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知られざるアフリカの国々シリーズ 
2017年09月30日(土)出発限定
アイトベンハッドゥに泊まる!
モロッコ カスバ街道

スペイン領北アフリカ(セウタ)
イギリス領ジブラルタル 10日間

エミレーツ航空+ロイヤル・モロッコ航空+イベリア航空

ここがポイント!


★ アフリカの知られざる街道シリーズ ★


アイトベンハッドゥとカスバ街道


モロッコ南部、アトラス山脈を越え、サハラ砂漠へと連なる土地に、カスバ街道と呼ばれる場所があります。世界文化遺産に登録されたアイトベンハッドゥ、アラビアのロレンスのロケ地になったティフルトゥトのカスバ、名将グラウイが築いたワルザザートのタウリルトのカスバとティネリールのグラウイのカスバ、こうした“名城”だけではなく、名もなき小さなカスバが無数にあります。
今回の旅では、四大名城のアイトベンハッドゥ、ティフルトゥトのカスバ、タウリルトのカスバ、グラウイのカスバだけでなく、名もなき小さなカスバなどもご覧頂きます。
今回の旅では、アイトベンハッドゥの中の民家を改装した簡易旅館にお泊まり頂きます。
迷路のようなアイトベンハッドゥを歩いて観光し、装飾のある塔の外壁を見、世界遺産に登録された建物の一室で夜を過ごし、かつて繁栄を極めたアイトベンハッドゥの雰囲気を体感します


<観光の見どころ>

 アイトベンハッドゥ【世界文化遺産】 AIT BEN HADDOU:
 アトラス山脈の麓に位置する巨大カスバ“アイトベンハッドゥ”を訪れ、実際に
 内部の家を改装した簡易旅館に泊まり、アイトベンハッドゥ住民になりましょう。

 西サハラ実効支配地域を除く、モロッコ中部の都市ワルザザート郊外にある集落。
 サハラ砂漠の西部大砂丘 GRAND ERG OCCIDENTAL とオート・アトラス HAUT ATLAS
 に挟まれたこのあたりは、隊商(キャラバン)の交易の中継地として栄えました。
 富が集まりやすいこの地域の集落は、ひとつひとつが孤立しており、盗賊などの
 略奪から集落を守るため、次第に城砦のような構造が発達してゆきました。この
 ような構造の集落は、 “カスバ”と呼ばれています。カスバは、アトラス山脈の
 麓であるアイトベンハッドゥからサハラ砂漠の入口であるエルラシディアに到る
 街道沿いに多く築かれました。そのためこの街道と周辺は“カスバ街道”という
 愛称で呼ばれています。名勝トドラ峡谷や隠れ里イミルシルへの道筋にも多くの
 カスバが築かれましたが、殆どは過疎化しており、廃墟となったものもあります。
 アイトベンハッドゥはそうしたカスバの中でも特に保存状態がよく、1987年
 ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

 
アイトベンハッドゥの特徴
 アイトベンハッドゥ集落の外側の家屋は集合体を成し、外観は堅固な城壁のよう
 です。敵の侵入を防ぐため、集落への入口はひとつだけです。入口を入ると中は
 迷路のように通路が入り組んでおり、建物の一階部分は窓がなく、換気口のみが
 穿たれています。外壁には銃眼が施され、最上階には籠城時の兵糧庫があります。
 カスバは規模に関係なく、上記のような構造になっています。歩いてみましょう!


 
フィントのオアシス FINT OASIS:
 ワルザザートを南下すること15km。川沿いに静かなオアシスの村があります。
 このオアシスも、名画“アラビアのロレンス”のロケ地のひとつとなりました。
 フィントとは、アラビア語で「隠す」あるいは「隠された」という意味があり、
 大きな岩山に囲まれた四つの集落は、通り道を横切る川にも橋がかかっておらず、
 発展する周囲に背を向けて、文字通り隠れ里と呼ぶのにふさわしい雰囲気です。


 
トドラ峡谷 GORGES DU TODRA: 
 カスバ街道観光のめだまのひとつがトドラ峡谷です。切り立った崖が両脇に迫った
 谷には、きれいな水が流れるトドラ川があります。モロッコ南部を代表する景観の
 一つとして親しまれています。また、トドラ峡谷に到る、荒涼とした隘路を走ると、
 ときおり緑に覆われた小さなオアシスや、まるで廃虚と化したカスバをみることが
 できます。峡谷内の景色のよい場所で下車し、トドラ峡谷を少し歩いてみましょう。

 ティネリール TINGHIR:
 ティネリールは、カスバ街道沿いにあるオアシスの町で、トドラ峡谷やイミルシル
 観光の拠点として知られています。この町にもグラウイ家のカスバが残っています。

 
グラウイのカスバ KASBAH DE GLAOUI: 
 マラケシュの司令官で、フランス軍に重用された武将グラウイは、ティネリールに
 離宮のようなカスバを建てました。町の中心にある装飾を施した美しいカスバです。


 タウリルトのカスバ KASBAH DE TAOURIRT:
 ワルザザート市内にある、堅固で美しいカスバが“タウリルトのカスバ”です。
 1990年に制作された映画“シェルタリング・スカイ”の舞台になりました。
 20世紀初頭、マラケシュの司令官のひとりに、グラウイという武将がいました。
 フランス軍はモロッコ南部の領地の保全をはかるため、南部の有力な首長たちに
 首長の地位と権限、日本の中世でいう“本領安堵”を約束しました。グラウイは
 そうした首長のひとりで、特にフランス軍に重用されていました。タウリルトの
 カスバはグラウイの権力を象徴する建物で、堅固な外壁と、美しい内装と中庭を
 有しています。カスバの道を挟んだ反対側には工芸品の展示即売所があります。

 ティフルトゥトのカスバ KASBAH DE TIFOULTOUTTE:
 ワルザザート市内から西に8km行くと、シルエットが美しいカスバが現れます。
 ティフルトゥトのカスバです。ワルザザートの“タウリルトのカスバ”を築いた
 グラウイ家が所有していたカスバの一つで、名画“アラビアのロレンス”のロケ
 地として知られています。映画に出てくるカスバが、このカスバです。現在では
 レストランとして利用されており、一部は旅館としても営業しています(要予約)


 タムグルート TAMEGROUTE:
 ザゴラから南下すること22km、タムグルートの集落があります。この集落には
 この地に繁栄をもたらしたイスラム教の聖人シディ・ムハンマド・ベンナサイルを
 祀る廟(マラブ)が建てられています。彼はアフリカの奥地から奴隷を連れて来て、
 メッカ巡礼の折に本を持ち帰り、この地に四千冊の蔵書を持つ図書館を建てました。
 病気を治す力があると信じられており、多くの病人がこの廟に願かけに訪れます。

 
ザゴラ ZAGORA:
 【トンブクトゥまで52日】という看板をみかけることがあるザゴラは、はるか
 昔、ラクダの隊商がザゴラからトンブクトゥまで、52日ほどをかけて旅をした
 名残りです。現在マリ共和国にあるトンブクトゥは、隊商の始点・終点の一つで、
 メッカ巡礼で欧州や中東の金相場を狂わせるほどの喜捨を行った中世のマンサ・
 ムーサ王の時代には、学問都市として、交易の拠点として繁栄を極めていました。
 ザゴラはトンブクトゥと北アフリカとを結ぶ、交易路の中継点の一つで、往時は
 多くの隊商が通り過ぎてゆきました。現在ワルザザートとザゴラとを結ぶ街道を
 ゆくと、さまざまな人種を見ることができます。交易の時代からアフリカの南方、
 そして北方からさまざまな人種が行きかい、混血していったからなのでしょうか。
 かつては隊商交易の中継点であったザゴラは、現在は観光の中継点となっており、
 多くの観光客がこの町を基点に、砂漠ツアーに参加するためここで準備をします。
 
水曜日と日曜日には、ムハンマドV通りで、民俗色ゆたかなローカル市が立ちます
 08:00〜14:30が最も賑わい、大ぜいの近隣の村人たちが商品を持ち寄り、売り買い
 する光景を見ることができます。運河よければラクダにも会えるかもしれません。 

 ドラア谷と隘路 LES VALLEE DU DRAA:
 ワルザザートから南東に向かう街道があります。これは国道9号線で、大西洋と
 サハラ砂漠の村を結ぶルート108、西サハラとモロッコの境界に位置している
 グルーミンとサハラ砂漠の村を結ぶ国道12号線と交差しながら、南へと向かい
 ます。そして、マアミドの先でサハラ砂漠に吸い込まれてゆきます。この街道は
 風光明媚で知られ、グランドキャニオンを彷彿とさせるランドスケープを見せる
 アグデス AGDZ 周辺、山に貼りついたような集落アイト・サウン村 AIT-SAOUN、
 涸れ谷“ワジ”そして、水を湛えたドラア川と、変化に富んだ景観を楽しめます。
 山間の隘路(あいろ)を164km走った先に、観光の基地ザゴラ村が現れます。






◆ヘラクレスの柱“セウタ&ジブラルタル◆

ギリシャ神話の英雄ヘラクレス。
そのヘラクレスの十二の功業のうち、第十の功業のくだりに記されたヘラクレスの柱。
現在、その場所は、ひとつはジブラルタル海峡の北、イベリア半島に位置するイギリス領
ジブラルタル、いまひとつは北アフリカのセウタまたはモロッコに比定されています。
それは、古代から交通の要衝として、そして戦略的にも重要視され、“柱”の争奪戦が繰り広げられたことを意味するとも考えられます。
複雑な歴史に彩られたスペイン領北アフリカのセウタと、現在なおイギリス領である
ジブラルタルを訪れます。


★ヘラクレスの柱
ギリシャ神話、英雄ヘラクレスのくだりに登場する伝説の舞台です。
ヘラクレスに課せられた、過酷な“十二の功業”のひとつで出てきます。
大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ、エリュテイア島に住まう怪物ゲーリュオーンが
飼う紅い牛を、エウリュステウス王のもとに連れ帰る、ヘラクレスの十番目の功業の中に
それを見ることができます。
エリュテイアへ向かう途中に、アトラス山を越えねばなりませんでした。
ヘラクレスは近道をしようと考え、もともは巨人であったアトラス山を砕きました。
アトラス三は二つに割れて、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が分かれ、大西洋と地中海が繋がりました。
以降、二つに分かれた山を総称し、“ヘラクレスの柱”と呼ぶようになりました。
柱のひとつは、ジブラルタル海峡に面したイギリス領ジブラルタルにある、ジブラルタルの岩。
もうひとつは、諸説ありますが、対岸アフリカのスペイン領セウタにある、アチョ山とも、
モロッコのヘベルムサ山とも言われています。
今回の旅では、イベリア半島にあるイギリス領ジブラルタルと、アフリカにあるスペイン領セウタも訪問します。


★セウタ
アフリカ大陸北部、三方をモロッコに囲まれ、一方が地中海に面したスペインの飛地領、
それがセウタです。
スペイン軍が駐屯するモンテ・アチョ、ヨーロッパとアフリカとを結ぶ航路が開けた港を
中心に町が広がっています。
沖合には、サンタカタリナ島が浮かび、サンタカタリナ島もまた、スペインの領土となっています。
同じ北アフリカの“メリリャ”とともに、“スペイン領北アフリカ”とも呼ばれていますが、
いわゆる植民地ではなく、本土と同じ扱いを受けています。
古代から、セウタは交通の要衝/軍事拠点として重視されてきました。
紀元前7世紀にはフェニキア人が定住。その後、ギリシャ人に占領されます。
紀元前319年、カルタゴがセウタを支配下に置きます。
紀元前201年、第二ポエニ戦争でカルタゴが降伏し、セウタはヌミディアに割譲されます。
紀元前47年には、マウレタニア領となります。
紀元後40年には、ローマの属州マウレタニア・ティンギタナの一都市となり、セプティムと呼ばれるようになります。
5世紀中葉、ヴァンダル人の支配下に置かれましたが、ユステイニアヌス1世の治世、ベリサリウス将軍が占領し、以降、東ローマ帝国領となります。
710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まると、西ゴート王国のセウタ伯ユリアヌスはイスラム側に寝返ります。
そのため、セウタはイベリア半島への侵攻の拠点となります。
やがてユリアヌスの死後、セウタはイスラム勢力に支配されるようになります。
788年(日本は天応2年。桓武天皇の御代)、モロッコのイドリス朝がセウタを占領。
931年(日本は延長9年〜承平元年。朱雀天皇の御代)、後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世がイベリア半島のカリフ領を制圧。
その後、グラナダ王国とフェズ王国の係争の舞台となり、さらにカスティーリャ王国とアラゴン王国がセウタ攻略に介入するようになります。
1415年(応永22年。称光天皇の御代。室町幕府第四代将軍・足利義持の治世)、エンリケ航海王子がセウタを奪取。ポルトガル領になりました。
ポルトガル領であった名残に、セウタの紋章がポルトガルの国章に酷似しています。
1580年(日本は天正8年。正親町天皇の御代。織田政権時代。室町幕府第十五代征夷大将軍・足利義昭は室町幕府滅亡後も将軍職に在職)、ポルトガル王朝滅亡に乗じ、ポルトガルはアブスブルゴ朝スペインのフェリペ2世によりスペイン領となり、同時にセウタもスペイン領となります。
18世紀、アメリカ独立戦争の局地戦ジブラルタル包囲戦を勝ち抜いたイギリス海軍が海から、モロッコのアラウイー朝が陸から、セウタを脅かすようになります。
1925年(大正14年)、スペインのカディス県から分離。
1936年(昭和11年)、スペイン内戦に乗じて軍が全権を掌握します。
1956年(昭和31年)、モロッコは独立しますが、セウタはスペインに留まり、今日に到ります。


★ジブラルタル
イベリア半島の南東端に突き出した半島部に位置しており、イギリスの海外領土です。
地名の由来は、ジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島を征服したウマイヤ朝の将軍
ターリク・イブン・ズィヤードに
ちなみ、アラビア語で『ターリクの山=ジャバル・アル・ターリク』が訛ったものです。
ネアンデルタール人が居住していた痕跡があり、かなり古くから人が定住していたことが判明しています。
紀元前950年にはフェニキア人がジブラルタルに定住するようになりました。
その後、ローマ人やヴァンダル族、ゴート族などがジブラルタルに一時居住しますが、定住には到りませんでした。
フェニキア人が建国したカルタゴが第1次ポエニ戦争後にジブラルタルと南イベリア半島を勢力下としました。
第2次ポエニ戦争によってカルタゴが降伏し、ローマ帝国がジブラルタルとイベリア半島を属領としました。
400年代の初期から西ゴート族がイベリア半島に入植するようになり、西ローマ帝国滅亡後は西ゴート王国の支配下となりました。
710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まり、翌年、西ゴート王国はウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤードにより滅亡し、以降、ムーア人の支配下に置かれ、イスラム圏に入ります。
それ以降、ジブラルタルは歴史から姿を消します。
1309年(日本は延慶2年。花園天皇の御代。鎌倉幕府第9代将軍・守邦親王の治世。執権は十六代・北条守時)にナスル朝グラナダ王国の一部となります。
その後、カスティーリャ王国によって一時占領されます。
1333年(大覚寺統:元弘3年。後醍醐天皇の御代/持明院統:正慶2年。光厳天皇の御代)にマリーン朝がジブラルタルを奪還し、マリーン朝はグラナダ王国にジブラルタルを割譲しました。
1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)、スペインのカスティーリャ王国のメディナ・シドニア公がムーア人からジブラルタルを奪取ました。
フェルナンド2世がスペイン王国を建国した後の1501年(日本は明応10年〜文亀元年。後土御門天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)、ジブラルタルもスペイン王国に帰属します。同年にイサベル1世からジブラルタルの紋章が贈られました。
八十年戦争中の1607年(日本は慶長11年。後陽成天皇の御代。江戸幕府第二代将軍・徳川秀忠の治世)オランダ艦隊がスペイン艦隊を奇襲し、ジブラルタル沖が戦場となっるジブラルタルの海戦が勃発し、この海戦によってスペイン艦隊は大打撃を被ります。
1701年(日本は元禄14年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)、スペイン継承戦争が勃発。
王位継承者候補の一人であるカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)の即位を後押しするイギリス、オランダ、オーストリアがフランス王ルイ14世とスペイン王フェリペ5世に対し、宣戦布告、英蘭墺三国同盟艦隊は、しばしばスペイン南岸の港町を襲撃します。
1704年(日本は元禄17年〜宝永元年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)8月4日、ジョージ・ルーク提督率いる英蘭艦隊が支援する海兵隊がジブラルタルに上陸、交渉の末、住民は自主退去し、ジブラルタルは連合軍の指揮下に入ります。
1713年(日本は正徳3年。中御門天皇の御代。江戸幕府第七代将軍・徳川家継の治世)4月11日にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結、以降、イギリス領となります。
アメリカ独立戦争が勃発すると、スペインは独立勢力支援に回り、1779年(日本は安永8年。後桃園天皇〜光格天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)よりジブラルタルへの厳重な封鎖(ジブラルタル包囲戦)を開始します。イギリスは3年近い包囲戦に耐え、浮砲台を撃破し、ジブラルタルを死守しました。
1985年には既に軍事拠点としての重要性も低下し、スペインとの国境が開放され、現在では観光地として旅行者を受け入れています。

<観光の見どころ>

360°ジブラルタルの岩一周
 ジブラルタルの岩は、英領ジブラルタルの象徴。高さ426mの一枚岩です。
 ジブラルタルの半島部分の殆どを占め、山頂付近は殆どが自然保護区に指定されて
 います。

100トンの大砲
 イギリス政府は19世紀末にロージア湾付近に45センチ砲を据え、砲台を築きました。
 ネイピア・オブ・マグダラ砲台がそれで、他にはヴィクトリア砲台にも同種の大砲が
 据えられました。

ヨーロッパ岬(エウローパ岬)
 ジブラルタル最南端に位置する岬。灯台が建っています。ほか、
 史跡としてハーディング砲台、イブラヒム・アル・イブラヒムのモスク、修道女の井戸、
 ローマ・カトリックの聖母マリア教会、ダドリー・ウォード隧道があります。

カタラン湾 CATALAN BAY
 ジブラルタル東海岸に位置する湾。行楽客用のホテルが建てられています。

ヘラクレスの柱
 ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが、アトラス山を超えず、近道をしようと、鎚で山を
 砕いたところ、地中海と大西洋が繋がり、山はそれぞれザ・ロック、セウタの
 アチョ山(異説あり)とに分かれたという伝説があります。

聖マイケルの洞窟
 ジブラルタルの岩には、実に150もの鍾乳洞があると言われていますが、その最も
 有名なものが、西の斜面中腹に位置する『聖マイケルの鍾乳洞』。この鍾乳洞は、
 天然の地形に人の手を加え、コンサートホールになりました。

バーバリー・マカク(エイプス=サル山)
 約250匹のバーバリー・マカク(バーバリー・エイプ)が住んでいます。
 もともとはアルジェリア北部やモロッコに生息するサルで、ジブラルタルに、それらの
 土地から持ち込まれたと考えられています。

市街地
 ジブラルタルの中心には“ザ・ロック=ジブラルタルの岩”が聳えており、岩の麓から
 海にかけて、わずかな平地があります。その平地に市街地があり、空港滑走路や
 スペインとの国境へ続いています。

ジブラルタル包囲戦時の隧道 GREAT SIEGE TUNNEL /
地下道網=GALLERIES
 “ザ・ロック”の愛称で親しまれるジブラルタル・ロックには、地下道網が存在します。
 観光客が通常訪れるのは、第二次大戦時代に掘削された隧道。
 地下通路や弾薬庫、貯蔵庫なども備えた近代的な隧道で、現役軍事施設です。
 最古の隧道はジブラルタル包囲戦(1779年〜1783年)の際に掘られたものです。
 大包囲戦時代、守備隊を指揮していたエリオット将軍は、岩の北部の平地にいる
 スペイン軍の砲列に対し、側面から砲撃すべく戦略を練り、王立工兵の案を入れ、
 ウィリス砲台の上から、方工面の『ザ・ノッチ』なる岩山の天然の突起の部分に到る
 トンネルを掘削させました。この奇想天外な作戦により、イギリス側は3年余の
 大包囲戦に耐えることができたのです。

アン王女砲台: /
オハラ砲台
 “ザ・ロック”の山頂部や山腹には、いくつもの砲台が築かれました。軍事遺跡として
 残されているのはネイピア・オブ・マグダラ砲台、プリンセス・キャロライン砲台、
 バースンズ・ロッジ砲台、そしてアン王女砲台、オハラ砲台があります。

ムーア人のお城
 711年(日本は和銅4年。元明女帝の御代)から1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の
 御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)にかけてジブラルタルを支配した
 ムーア人が拠点とした城です。煉瓦とTAIPAと言われる固いコンクリートでできた
 ハミッジの塔や、ムーア人の居住地区、浴場などがあります。

ショッピング地区
 スペインに囲まれたようなジブラルタルですが、ショッピング地区には英語看板が
 目立ちます。
 イギリスの商品や、ジブラルタルのおみやげも売られています。
 フィッシュ&チップスのお店もあり、イギリスが感じられます。

ジブラルタル空港滑走路
  スペインとの国境付近に半島と垂直に築かれた滑走路があります。
  ここには、イギリス本土などからの飛行機が離着陸します。




モデルプラン(手配旅行です)


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<01日目>09月30日(土)
■行程: 羽田空港⇒ドバイ⇒カサブランカ⇒ワルザザート
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−313 羽田空港    00:30⇒ドバイ     06:15
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、モロッコのカサブランカへ。
 EK−751 ドバイ     07:25⇒カサブランカ  12:45
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*出迎: 現地係員が空港にてお出迎え致します。
*昼食: ローカル・レストラン(ポール・ド・ペッシュ=海鮮)
*移動: 専用車で古都マラケシュに移動します。
*夕食: ジャマ・エル・フナ(フナ市場)周辺のローカル食堂
*宿泊: リヤド・アミリス(スタンダード部屋)または同等
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<02日目>10月01日(日)
■行程: マラケシュ→アトラス山脈→アイトベンハッドゥ
*朝食: リアド
*移動: 専用車でアトラスを越え、アイトベンハッドゥへ。
*昼食: アトラス山中のローカル食堂
*夕食: ローカル食堂 または 旅館
*宿泊: アイトベンハッドゥの集落内にある簡易旅館
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<03日目>10月02日(月)
■行程: アイトベンハッドゥ
*朝食: ローカル食堂 または 旅館
*観光: 午前、岩山と川に守られたフィントのオアシスを観光します。
 ○
フィントのオアシス FINT OASIS: 
  川の水が増水しているときは訪れることが困難な隠れ里フィント。映画のロケ地に
  選ばれた、いかにもモロッコのオアシスらしい景観をご覧頂きます。
*昼食: ローカル食堂 または 旅館
*観光: 午後、アイトベンハッドゥを観光します。
 ◎アイトベンハッドゥ AIT BEN HADDOU:
  迷路のようなカスバの内部の通路を歩きながら、アイトベンハッドゥの歩んだ
  歴史を偲んでみましょう。ティグレムト/アガディール(塔)にご注目。壁面には
  美しい装飾が施されています。現在、数家族だけが暮らすアイトベンハッドゥは、
  殆どが廃墟と化していますが、一方で修復も進んでいます。アイトベンハッドゥ
  内部の観光が終わったら、対岸や、丘の頂上からの眺望もお楽しみ頂きます。
 ○アイトベンハッドゥの全景 VIEW of AIT BEN HADDOU:
  アイトベンハッドゥの川を挟んだ対岸は、アイトベンハッドゥの全景が美しく見える
  場所です。また小高い丘から巨大なアイトベンハッドゥを俯瞰することもできます。
*夕食: ローカル食堂 または 旅館
*宿泊: アイトベンハッドゥの集落内にある簡易旅館
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<04日目>10月03日(火)
■行程: アイトベンハッドゥ→ティネリール→トドラ峡谷→ワルザザート→アイトベンハッドゥ
*朝食: ローカル食堂 または 旅館
*観光: 終日、カスバ街道とトドラ峡谷を観光します。
 ○
トドラ峡谷: 
  切り立った崖が左右に迫る、絵になるトドラ峡谷と廃墟のカスバとオアシスの風景
 ○
ティネリール: 
  カスバ街道の中継点のひとつ。マラケシュの武将グラウイの“離宮”があります。
 ○
グラウイのカスバ: 
  小さいながら美しい装飾を施した堅固な要塞が、ティネリールの町中にあります。
 ○
ワルザザート: 
  サハラ砂漠やトドラ峡谷、ザゴラ方面へのツアーの中継点。砂漠の中の都市です。
 ○
タウリルトのカスバ: 
  ワルザザートの近郊にある、武将グラウイの居城。堅固で美しい外観を持ちます。
 ○
ティフルトゥトのカスバ: 
  映画「アラビアのロレンス」のロケ地となった有名なカスバ。現在はレストランです。
*昼食: ローカル・レストラン
*夕食: ローカル食堂 または 旅館
*宿泊: アイトベンハッドゥの集落内にある簡易旅館
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<05日目>10月04日(水)
■行程: アイトベンハッドゥ→ザゴラ→アイトベンハッドゥ
*朝食: ローカル食堂 または 旅館
*観光: 終日、カスバ街道とトドラ峡谷を観光します。
 ○
タムグルート: 
  この地に奴隷と蔵書をもたらしたイスラム教の聖人を祀る廟(マラブ)があります。
 ○
ザゴラ: 水曜日は市が立つ予定です。
  トンブクトゥまで52日!かつてラクダの隊商の宿場だったサハラ交易の中継点。
 ○
ドラア谷と隘路: 
  グランドキャニオンを彷彿とさせる、スペクタクルな景観が続く国道9号線を走破。
*昼食: ローカル・レストラン
*夕食: ローカル食堂 または 旅館
*宿泊: アイトベンハッドゥの集落内にある簡易旅館
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<06日目>10月05日(木)
■行程: アイトベンハッドゥ→マラケシュ→カサブランカ
*朝食: ローカル食堂 または 旅館
*移動: 専用車でアトラスを越え、マラケシュへ。
*昼食: アトラス山中のローカル食堂
*夕食: ポール・ド・ペッシュ
*宿泊: ノボテル・カサブランカ(スタンダード部屋)または同等
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<07日目>10月06日(金)
■行程: カサブランカ→セウタ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でスペイン領北アフリカのセウタへ。
*昼食: ローカル・レストラン
*移動: 専用車でモロッコとスペイン領北アフリカの国境地帯へ。
・・手続: モロッコ出国→スペイン入国
*移動: 専用車でスペイン領北アフリカ側の国境からセウタのホテルへ。
*観光: 午後、セウタのウオーキング・ツアーにご案内致します。
 ○アスンシオン・デ・セウタ聖堂: 
  アラブ占領下に建てられたモスクを後年、ポルトガルが教会に変えました。
 ○城壁とサン・フェリペ濠
  ポルトガル時代に建設。海上からの攻撃から街を守るための防衛設備
 ○アフリカ聖母教会
  エンリケ航海王子が寄進した名刹
 ○市庁舎
  1926年に建てられた重厚な建築物
 ○ローマ時代後期の教会
  現在は博物館となっています。
 ○アチョ山
  ヘラクレスの柱と目される伝説地のひとつ。
*夕食: ローカル・レストラン(スペイン料理)
*宿泊: ホテル・セウタ・プエルタ・デ・アフリカ(スタンダード部屋)または同等
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<08日目>10月07日(土)
■行程: セウタ〜アルヘシラス→ラ・リネア(⇔ジブラルタル)→マラガ
*朝食: ホテル
*送迎: 専用車でホテルから埠頭へ。
*移動: FRSフェリーでセウタからイベリア半島のアルヘシラスへ。
 FRSフェリー セウタ     09:00〜アルヘシラス  10:00
*移動: 専用車でアルヘシラス埠頭からラ・リネア国境へ。
*移動: 徒歩でイギリス領ジブラルタルへ。
*観光: 半日、ジブラルタル観光(約6時間/プライベートツアー)
 ●
360°ジブラルタルの岩一周
 ○
100トンの大砲
 ○
ヨーロッパ岬(エウローパ岬)
 ○
カタラン湾 CATALAN BAY:
 ○
ヘラクレスの柱
 ◎
聖マイケルの洞窟
 ○
バーバリー・マカク(エイプス=サル山)
 ●
市街地
 ●
ジブラルタル包囲戦時の隧道 GREAT SIEGE TUNNEL: 
 ◎
地下道網=GALLERIES
 ◎
アン王女砲台
 ◎
オハラ砲台
 ◎
ムーア人のお城
 ●
ショッピング地区
 ●
ジブラルタル空港滑走路
*昼食: ローカル・レストラン
*移動: 徒歩でスペイン側ラ・リネアへ。
*移動: 専用車でマラガへ。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: バルセロ・マラガ(スタンダード部屋)または同等
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<09日目>10月08日(日)
■行程: マラガ⇒マドリッド⇒ドバイ⇒
*朝食: ホテル
*移動: 鉄道でマラガ駅(ホテルに隣接)からマラガ空港駅へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−142 マドリッド   15:20⇒ドバイ     00:45 翌日
・・宿泊: 機内泊
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<10日目>10月09日(月/

■行程: ⇒成田空港
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、成田空港へ。
 EK−318 ドバイ     02:40⇒成田空港    17:35
・・帰国
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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
 

  2017年09月30日(土)出発決定!
 添乗員が同行し、お世話致します。

  ・・・ 次回は2017年11月を予定しています。




<最少催行人数 :
1名から催行。添乗付きのみ>


人数 現地滞在費用  航空券代金  合計
1名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
2名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
3名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
4名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
5名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
6名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
7名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
8名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
9名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
10名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
一人部屋
追加料金
 お問い合わせ下さい 


●お申込期間:出発2か月前まで



●ご旅行代金には下記のものが含まれます
 *宿泊: 下記のホテル または同等クラスのスタンダード部屋
  ・・マラケシュ: リヤド・アミリス(スタンダード部屋)または同等
  ・・アイトベンハッドゥアイトベンハッドゥの集落内にある簡易旅館
  ・・カサブランカ: ノボテル・カサブランカ(スタンダード部屋)または同等
  ・・セウタ: ホテル・セウタ・プエルタ・デ・アフリカ(スタンダード部屋)または同等
  ・・マラガ: バルセロ・マラガ(スタンダード部屋)または同等
 *食事: 朝食8回/昼食8回/夕食8回
 *交通: 下記の車両/船舶を利用します。
   ・・モロッコ: 専用車
   ・・スペイン領北アフリカ: 専用車
   ・・アルヘシラス→ラ・リネア→マラガ: 専用車
   ・・ジブラルタル観光: 専用車
 *航空: 日本⇒アイウン⇒カサブランカ/マラガ⇒日本 航空券(税・燃油代込)
 *案内: モロッコ、スペイン領北アフリカ、スペイン いずれも英語ガイド兼運転手
 *観光: 入場箇所の入場料/拝観料
 *税金: 宿泊税/観光税
 *添乗: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/観光同道経費/査証代/現地での通信費

●ご旅行代金に含まれないもの
 x 通信費: 現地でご利用になる通信費(電話/FAX/ネット)利用費用
 x 飲食代: 明記されない食事代/飲物代/お部屋のミニバーやルーム・サービス
 x 個人費: 洗濯代/ホテルや観光施設の有料サービス・施設使用料
 x 観光費: オプショナル・ツアー
 x 経由地: 経由地での諸経費
 x チップ: ガイドや運転手へのチップ/ホテルの枕銭
 x 渡航費: 旅券(パスポート)申請/更新/査証欄増補などの費用
 x 査証代: ベナン査証代金/トーゴ査証代金/ガーナ査証代金/エチオピア査証代金


●旅券(パスポート)/査証(ビザ):
 ・・旅券(パスポート):
   ・帰国日の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間があることが望ましい
   ・未使用の査証欄が4頁以上あることが望ましい。

 ・・査証(ビザ): 日本国籍のお客様は今回の旅に査証は不要です。
        日本以外の国籍をお持ちのお客様はご相談下さい。






電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで

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