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2018年10月28日(日)
明治維新150年シリーズ
東京〜激動の維新史を歩く 2
豪徳寺/松陰神社
東急世田谷線・宮の坂駅集合
ここがポイント!


東京〜激動の維新史を歩く 2

 
東京=かつての江戸で起きた政治的攻防の史跡

■必ず、お電話またはメールでお申し込み下さい■


東京〜激動の維新史を歩くA<憂国の志士たち 〜吉田松陰と井伊直弼〜>


 安政の大獄を挟み、対極にあった、吉田松陰と井伊直弼
 どちらが正義でどちらが悪か、論争は絶えません。

 外国の脅威を身近に感じた二人の士は、それぞれの立場で日本を守ろうとしていたことは
 事実ではないでしょうか。
 吉田松陰は脱藩し、肥後の兵学者・宮部鼎蔵らとともに、東日本に遊学し、日本の海防に不安を
 覚えました。
 列強に対抗するためには、列強の文明を学ばなければならないと悟った松陰は、黒船に乗りこんで
 アメリカに密航しようとし、失敗します。
 郷里の萩に送還された松陰は、野山獄に収監され、後に自宅幽囚と決まります。
 自宅幽囚中の松陰は、私塾“松下村塾”を主宰。
 維新の原動力となる久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一・野村靖兄弟、寺島忠三郎、前原一誠、
 品川弥二郎、伊藤博文らが集まります。
 彼らは松下村塾で、日夜、国事論争を重ねた若者たちは、弱腰の幕府の率いる日本に危機を感じ、
 活動家として始動します。

 一方、彦根藩主の十四男として生まれた井伊直弼は、彦根の埋木舎に文字通り埋もれ、文化人・
 教養人としての人生を歩んでいました。
 父・兄の相次ぐ不幸によって、彦根藩主となった井伊直弼もまた、幕府の権威の失墜を感じ、危機感を
 覚えていました。
 元水戸藩主 徳川斉昭を中心とする勤王派による一橋家・徳川慶喜(斉昭の七男)の将軍継嗣運動や、
 攘夷思想の拡散に脅威を覚えていました。
 井伊直弼は、安政五年、大老に就任すると、将軍を紀州藩主 徳川慶福(のちの十四代・家茂)を
 将軍継嗣とします。
 そして、孝明天皇の勅許を得ずに米国ほか四カ国との通商条約を締結します。
 それを快く思わない水戸藩は、朝廷に働きかけ、水戸藩に直接、幕府の失政を呵責する“戊午の密勅”を
 下されるに及び、井伊直弼は激怒。
 幕府に夷を唱える勢力(主に一橋派・水戸系の勤王派)に徹底的な弾圧=安政の大獄を行います。

 安政の大獄は、上は公家・大名から、下は諸藩の士、儒者、医者にも及び、主に影響力を持った思想家は
 斬罪や遠島の重刑となりました。
 吉田松陰は安政の大獄を非難し、京都で安政の大獄を指揮していた老中・間部詮勝の暗殺計画を
 実行しようとします。
 また、長州藩主・毛利敬親の駕籠を伏見で待ち受け、そのまま御所に参内させ、幕府攻撃の嚆矢にしようと
 画策します。
 松陰門下の若者の多くはこれらの計画に躊躇、入江九一・野村靖兄弟のみが、実行部隊として始動します。
 驚いた長州藩は、吉田松陰を野山獄に、入江・野村を岩倉獄につなぎます。
 やがて松陰と親交のあった小浜の儒者・梅田雲浜が逮捕されるに及び、その関係を問うため、松陰は江戸に
 召喚されます。
 梅田雲浜との関係に関する嫌疑は晴れたものの、松陰は評定所で間部老中暗殺計画を吐露、刑場の露と
 消えます。

 一方、井伊直弼は、腹心・長野主膳や、老中・間部詮勝、九条家家士・島田左近らと連携により、反対派を大獄で
 一掃します。
 水戸・徳川斉昭は永蟄居と決まり、悲憤慷慨にたえない水戸藩士たちは、ひそかに井伊直弼暗殺を計画します。
 万延元年と変わる、安政七年・三月三日、上巳の節句の為、登城する井伊の行列を、水戸藩士たちが襲撃します
 (桜田門外の変)。
 井伊直弼の後、幕府を牽引した老中・安藤信正は、公武合体を唱え、幕府の威信の回復を図ります。
 長州藩は、重臣・長井雅楽による『航海遠略策(進んで海外と交流し、国力を高める策)』を藩の意見として
 まとめ、政治運動を開始。
 異人を殺害する“小攘夷”ではなく、文明で武装し、外国と対等に渡り合う“大攘夷”を目指したのです。
 長井の策を良しとしない久坂・高杉ら、松陰門下は、やがて長井を排除し、幕末の動乱へと進んでゆきます・・・

 禁門の変〜蛤御門の変とも呼ばれるこの事件は、文久三年八月十八日の政変(八・一八クーデター)で
 京を追われた長州藩が、雪辱を期して京都に進軍、幕府軍の薩摩・会津・一橋兵と交戦となり、一敗地にまみれ、
 久坂玄瑞、入江九一、寺島忠三郎など、多くの指導者を失った事件として有名です。
 その余波として、長州藩邸没収事件があったことをご存じでしょうか?
 朝敵となり、朝廷より、長州征討を命じられた幕府は、長州征伐の手始めに、京や江戸にあった長州藩邸を没収、
 破壊しました。その時に抵抗して捕縛されたもの、自刃したもの、他藩にお預けになったものたちがいたことを
 ご存じでしょうか?
 今回、維新史跡めぐりとして初めて、蛤御門の余波である、藩邸没収事件に迫ります。

第1回は・・・こちら ⇒ 江戸伝馬町牢屋敷跡〜十思公園〜小塚原回向院〜日比谷公園〜桜田門〜桧町
第3回は・・・こちら ⇒ 立会川・坂本龍馬像〜井上勝墓〜御殿山イギリス公使館跡〜三田薩摩屋敷跡




第2回 東京〜激動の維新史を歩く

 
東京=かつての江戸で起きた政治的攻防の史跡


◎集 合: 2018年10月28日(日)  10:00

◎代 金: お一人様 3,240円

◎経 路: 徒歩で移動

◎コース: 宮の坂駅〜豪徳寺〜松陰神社〜三軒茶屋駅

◎宿 泊: 当プログラムは日帰りコースです。

◎食 事: 含まれません。下町情緒あふれる地域で、と考えております。


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<01日目>10月28日(日)
■行程: 東急世田谷線宮の坂駅 ・・・史跡めぐり・・・ 東急世田谷線三軒茶屋駅
      ご自身で宮の坂駅にお越し下さい。
      スケジュールは予告なく変更になる場合もあります)

 ★集合日時: 2018年10月28日(日)10:00
 ★集合場所: 宮の坂駅ホーム下の【江ノ電601】前に【パームツアーセンター】の看板を持って立っています。

※スタート地点: 東京急行電鉄(東急)世田谷線 宮の坂駅

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  (徒歩)
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豪徳寺
  世田谷地区は、江戸幕府期には、彦根藩井伊家の領地のひとつでした。
  その縁で、彦根藩井伊家の菩提寺となっています。
  豪徳寺の境内には、井伊家歴代藩主やその一族の墓所があります。
  〜ひこにゃんの由来〜
   彦根を象徴するゆるキャラとして人気上昇中の“ひこにゃん”。
   この“ひこにゃん”の由来となったエピソードは・・・
   彦根藩二代目藩主・井伊直孝が、武蔵国荏原郡世田ヶ谷村
の豪徳寺を訪れたとき、にわか雨に遭遇。
   大木の下で雨宿りをしていたところ、手招きをする白い猫を発見し、近づきました。
   その瞬間、大木は落雷に見舞われ、直孝は辛くも一名が助かりました。
   白猫によって命を救われた直孝は、豪徳寺を井伊家の菩提寺にしました。
   この縁もあり、やがて寛永10年には豪徳寺を中心とした一帯は、井伊家に下賜されました。
   井伊家はこの地の一画にある上町に、代官所を設け、治めさせました。
   白猫は招き猫となり、豪徳寺のマスコットとなり、やがて“ひこにゃん”誕生の布石となったのです。

  隣接する若林には、長門萩藩(長州藩)の別邸があり、現在、吉田松陰が眠る松陰神社が建てられています。
  安政の大獄を推進した井伊大老の墓所と、安政の大獄に倒れた松陰の墓所が目と鼻の先にあるのもまた、
  歴史がときおり見せる、不思議な巡り合わせなのかもしれません。

   ★
井伊直弼墓: 戒名“宗観院殿 正四位上 前羽林中郎将柳暁覚翁大居士”
           注目は命日。桜田門外の変で暗殺された直弼。この事変を正直に公表すると、
           井伊家改易は必定。そこで、井伊家も幕府側も表向きは井伊大老は負傷し、
           療養中ということにし、その死は閏3月28日に公表されました。そのため、命日は
           閏三月二十八日歿・・・ 直弼のお墓の後ろには、正室のお墓もあります。
   
   ★
岡本黄石墓: 岡本黄石は彦根藩士 宇津木久純の四男として誕生し、後に家老・岡本家に養子に
           入り、岡本半介と名乗りました(半介は、岡本家歴代当主の通称)。
           尊王攘夷の志士でもあった黄石は、井伊直弼が藩主であった時代には開国の是非を
           巡って直弼と対立、左遷。井伊直弼の横死後、息子で16代藩主となった直憲に仕えて、
           安政の大獄に関与した長野主膳らを粛清。藩論を尊王攘夷に導こうと画策しました。
           将軍後見職にあった後の十五代将軍・徳川慶喜に忠誠を誓い、過度に傾倒したために、
           第二次長州征伐の先鋒を慶喜に命ぜられ、芸州口の戦いに出兵。軍使・竹原七郎兵衛
           以下、数多くの藩士を失って敗北。その時の長州藩の指揮官は、井上馨、石川小五郎
           (河瀬安四郎眞孝)で、この後芸州口の戦いは、膠着状態となります。これにより、黄石
           はついに、勤王派であった大東義徹らに主導権を渡し、一線から退きます。
           黄石が第一線を退いた彦根藩は、勤王に転じ、鳥羽伏見の戦いでは、新撰組の守る
           伏見奉行所を薩摩藩に砲撃させ、官軍となりました。

   ★
日下部鳴鶴墓: 日下部鳴鶴は、幕末の彦根藩に生まれ、書家として活躍しました。官軍となった
           彦根藩から徴士のひとりとして新政府に太政官大書記官の職を得ます。しかし、
           明治11年の大久保利通内務卿暗殺を契機に退官。その後近代書道発展に尽くします。


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  (徒歩)
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 ○世田谷代官屋敷
  寛永年間から幕末まで、井伊家の領地であった豪徳寺周辺を治めるため、井伊家の代官所が置かれました。
  一大名の代官所というだけでも珍しいですが、屋敷の造りから、半士半農であったと考えられています。
  歴代代官の大場氏は、井伊家によく仕え、二千三百石といわれた世田谷領を管理しました。

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勝国寺 土屋簫海墓
  高杉晋作や久坂玄瑞ら勤王派を庇護した長州藩の儒者
  小田村伊之助や、山県半蔵、中谷正亮と並ぶ、吉田松陰の友人の一人。
  藩校・明倫館の助教、ついで侍講へと進み、後進を指導しました。
  文章が巧みであったといわれ、吉田松陰も一時、文章の批評を求めたと言います。
  松陰刑死後は、松下村塾の塾生たちを導き、後に御楯隊〜光明寺党〜奇兵隊結束の足がかりを作ります。
  彼は元治元年9月10日、久坂玄瑞や寺島忠三郎、入江九一らが禁門の変で命を落とし、幕府と四カ国艦隊が
  長州に迫るという緊迫した時期、病没します。36歳でした。

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 ◎
松陰神社
  小塚原回向院に埋葬されていた松陰の遺骨を高杉晋作、伊藤俊輔(博文)らが改葬した墓所。
  この辺りは若林と呼ばれ、長州藩の別邸があったため、その地に葬られたといいます。
  <墓所>
   ★吉田松陰墓: 明治維新の原動力となった松下村塾を主宰し、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、
          入江九一・野村靖兄弟、寺島忠三郎、前原一誠、品川弥二郎、伊藤博文、山県有朋、
          山田顕義など、数多くの志士を育てました。安政の大獄を推進する老中・間部詮勝の
          暗殺を企て、安政の大獄最後の受刑者として刑死しました。伝馬町牢屋敷で処刑され
          小塚原回向院に埋められていたが、高杉らにより、現在地に改葬されました。

   ★小林良典墓: 鷹司家諸大夫で、官位は正四位下 民部権大輔
          安政の大獄で遠島を言い渡されるも獄死します。松陰とともに改葬されました。
          京都における、将軍継嗣問題(次期将軍に一橋慶喜=徳川慶喜を推す運動)や、
          幕府の違勅開国を詰問する密勅を水戸藩に降下した事件の中心人物のひとりとして
          暗躍し、安政の大獄に連座しました。

   ★
頼三樹三郎墓: 京都の儒者。『日本外史』を著した頼山陽の三男。過激な攘夷論を唱え、京都で
          多数の志士と交流しました。朝廷や諸藩など、どの後ろ楯を持たぬものの、その言動は
          影響力が強く、井伊大老からは、梅田雲賓や、梁川星巌、池内陶所以上の危険人物と
          みなされ、江戸に送られ、処刑されました。豪放磊落な人物であったと言われ、酒を
          飲むと幕府関連施設に嫌がらせをしたり、器物を破損したりしたというエピソードも。

   ★
来原良蔵墓: 長州藩志士。吉田松陰の親友のひとりで木戸孝允の妹婿。伊藤博文を抜擢したのは
          この人。天保12年に明倫館に入学し、かなり早い段階から志士として活躍しました。
          日本沿岸の海防に不安を抱いており、海岸線の形成を視察し、砲術を学び、長崎海軍
          伝習所でも特別聴講生として学んだと言われています。後に長州藩重臣・長井雅楽の
          『航海遠略策』に同意するも、撤回。攘夷運動に投じるが、世子毛利元徳に諌められ、自刃。

   ★
福原乙之進墓: 長州藩志士。討幕運動の草分け。江戸・刈谷藩邸で密議中、幕吏に襲われ、自刃。
          名門福原氏の出身で、久坂玄瑞や高杉晋作の牽引する尊王攘夷運動に参加。小説など
          では、御殿山英国公使館焼討の際、幕吏に自身番に連行され、焼玉を持っている為、事が
          露見すると計画が水泡に帰すと、焼玉を食べるという笑える描かれ方をされることも。
          譜代大名刈谷藩邸で討幕運動の密議というところに幕威の低下がうかがわれます。

   ★
中谷正亮墓: 吉田松陰より二年年長の長州藩士で、吉田松陰の親友のひとりで、松下村塾庇護者。
          久坂玄瑞と松陰の妹・文の縁談を進めたのは実はこの人。イケメンを自認する玄瑞は
          「文さんは、不美人じゃから、嫁に貰いとうない・・・」と、あの有名なセリフを言います。 
          正亮は、「天下で事をなそうという人物が、容姿で嫁を選んではいけない」と諭します。
          村塾の塾生にとって、よき理解者でありましたが、文久二年、病死します。

   ★
長州藩邸没収事件関連/綿貫治良輔墓: 元治元年、禁門の変を起こし、幕府のみならず、朝敵と
          なった長州藩は、京都や大阪、江戸のの藩邸を幕府により接収・破壊されました。
          その際、幕府勢力に抵抗、命を落とした無名の志士がたくさんいたことをご存じですか?
          綿貫治良輔は、江戸の長州藩邸接収の際、幕吏と争い、それがもとで亡くなりました。
          以後、官軍の一翼となるまで、防長二州以外に長州人の居場所はなくなります。

   ★
長州藩邸没収事件関連者慰霊碑: 禁門の変以降、長州藩は朝敵となり、京都や江戸などの藩邸も
          幕府に没収されました。京都では、長州藩留守居役・乃美織江が藩邸を焼いて撤退。
          江戸では45人の藩邸の吏員が各藩や諸家にお預けとなります。そしてその多くは、
          幽囚先で病死した・・・とされています。久坂玄瑞・入江九一・寺島忠三郎などのヒーロー
          が落命する禁門の変は描かれても、この藩邸接収の惨劇は殆ど触れられません。

   ★
野村靖墓: 後に明治維新後、政府顕官として活躍する野村靖は、幕末の英雄のひとりである、
          入江九一の弟です。伏見で藩主・毛利敬親の駕籠を奪い、そのまま朝廷に参内して、
          攘夷の節刀を受けて尊王攘夷運動を長州藩が主導するという『伏見要駕策』を獄中の
          吉田松陰が立案し、塾生に参加を求めたところ、殆どの塾生が脱落。九一・靖の兄弟が
          二人だけで実行に移そうとしたエピソードは有名です。

   ★
桂太郎墓: 桂太郎は、総理大臣在任期間が最も長い人物で、前述の中谷正亮の甥にあたります。
          先輩の山田顕義が、村田清風/山田宇右衛門/山田亦介/河上弥一という重臣の
          血縁であった縁で出世したのと同様、中谷正亮の甥であったことが、出世の糸口に
          なったと言われます。伊藤博文や山県有朋らの後押しもあり、順調に出世を重ね、
          田中義一を経て戦後へと続く長州閥の結束を固め、最後の元老のひとりとなりました。

   ★
広沢真臣墓: 第二次長州征伐後、宮島で井上馨とともに勝海舟と談判した人物として有名です。
          長州藩を二分した正義派(村田清風〜周布政之助〜桂小五郎ライン。久坂・高杉も
          所属)と、俗論派(坪井九右衛門〜椋梨藤太ライン)、どちらにも属さず、動乱を生き抜き、
          渦中の長州藩を牽引し、明治後は参議となり、章典を得ますが、明治4年1月9日、東京の
          屋敷で暗殺。明治天皇が異例の犯人逮捕命令を出しましたが、迷宮入りとなりました。


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松陰神社通り: 松陰神社の門前町の位置にある商店街。吉田松陰と高杉晋作と久坂玄瑞がシンボル。
               吉田松陰や久坂玄瑞、高杉晋作のグッズが売られるコーナーもあります。ここでは、
               商店街のあちこちにある、志士のエピソードを探してみましょう。


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次回の予定
  久坂玄瑞と高杉晋作が口論をした土蔵相模や、土佐藩を官軍に導いた板垣退助の墓、長州五傑のひとりで
  『鉄道の父』と呼ばれた井上勝の墓、海晏寺、御殿山の英国公使館跡、集団攘夷事件で知られる東禅寺、
  西郷どんと勝海舟が会談した三田薩摩屋敷跡など

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■企画者〜本庄沙織里・久美より

 私の両親は大の大河ドラマのフアンで、特に幕末維新ものが大好きです。
 印象に残っているのは、昭和52年に放映された『花神』とか。
 維新の立役者のひとり 大村益次郎を主人公に、吉田松陰や高杉晋作が活躍するドラマだったそうです。
 『花燃ゆ』で井伊直弼を演じておられる高橋秀樹さんが越後長岡藩家老・河井継之助を、
 松陰の父・杉百合之助を演じておられる長塚京三さんが、新選組副長・土方歳三を、
 富永有隣を演じておられる本田博太郎さんが、遊撃隊の軍監・高橋熊太郎を、
 そしてナレーターをしておられる池田秀一さんが、長州藩若手リーダーのひとり寺島忠三郎を、
 それぞれ演じておられたとか・・・
 私たちは総集編しか見ることができませんが、それでも高杉晋作を軸に、久坂玄瑞や伊藤博文など、
 維新に活躍した志士達の生きざまが、活き活きと描かれていたのがわかります。
 今回のコースでは、安政の大獄の取り締まる側、取り締まられる側、双方の歴史を浮き彫りに、史跡を探訪。
 江戸で起こった政治事件がどのような波紋を投げかけたか、を考えたいと思います。

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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
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2018年10月28日(日) 
●旅行代金には下記のものが含まれます*
 *入場料の必要な個所での入場・拝観料
 *ガイド/添乗員費用
  
●旅行代金に含まれないもの
 ・・宮の坂駅に来られるまで/三軒茶屋駅で解散以降の交通機関
 ・・前日までに到着される方、解散後の旅行の、交通費・宿泊費・観光費用
 ・・その他、個人的な支払い(電話、FAX、ネット通信費/明記されていないお食事/
   お飲み物)とそれに関わる税金、サービス料






電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで
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