■シリーズ 神話のふるさと■ 日本全国、とくに西日本に多い神話のふるさとを歩くシリーズが始まりました。 奈良時代に編纂された『古事記』『日本書紀』には、天地創造から始まる日本神話が つづられ、それを以て日本の歴史とされています。 朝廷に仕える力ある豪族たちは、もしかしたらその歴史書の中に、自身の祖先の偉業を 織り込むことに狂奔したとしても、無理からぬことかもしれません。 神話の世界は、決して荒唐無稽ではなく、何かの事象を紐解く鍵になるかもしれません。 今回は、天孫降臨とは別に、同じように降臨したもう一人のヒーローの舞台を歩きます。 ニギハヤヒと呼ばれるその神は、土豪ナガスネヒコの妹を妻に迎えたとされます。 ナガスネヒコはニギハヤヒを奉じて、神武天皇の東征の前に立ちはだかります。 しかし、神武天皇を天孫であることを知ったニギハヤヒは帰順、ナガスネヒコを成敗します。 ナガスネヒコの死後、ニギハヤヒは大和平定のヒーローに位置付けられます。 そして、子孫は物部氏や穂積氏、熊野国造として栄えたといわれています。 ニギハヤヒの神話を歩く ニギハヤヒは、日本の神話に登場する神で、古事記では『邇藝速日命』、日本書紀で は『饒速日命』と記されます。 別名は『櫛玉命』または『天照国照彦火明櫛玉饒速日命』で、物部氏、穂積氏、熊野 国造の祖先と言われています。 日本書紀などによると、高天原から天磐船に乗って河上の地に天降り、その後、大和 国に移動したとされています。 大和朝廷が成立する以前、河内国の北東部〜大和国の北西部に興り、版図を広げて いった古豪族の象徴とも考えられます。 古事記によると、神武天皇の神武東征の際、土豪として立ちふさがったナガスネヒコ (長髄彦)が奉じる神として登場します。 饒速日命は、ナガスネヒコの妹であるトミヤスビメ(古事記では登美夜須毘売/日本 書紀では三炊屋媛)を妻としたとされています。 ニギハヤヒの天磐船での降臨の神話は、天孫降臨とは別系統の神話です。 高千穂に降臨した天孫の子孫と、河上に降臨した天つ神のグループとが、現在の生駒 で出会う形となっています。 初めは神武天皇の対抗勢力として立ちはだかるナガスネヒコに奉じられていました が、ナガスネヒコ敗退後、神武天皇に降ったとされます。 神話は荒唐無稽なフィクションではなく、編纂の際に、大和朝廷を支えるたちに伝わ る伝承・伝説が盛り込まれたとも考えられます。 今回の旅では、天孫とは別のルートで降臨した天つ神の神話のふるさとを歩きなが ら、古代の大和の実像を想像してみます。 磐船神社 天孫降臨の舞台は日向国の高千穂峰と記されています。 古事記によると: 天照大御神と高御産巣日神は、天照大御神の子・正勝吾勝勝速日天忍穂耳命に、平定 した葦原中国に下るよう、命じます。 しかし、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命は、「準備をしていたら子が生まれたので、その 子を降臨させましょう」といいます。 その子である邇邇藝命が、降臨した場所が高千穂峰とされています。 しかし、その神話とは別に、河上(現在の大阪府)に降臨したのがニギハヤヒで、彼 は天磐船に乗って降臨したと言います。 その天磐船が石化したのが、大阪府交野市私市の磐船神社のご神体になっています。 古くから修験道の行場であった岩窟や、周辺に点在する磐座(いわくら)をハイキン グで訪れます。 ニギハヤヒの神話のふるさと ニギハヤヒは、現在の生駒を本拠地にしていたとされる土豪ナガスネヒコとその一党 に奉じられていたといいます。 磐船神社から東生駒駅に至る街道沿いやその周辺には、ニギハヤヒ関連の神話のふるさとが数多く残っています。 神武天皇に降り、ナガスネヒコを退治することになるニギハヤヒと、神武天皇関連の 伝説地が点在しています。 今回はその中から、伝説・神話の舞台を示す石碑のある場所、古代の神域であった磐 座のある場所を訪れます。 神話を紐解きながら、実際に勢力を持っていた土豪の古跡を訪ねてみましょう。