第3回(2) 東京〜激動の維新史を歩く 落日の徳川幕府を支えた幕臣たち(その2) ■必ず、お電話またはメールでお申し込み下さい■ 東京〜激動の維新史を歩く <落日の幕府を支えた幕臣たち> 桜田門外の変で井伊直弼が斃れ、その権威が失墜した徳川幕府。 一部の外様雄藩の藩士や草莽の志士たちは、幕府を見限り、朝廷に接近し、尊王攘夷運動を展開。 肥前佐賀藩は幕府とも朝廷とも距離を置き、独自に近代化を図り、藩士に洋楽を学ばせました。 薩摩藩は生麦事件〜薩英戦争を経て、イギリスに藩士を留学させ、同時に鹿児島に西洋学問所を設置。 長州藩は紆余曲折あったものの、長州五傑をイギリスに送り、前原一誠らを長崎で学ばせました。 土佐藩は長崎に商会を設置し、郷士・坂本龍馬は亀山社中を設立、経済の近代化を模索しました。 しかし、幕府も落日をただただ、眺めていたわけではありません。 ペリー来航の己丑(きちゅう)以来、海軍力を強化し、迫りくる西洋の圧力に備えようとしていました。 勝海舟や榎本武揚が学んだ長崎海軍伝習所、築地の軍艦操練所、九段の蕃書調所・・・ 徳川幕府もまた、近代化のための諸施設を開設し、人材の育成に力を注いでいました。 勝海舟や榎本武揚とともに長崎海軍伝習所で学び、幕府海軍や造船等の中心人物となった人々。 幕府が諸外国と結んだ条約の批准や、条約の改正などの目的のために渡航した人々。 一方で、幕府の政策を妨害しようとする不逞の浪士を取り締まった新選組、新徴組、見廻組の人々。 そして徳川幕府から政権を奪った薩長土肥を中心とする勢力と戦わなければならなかった人々。 滅びゆく徳川幕府の中で、必死にその権威を守り、日本の近代化に命を懸けた幕臣の墓を訪れます。 幕府主体で新しい時代を切り開くことを夢見た人々、その時代のために懸命に学んだ人々、 そして夢破れて明治という薩長土肥の作った時代にひっそりと隠棲した人々に思いをはせます。 第2回: 湯島〜池之端〜西日暮里〜谷中〜西日暮里 01. 池之端: 大正寺 (川路聖謨墓) 02. 西日暮里: 啓運寺 (根津勢吉墓) 03. 西日暮里: 本行寺 (永井尚志墓) 04. 谷中: 玉林寺 (河津祐邦墓) 05. 谷中: 一乘寺 (松岡磐吉墓) 06. 谷中: 大雄寺 (小杉雅之進/高橋泥舟墓) 07. 谷中: 全生庵 (山岡鉄舟/松岡万/村上俊五郎/石坂周造/依田雄太郎等/伴貞懿墓) 08. 谷中: 妙円寺 (伴鐵太郎墓) 09. 谷中: 宗林寺 (佐々木只三郎歌碑) 時間が許せば、谷中霊園を少し歩きます。御三卿の墓地や勤王・佐幕両陣営の名士のお墓があります。 ・・お墓巡りになります。