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2018年11月04日(日)JR長崎駅集合
明治維新150年記念コース
長崎幕末維新史跡探訪4日間
明治維新の震源地・長崎を歩く
石碑や銅像でたどる日本と世界が繋がった街
ここがポイント!

■現在残る石碑や像でたどる、明治維新の震源地

 ※このコースは『肥前佐賀幕末維新史跡探訪4日間』と組み合わせることができます。

<長崎/幕末維新史跡散歩>


 
 明治維新を牽引した薩長土肥も、維新までの軌跡はまったく異なったものでした。
 明治維新から150年たった今、薩長土肥四藩を比べてみるのも面白いでしょう。
 文久以来幕府に対し、明確に対抗姿勢をとり、政治的試行錯誤を繰り返した長州。
 藩から差別を受けたことで、脱藩して封建制度打倒運動を行った土佐の郷士たち。
 挙国一致の近代化を推進するために幕政に接近、最終的に幕府を見限った薩摩。
 大政奉還も王政復古も傍観、近代化普及のため幕府を倒すべく立ち上がった佐賀。


 長崎は、江戸幕府が鎖国(厳密には鎖国ではなく、徳川宗家が貿易の利益を独占
 するために他の豪族に対し海外との交易を禁止したの政策)を行っていた時代、
 ヨーロッパからは唯一、オランダのみが貿易を許され、日本に渡航していました。
 長崎は、オランダが入港できる唯一の港で、オランダ商人たちは出島と呼ばれる
 土地に隔離されていました。いつの頃か日本人も出島に出入りし、ヨーロッパの
 学問を学ぶことができるようになりました。『蘭学』の誕生です。医家や通詞の
 一族から蘭学者が出て、蘭学が広まると、全国の蘭学を学ぶ意欲のある者たちは、
 長崎を目指すようになりました。ドイツの医師シーボルトは、オランダ人と偽り、
 日本にやってくると、高橋景保の献言により幕府が長崎の近郊の鳴滝で塾を開く
 ことを許可しました。シーボルトは芸者であったお瀧と結婚し、長崎に居住し、
 多くの若者を育てました。蘭方医として最初の幕府奥詰医師となった伊東玄朴、
 蛮社の獄で咎人となった蘭学者・高野長英、日本最初の蘭方の産科医・石井宗謙、
 日本最初の蘭方の眼科・高良斎、大村益次郎を宇和島に招聘した医師・二宮敬作、
 本草学の先駆者・伊藤圭介などがシーボルトの門下として後の世に足跡を残し、
 日本の近代化の一端を担いました。娘イネは日本最初の産科女医になっています。

 長崎は外国船が入出港する特別な場所として、九州の雄藩がその警護を命じられ
 ました。福岡藩と肥前佐賀藩です。福岡藩は、律儀にひたすら警護を勤めました。
 しかし肥前佐賀藩は、長崎に入港するオランダ船とその乗組員、オランダ文化に
 好奇心を抱き、江戸時代を通じ、積極的に蘭学を学んだ形跡があります。とくに
 第十代藩主・鍋島直正(閑叟)は蘭学を奨励し、多くの藩士に西洋文明を学ばせ
 佐賀藩の産業革命、富国強兵を志しました。肥前佐賀藩は二重鎖国をし、自らを
 隔離し、密貿易を含む独自の政策で、財政改革を行って裕福になっていました。
 肥前佐賀藩は、幕府が長崎海軍伝習所を設立すると、伝習生を送り込み、海軍を
 はじめ、科学や語学等を外国人教官から直接学ばせました。佐賀に反射炉を造り、
 大砲を量産し、三重津海軍所を建造し、蒸気船まで国産し、国の行く末を見守り、
 最終段階で幕府を見限り、新政府軍に加わって戊辰戦争に従軍、明治の太政官に
 政治家や官僚を送り込み、薩長土肥といわれる明治維新の功労藩となりました。

 もうひとつの勢力に、土佐の郷士たちがいます。土佐は関ヶ原以降、山内一豊の
 子孫と眷族、山内家の家臣たちによって、統治されてきました。もとの統治者の
 長宗我部氏の家臣で、半士半農の『一領具足』と呼ばれた家臣団は、藩政に参加
 することを許されず、殆どが帰農したり、郷士と呼ばれる身分に分類され、差別
 を受けました。武市半平太(瑞山)、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎という
 土佐の維新の英雄は、みな庄屋や郷士の出身です。黒船来航により、列強により
 日本が蹂躙される危機感から、彼らは尊皇攘夷に傾きますが、当然、藩では活動
 することができず、志ある者達は土佐藩を脱藩し、長州藩をはじめとする藩外に
 活動の場を求めました。坂本龍馬等は幕臣・勝海舟の門下生となり、航海術等を
 学び、やがて薩摩藩の庇護の下、商社兼私設海軍の亀山社中を長崎に起業します。
 彼等は武器弾薬や軍艦等を薩摩藩の名目で欧米から購入すると、幕府に対抗して
 征伐を受けていた長州藩にそれを横流しし、長州藩の勝利に貢献することになり
 ます。天誅組の変、生野の変、池田屋事件、禁門の変、大坂ぜんざい屋の変等で
 多くの土佐郷士たちが命を落としてゆきますが、一方で、長崎を拠点に活躍した
 集団もありました。それこそが亀山社中で、その活躍は、土佐藩でも認めざるを
 得なくなり、やがて家老・後藤象二郎は、坂本龍馬と清風亭にて和解しました。
 弾圧する側とされる側、土佐藩の上士と郷士が、長崎で連携して土佐藩のために
 やがては日本のために、国力増強を図ったことは、歴史上の軌跡かもしれません。
 長崎は、幕末ゆかりの地の中でも、特別な場所であることは間違いありません。
 幕府により長崎海軍伝習所が創設され、そこで学んだ勝海舟は挙国一致の海軍の
 設置を目指し海軍操練所を設立。そこで影響を受けた坂本龍馬等が長崎に商社を
 起業し、薩長同盟に代表される雄藩連携を図り、それが旧弊然とした幕府勢力を
 駆逐し、明治維新への橋渡しをしたと考えると、非常に感慨深いものがあります。
 末期の長崎奉行・河津佑邦は、どのような思いで長崎を去ったか、興味深いです。



長崎の史跡群:

 後藤象二郎 (1838-1897) 邸:
  後藤象二郎は土佐の上士の家に生まれ、吉田東洋の甥にあたります。はじめ
  武市半平太の組織する土佐勤王党と敵対、吉田東洋が暗殺されると、彼らを
  弾圧します。のち、土佐商会を立ち上げるため長崎に渡来し、現在の五島に
  屋敷を構えます。清風亭での亀山社中との和解を経て、彼らを海援隊として
  召し抱え、いろは丸事件の際には、彼らを庇護して紀州藩と対立しました。

 土佐商会跡:
  土佐商会は土佐藩の長崎における出張所で貿易の拠点として設営されました。
  後藤象二郎に主任として任命されたのが三菱の創始者・岩崎弥太郎でした。

 薩摩藩蔵屋敷跡:
  薩摩藩の長崎における蔵屋敷で貿易の拠点として利用されていました。家老・
  小松帯刀が監督しており、薩長密約により、薩摩藩が亀山社中に、薩摩藩の
  名目で武器・弾薬・軍艦を購入させ、それを長州藩に横流ししていました。
  伊藤博文や井上馨、楫取素彦といった長州藩士も密かに出入りしていました。
  この秘密の武器調達により、長州藩は四境戦争で幕府軍に大勝できました。

 長崎新地中華街:
  鎖国時代、中国人は唐人屋敷に隔離されていましたが、開国とともに居住を
  許され、新地に居住地ができました。長崎ちゃんぽんのお店が並んでいます。

 出島(出島和蘭商館跡):
  寛永18(1641)年に、平戸からオランダ商館が出島に移されて、以降、
  幕末まで、日本(江戸幕府)とオランダとの唯一の通商の舞台となりました。

 オランダ坂:
  幕末の開国後、長崎の南山手地区と東山手地区は、外国人居留地と定められ、
  ロシア領事館、商館等が建てられました。長崎の幕末史を見てきた石畳です。

 グラバー邸:
  スコットランド出身のトーマス・グラバーは安政6年(1859)年に来日、
  グラバー商会を立ち上げました。坂本龍馬の亀山社中や、岩崎弥太郎の土佐
  商会、伊藤博文や井上馨や井上勝ら長州藩留学生、森有礼ら薩摩藩留学生の
  面倒を見たことで、知られています。日本に骨を埋めた外国人のひとりで、
  妻のおつるさん、息子の倉場富三郎とともに長崎の国際墓地に眠っています。

 大浦天主堂:
  戦国時代末期に殉教した26聖人に奉納する為、開国後の元治元(1864)
  年に建立された教会堂です。ファサードが殉教地を向け、建てられています。
  大浦天主堂が建てられたことで、キリシタン禁教が解かれたと認識した隠れ
  キリシタンがこっそりと訪れたそうです。幕府も初期の明治政府も、禁教を
  解いた覚えはなく、その後、浦上四番崩れと連なる弾圧が続けられました。

 丸山遊郭跡:
  長崎を代表する遊郭で、各藩の志士たちもここで遊んだとか、遊ばないとか。
  福岡藩士による英国水夫殺害事件『イカルス号事件』はここで怒りました。

 史跡料亭『花月』:
  長崎を代表する丸山遊郭にあった料亭・花月は、幕末の志士たちと、外国人
  商人たちとの商談場所であったそうです。現在も料亭として営業しています。

 高島秋帆邸跡:
  高島秋帆は日本最初の西洋砲術による演習を、武州・徳丸ヶ原で行いました。
  アヘン戦争で清国が敗れ、西洋列強の脅威を感じ、幕府に軍備強化を提言。

 清風亭跡:
  土佐藩参政(家老)後藤象二郎と、土佐脱藩浪士・坂本龍馬は、藩組織VS
  土佐勤王党員という構図で、敵対関係にありました。土佐商会を立ち上げた
  土佐藩と、私設海軍を有していた亀山社中が互いに土佐藩のために、利益を
  あげるべく談判が行われたのが清風亭です。両者は和解、龍馬は脱藩の罪を
  許され、亀山社中は土佐藩の外郭団体として海援隊を名乗ることになります。

 眼鏡橋や石橋群(ハートの石を探してみましょう):
  日本最古の石造アーチ橋と言われています。正確な建造年代は不明ながら、
  僧侶や通詞、豪商等が金を出し合って便宜を図るため、橋を架けたようです。

 近藤長次郎 (1838-1866) 碑:
  近藤長次郎(近藤昶次郎)は、土佐の饅頭屋に生まれ、土佐では河田小龍、
  江戸では安積艮斎に学び、その秀才ぶりを山内容堂に認められ、名字帯刀を
  許され、後に神戸海軍操練所に入学しました。坂本龍馬とともに亀山社中を
  設立し、トーマス・グラバーを介して購入した小銃や汽船(ユニオン号)を
  長州藩に売るなど、活躍しました。禁門の変以来、朝敵となった長州藩には
  諸外国は公然と武器を販売することができなかったため、亀山社中は薩摩の
  名目で武器を購入し、それを長州に横流ししたと言われています。薩摩藩の
  家老・小松帯刀の口利きとトーマス・グラバーの手配で、イギリスに密航を
  する手筈を整えていた長次郎は、密航が亀山社中の社是に反するという事で
  亀山社中を援助していた豪商・小曽根乾堂の屋敷で、切腹させられました。
  切腹を命じたのは陸奥宗光等であったといい、龍馬はその死を悼みました。



 風頭公園:
  風頭公園は、坂の町長崎を象徴するような公園です。長崎通詞の一族の墓。
  はじめ、幕末維新に活躍した幾多の人物の墓があります。主な墓は下記を!

 本木昌造 (1824-1875) 墓: 元オランダ通詞。わが国の近代印刷の先覚者

 楠本イネ (1827-1903) 墓: シーボルトの娘でわが国最初の産婦人科の女医

 楠本イネ、お瀧、二宮敬作碑: 瀧はシーボルトの妻で、二宮敬作は弟子。
  シーボルトは日本滞在中、お瀧と結婚し、イネをもうけました。二宮敬作は
  宇和島藩で蘭学を教え、長州から大村益次郎を招聘して、職人・前原巧山と
  引き合わせ、蒸気船の建造の橋渡しをしました。イネはシーボルトの弟子の
  石井宗謙と結婚して、高子をもうけますが、離婚。高子は敬作の甥にあたる
  三瀬諸淵と結婚しましたが、離婚しました。イネは大村益次郎が襲撃され、
  死去するまでの二カ月間、つきっきりで看護をしたことで知られています。

 上野彦馬 (1838-1904) 墓: わが国における写真撮影の先駆者のひとりです。

 坂本龍馬 (1836-1867) 像: わが国最初の商社のひとつ、亀山社中を設立。
  亀山社中の構成員には、龍馬の甥・高松太郎、妻お龍の妹の夫・菅野覚兵衛、
  切腹した近藤長次郎や、後の外務大臣・陸奥陽之助(宗光)等がいました。

 大浦お慶 (1828-1884) 墓: 日本茶の輸出貿易の先駆者である女性豪商です。
  盟友小曽根乾堂・英四郎兄弟とともに亀山社中の面々、諸藩の勤王の志士を
  支援しました。佐賀の大隈重信や、薩摩の松方正義も世話になったそうです。

 小曽根乾堂 (1828-1885) 墓: 小曽根乾堂は、長崎の豪商です、亀山社中と、
  その後身である海援隊は、小曽根乾堂の屋敷の離れで活動をしていました。
  明治維新後、乾堂は勅命により御璽・国璽を刻したことで知られています。

 小曽根英四郎 (1840-1890) 墓: 小曽根英四郎は乾堂の弟で、豪商であり、
  勤王の志士でもありました。坂本龍馬と妻のお龍が長崎に到着してからは、
  坂本夫妻の面倒をみ、後に海援隊ができるとその会計官として活躍しました。

 亀山社中跡:
  亀山社中は、坂本龍馬や近藤長次郎、陸奥宗光によって設立された、わが国
  最初の商社でした。禁門の変で朝敵となった長州藩に対して、江戸幕府は諸
  外国の商人に圧力をかけ、武器や軍艦を売らないようにしていました。亀山
  社中は、薩摩藩の名目で武器や軍艦をグラバーを通して購入して、長州藩に
  横流ししました。長州藩は、不作であった薩摩に米を都合して、龍馬と同じ
  土佐の中岡慎太郎が提案した薩長同盟の切っ掛けとなりました。亀山社中は
  商社であると同時に、坂本龍馬の私設海軍であり、社中の面々はユニオン号
  改め乙丑丸に乗船し、幕府と長州との戦いで、長州藩を援護射撃しました。

 玉川亭跡:
  玉川亭は幕末の長崎に存在した料亭です。坂本龍馬等の土佐藩士/浪士や、
  桂小五郎、井上馨、伊藤博文等の長州藩士がよく会合に使っていました。

 イカルス号事件調査史跡/長崎奉行所立山役所跡:
  慶応3(1867)年7月6日、花街の円山町でイギリス軍艦イカルス号の
  水夫2名が暗殺されました。海援隊士に疑いが向けられ、犯人捜索は土佐に
  及びます。坂本龍馬の死後も、英国公使ハリー・パークスは海援隊士を疑い、
  犯人の引き渡しを要求。佐賀藩士で外国事務局判事・大隈八太郎重信等は、
  再調査を行い、福岡藩士・金子才吉が下手人であることを突き止めました。
  金子才吉は、花街・丸山で酔って寝込んでいた水夫たちを憎悪し、斬殺した
  ものの、国際問題に発展することを恐れ、すでに自刃していました。これで
  海援隊への嫌疑は晴れましたが、龍馬も沢村惣之丞も既に他界していました。

 いろは丸事件談判地/聖福寺:
  慶応3(1867)年4月23日、伊予大洲藩の船籍で海援隊がリースした
  いろは丸が、紀州藩の軍艦・明光丸と備中国笠岡諸島の六島沖で衝突、沈没。
  坂本龍馬をはじめ、乗組員は、紀州藩を相手取り、損害賠償交渉を鞆の浦で
  開始しましたが、談判途中で明光丸は長崎に向けて出航したため、その後を
  追いました。長崎奉行所に於いて、土佐藩(土佐商会/海援隊)は、参政・
  後藤象二郎を代表として談判を再開、ついに紀州藩は賠償金8万3526両
  198文を支払うことで決着。その後、減額され、7万両が支払われました。
  わが国最初の海難審判事故として有名です。聖福寺は最終談判の史跡です。

 沢村惣之丞 (1843-1868) 墓/本蓮寺:
  土佐の地下浪人の家に生まれ、武市半平太(瑞山)の土佐勤王党に参加して
  文久2(1862)年、天誅組で有名な吉村虎太郎とともに土佐藩を脱藩。
  後に一旦帰藩するも、坂本龍馬とともに再び脱藩。勝海舟に師事し、神戸の
  勝海舟の海軍塾に学び、亀山社中設立に尽力。坂本龍馬が暗殺されると陸奥
  宗光等と共に、黒幕と目された三浦休太郎を襲撃するも失敗。明治維新後に
  長崎奉行所跡地で長崎警備の任についていましたが、薩摩藩士・川端平助を
  誤殺し、薩摩藩との軋轢を恐れた惣之丞は、薩摩藩士の制止にもかかわらず
  責任をとって切腹しました。政治的空白地長崎で起きた悲劇といえましょう。

 長崎公園:
  長崎公園には、長崎が生んだ幕末維新の偉人たちのモニュメントや、明治の
  日本最初の罐詰製造地標柱などの産業の発祥地等の史跡が点在しています。

 杉亨二 (1828-1917) 碑:
  杉亨二は、長崎通詞の家に生まれ、通称は純道、のちに亨二と改めました。
  勝海舟が江戸で蘭学塾を開くと、押しかけて弟子になり、すぐに頭角を現し、
  塾頭になります。子母澤寛の『勝海舟』では主要な登場人物のひとりです。
  蕃書調所や開成所で教授を務め、日本における統計学の先駆者となりました。
  長崎市統計課が命日の12月4日に献花式を行っている事で知られています。

 森山栄之助 (1820-1871) 顕彰碑:
  森山栄之助はオランダ通詞の家に生まれ、森山多吉郎の名で知られています。
  幕末、イギリスやアメリカなど英語圏や、フランスからの渡航者が増えると、
  オランダ語よりも英語やフランス語が必要不可欠と認識して、英語、仏語を
  学びました。森山栄之助の語学力は幕府から注目され、欧米諸国との条約の
  締結に大いに貢献しました。幕府滅亡後、明治4年に横浜で亡くなりました。

 ラナルド・マクドナルド顕彰碑:
  幕末の黒船来航は、オランダしか西洋を知らなかった幕府を震撼させました。
  アメリカのオレゴンで生まれたラナルドは漂流者でしたが、誠実な人柄で、
  長崎奉行所に認められ、折から英語習得が必要不可欠な状況であったため、
  森山栄之助ほか、通詞十四名に英会話を伝授しました。後年、帰国した彼は
  アメリカ議会に対し、日本は法治国家であり、民度が高いと報告をしました。

 大浦けい (=大浦お慶 1828-1884) 居宅跡<万屋町>:
  亀山社中の面々や、志士たちの庇護者であった女性の豪商・大浦お慶は油商
  大浦家に生まれました。油に限界を感じた彼女は日本茶輸出で成功しました。

 小曽根邸の跡:
  勝海舟や坂本龍馬、近藤長次郎などを支援した豪商・小曽根乾堂と英四郎の
  兄弟が起居した屋敷跡です。近藤長次郎はここの梅花書屋で切腹しました。

 福地源一郎 (1841-1906) 生誕の地:
  福地源一郎(桜痴)は、現在の長崎市油屋町の医家に生まれました。幕府に
  仕え、文久元年と慶応元年に幕府使節の一員として渡欧、江戸城無血開城後、
  東征軍の占領する江戸で江湖新聞を発行、太政官を批判したため逮捕され、
  わが国における筆禍事件の渦中の人物となりました。明治7年東京日日新聞
  入社、啓蒙活動を開始します。晩年は歌舞伎の台本の執筆など行いました。

 お龍さんと月琴:
  坂本龍馬の妻・楢崎お龍は、坂本龍馬とともに、長崎に滞在していたことが
  あります。その際、月琴を習ったと言われ、その記念像が建てられています。

 上野彦馬 (1838-1904) 生誕地:
  島津斉彬、坂本龍馬、高杉晋作等の撮影をしたり、西南戦争に従軍して日本
  最初の戦場カメラマンとして活躍しました。本業は蘭学者だった人物です。

 上野彦馬宅跡:
  上野彦馬がカメラマンとして活躍していた頃の屋敷の跡です。通りを挟んだ
  向かい側には、上野彦馬のスタジオ=写真館(上野撮影局)がありました。

 上野撮影局跡:
  恐らく日本で最初のスタジオ=写真館であったと思われます。坂本龍馬も、
  長崎滞在中に、今も残る有名な懐手をし、靴を履いた立像を写しています。

 梶クマの墓/寶磐山・聖無動寺:
  勝海舟の長崎における恋人で、後に梅太郎を産んだ梶クマ(お久)のお墓が
  あります。彼女が海舟の草履の切れた鼻緒を直したのがきっかけだったとか。

 勝海舟寓居の地/本蓮寺:
  黒船来航により泰平の眠りを覚まされた日本(江戸幕府)は、開国か攘夷か、
  どう、外国と向き合ってゆくか、老中首座・阿部正弘を中心に、広く意見を
  求めました。当時、一介の蘭学者であった幕臣・勝海舟は目付・大久保忠寛
  (のちの一翁)を通し、海軍設立の意見書を提出しました。やがて、幕府は
  長崎奉行所の一画に、長崎海軍伝習所を設立しました。勝海舟は総監・永井
  尚志の下、生徒監として第一期生とともに長崎に来ました。勝海舟はここで
  四年間(榎本武揚等、第二期生が入れ替わりに来た際にも引き続き生徒監を
  勤めました)過ごし、現地の梶ひさと恋愛関係になり、子をもうけました。

 長崎海軍伝習所跡:
  長崎海軍伝習所は幕府海軍創設のため、士官や技師養成を目的として、長崎
  奉行所の一画に設立されました。勝海舟、榎本武揚、矢田堀鴻、中島三郎助、
  松本順(良順)、小野友五郎、赤松大三郎則良、沢太郎左衛門、田辺蓮舟と
  いった幕臣の精鋭のほかに、薩摩藩士の川村与十郎純義/五代才助友厚等、
  佐賀藩の佐野栄寿左衛門常民/真木安左衛門長義/中牟田倉之助/からくり
  儀右衛門こと田中久重等が近代海軍や科学を学びました。第一期から第三期、
  四年にわたり近代日本に貢献した人材を育成し、安政6年に閉鎖されました。
  箱館戦争で戦った榎本武揚と中牟田倉之助は、伝習所の先輩と後輩でした。


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維新胎動の地・長崎

 
長崎に3泊4日します。


◎集 合: 2018年11月04日(木) 13:45 JR長崎駅の改札口に集合!

◎代 金: お問い合わせ下さい

◎経 路: 長崎までの経路に関しては、お問い合わせ下さい。

◎コース: 長崎市内は公共交通機関で移動し、各観光スポットは徒歩で周ります。

◎宿 泊: 当プログラムでは、長崎市内のホテルまたは旅館に宿泊。

◎食 事: 長崎駅到着日の夕食から<朝食3回/昼食2回/夕食3回>


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<01日目>11月04日(日)
■行程: 日本各地→長崎駅(例は下記のスケジュールをご参照ください)→長崎
・・移動: ご自身でJR長崎駅にお越し下さい。
 2018年10のスケジュール(運航スケジュールは予告なく変更になる場合もあります)

のぞみ11
 07:30  東京発
 07:37  品川発
 07:49  新横浜発
 09:13  名古屋発
 09:50  京都発
 10:05  新大阪発
 10:18  新神戸発
 10:51  岡山発
 11:27  広島発
 11:58  新山口発
 12:17  小倉発
 12:33  博多着


かもめ21
 12:55  博多発
 13:15  鳥栖発
 13:19  新鳥栖発
 13:32  佐賀着
 13:33  佐賀発
 13:42  肥前山口発
 13:52  肥前鹿島発
 14:32  諫早発
 14:47  浦上発
 14:50  長崎着
 

・・集合: 
長崎駅改札に15:00
*誘導: 長崎駅から旅館/または/ホテルまでは公共交通機関でご案内致します。
*夕食: ホテル または 旅館
*宿泊: ホテル または 旅館
     ・ ホテル龍登園(デラックス)または同等
     ・ 旅館あけぼの(スーペリア)または同等
     ・ たつみ旅館(バジェット)または同等

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<02日目>11月05日(月)
■行程: 長崎【明治維新150年】
*朝食: ホテル または 旅館

*観光: 午前、長崎市内の徒歩観光
<テーマ1: 近代化を模索する江戸幕府>
 〇出島(出島和蘭商館跡)
 〇高島秋帆邸跡
 〇
長崎海軍伝習所跡
 〇勝海舟寓居の地<本蓮寺>
 ◎長崎公園
 〇
杉亨二碑
 〇
森山栄之助顕彰碑
 〇
ラナルド・マクドナルド顕彰碑
 〇長崎新地中華街
 ◎大浦天主堂


*昼食: ローカル食堂(長崎ちゃんぽん)

<テーマ2: 長崎が生んだ偉人たち>
 〇勝海舟の恋人・梶クマの墓<寶磐山・聖無動寺>
 ◎
風頭公園
 〇
本木昌造墓
 〇
楠本イネ墓
 〇
楠本イネ、お瀧、二宮敬作碑
 〇
上野彦馬墓

 〇大浦お慶墓
 〇
小曽根乾堂墓
 〇
小曽根英四郎墓

 〇大浦けい居宅跡
 〇
小曽根邸の跡
 〇
福地源一郎生誕の地
 〇
上野彦馬生誕地
 〇
上野彦馬宅跡
 〇上野撮影局跡

*夕食: ホテル または 旅館
*宿泊: ホテル または 旅館
     ・ ホテル龍登園(デラックス)または同等
     ・ 旅館あけぼの(スーペリア)または同等
     ・ たつみ旅館(バジェット)または同等

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<03日目>11月06日(火)
■行程: 長崎
*朝食: ホテル または 旅館

*観光: 午前、長崎市内の徒歩観光
<テーマ3: 土佐の郷士、長崎に会社を設立>
 〇沢村惣之丞墓<本蓮寺>
 〇
坂本龍馬像<風頭公園>

 〇お龍さんと月琴
 〇
後藤象二郎邸
 〇
土佐商会跡
 〇
薩摩藩蔵屋敷跡
 〇
丸山遊郭跡
 〇
史跡料亭『花月』
 〇
清風亭跡
 〇
眼鏡橋や石橋群(ハートの石を探してみましょう)
 〇
近藤長次郎碑
 〇
亀山社中跡
 〇
玉川亭跡
 〇
イカルス号事件調査史跡の長崎奉行所立山役所跡
 〇
いろは丸事件談判地の聖福寺

*昼食: ローカル食堂

*観光: 午後、長崎市内の徒歩観光
<テーマ4: グラバー、維新の志士となる>
 〇オランダ坂
 ◎
グラバー邸

*夕食: ホテル または 旅館
*宿泊: ホテル または 旅館
     ・ ホテル龍登園(デラックス)または同等
     ・ 旅館あけぼの(スーペリア)または同等
     ・ たつみ旅館(バジェット)または同等


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<04日目>11月07日(水)
■行程: 長崎→
*朝食: ホテル または 旅館
(→日本各地)
*朝食: ホテルまたは旅館
*誘導: 長崎駅までご案内致します。

・・移動: 解団。JRで各自、帰途へ。

かもめ18号
 11:20  長崎発
 11:24  浦上着
 11:38  諫早着
 12:15  肥前鹿島着
 12:25  肥前山口着
 12:34  佐賀着
 12:35  佐賀発
 12:47  新鳥栖着
 12:51  鳥栖着
 13:13  博多着

のぞみ36
 14:10  博多発
 14:26  小倉着
 14:45  新山口着
 15:16  広島着
 15:52  岡山着
 16:25  新神戸着
 16:38  新大阪着
 16:54  京都着
 17:31  名古屋着
 18:54  新横浜着
 19:06  品川着
 19:13  東京


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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
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 2018年11月04日(日)長崎駅に15:00集合
*現地参加はできません。必ず1カ月前までにご予約下さい。


●ご旅行代金(最少催行人員1名様~定員6名様)
 お問い合わせ下さい。

●ご旅行代金には下記のものが含まれます*
 *交通費: 長崎市内の鉄道、バス、タクシーなどの公共交通機関
 *宿泊費: 
  ≪長崎≫
     ・ ホテル龍登園(デラックス)または同等
     ・ 旅館あけぼの(スーペリア)または同等
     ・ たつみ旅館(バジェット)または同等

 *ガイド/添乗員費用(東京からの往復切符、長崎での前泊代・食費を含みます)
 *食事: 朝食3回/昼食2回/夕食3回
 *長崎観光経費
  
●旅行代金に含まれないもの
 ・・長崎駅までの往復交通機関
 ・・前日までに到着される方、解散後の旅行の、交通費・宿泊費・観光費用
 ・・その他、個人的な支払い(電話、FAX、ネット通信費/明記されていないお食事/
   お飲み物)とそれに関わる税金、サービス料




 

電話でのお問合せは・・・・080-5028-6007 まで
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