の遺跡や、入植者たちの墓地が残されています。 ボートを利用します。 バナナ・アイランド: フリータウン半島の南沖に浮かぶ、細長い島です。 ダブリン村周辺に奴隷貿易の史跡が残っています。 <フリータウン市内写真: (左)コットン・ツリー/(右)マルーン教会> <フリータウン郊外写真: (左)解放奴隷の屋敷/(右)タクガマのチンパンジー> <フリータウン半島写真: (左)バンス島/(右)バナナ島の民家> リベリア 1816年米国で設立された米国植民協会が、アフリカ系奴隷の故郷への帰還を計画、1822年に最初の解放奴隷が乗る船団が現在のリベリアに到着。1824年にはそれまでメスラド岬植民地と呼ばれていたこの地は、リベリアと改名され、更に多くの解放奴隷が入植。 1847年7月26日には、合衆国憲法を基本とした憲法を制定し、ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツを初代大統領として独立を果たし、以来独立を守り続けています。 入植者即ち解放奴隷の子孫はアメリコ・ライベリアンと呼ばれ、先住民を差別、抑圧した為、先住民族との間に確執が生じ、たびたびそれは暴動・内乱へ発展。1980年、先住民族出身のドゥがクーデターで政権を奪取、以降二度の内戦、ドゥ虐殺、政権を手にしたチャールズ・テイラーによるシエラレオネ内戦関与と、動乱が続きましたが、2006年による動乱の終結とともに、少しずつではありますが、国家再建の兆しをみせています。 プロビデンス島: リベリア発祥の地と言える場所。1818年、アメリカ政府は解放奴隷 の居住地として、モンロビアの湾口に浮かぶこの島を、土地の首長から割譲させました。 ウォーターサイド・マーケット: モンロビア最大のマーケット。カラフルで、活気がある。 モンロビア市民の胃袋をささえる台所の役割を果たしています。 民芸品: モンロビアの街中には、古色を帯びた儀式用の仮面や木彫りの像を売るお店 がいくつかあります。また、空港と市内の間にはかごを売る店もいくつかあります。 <モンロビア写真: (左)プロビデンス島島/(右)ウォーターサイド・マーケット> フリータウン、モンロビアでは滞在延長延泊が可能です。お問い合わせ下さい! ■添乗員つきの手配旅行です。全行程、添乗員が同行し、お世話致します。 ●復路、経由地で途中降機が可能です。お問合せ下さい。 ★店長のシエラレオネの思い出はこちら