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2017年 西アフリカ シリーズ

ナイジェリア
歴史・民俗探訪7日間
奴隷貿易関連史跡とヨルバの神々の世界観

エミレーツ航空利用(成田/JR名古屋駅/関西発)
 

ここがポイント!

知られざる西アフリカの国々


ナイジェリア


奴隷貿易の歴史とヨルバの神々の世界観を辿る

  
 
ナイジェリア(左)バダグリー最初の教会 (右)アベオクタのオルモ・ロック

 
 オショボの川の神“オシュン”


西アフリカのギニア湾沿岸は、奴隷貿易のメッカとして栄えた土地です。
ギニア湾岸に領地をもっていた王や大名諸侯は、奴隷貿易が巨大な富を産むことを知り、手勢を差し向けて内陸部から農民たちを捕獲し、西欧人に売って利益を得ていました。
奴隷たちは、手枷、足枷をはめられ、狭い倉庫のような部屋に押し込められ、やがて奴隷船に載せられ、大西洋を越えて北アメリカ、中南米、カリブ海へと送られていきました。
ナイジェリアのバダグリーや、ベナンのウィダーには、奴隷が最後にふるさとアフリカを見た場所という、悲しい史跡がいくつも残されています。
一方で、戦慄の奴隷狩りから逃れるために、知恵を絞って暮らしていた人たちもいます。ナイジェリアのアベオクタに位置するオルモ・ロックなどに、その工夫をみることができます。
奴隷狩りの悲しい歴史&奴隷狩りから逃れようと工夫した人々の知恵、今回の旅は歴史のコントラストを目の当たりにすることができるでしょう。
(By 本庄久美)



ブラジル密教カンドンブレーの起源、西アフリカ

西アフリカの大国ナイジェリア南部に住むヨルバ人の間には、独特の自然崇拝があります。
やがて海を越えてブラジルのカンドンブレーへと連なる系譜の源流がそこにあります。
今回の旅で訪れるアベオクタのオルモ・ロックには、オリシャと呼ばれるヨルバの神々が祀られた“神社”や“祠”は、日本の神道に通ずるものがあると感じられるかも知れません。
また、世界文化遺産に登録されたオシュン=オショボの聖なる木立には、神々の像がいたるところにあります。
ヨルバの神々は、ヨルバの人々が奴隷船に乗せられて送られた先でも、人々の心と生活に息づいていました。ブラジルのサルバドールには、ナイジェリアがルーツの人々が暮らしており、彼らはいまだにヨルバの神々を心のよりどころにしています。

神々の住みたもう聖域をガイドと一緒に散策しましょう。



奴隷貿易〜人類の負の歴史
大航海時代以降、大西洋を越えて北中南米やカリブ海に入植したヨーロッパの人々は、おもに大農園を開拓して生活していました。その大農園での労働力を確保するために、中世のヨーロッパの人々は、アフリカの大地で奴隷狩りを行い、幾多の人々を奴隷としてヨーロッパへ、カリブ海へ、そして南米へと連れ去りました。
奴隷を供給していたのは、ギニア湾岸の武力をもつ幾つかの小国であったといいます。
ある小国の王侯貴族は武士階級に奴隷狩りをさせ、その富で国を維持していました。
奴隷として海を渡り、ついにアフリカに帰ることなく異境で果てた人々。
彼らが連れて行かれた先で細々と守り続けた文化の一端を我々は見ることができます。


<観光の見どころ>

バダグリー Badagry の奴隷積出港史跡【パームツアーセンター推薦遺産】
ナイジェリアのラゴスと、ベナンとの国境の間、街道沿いにある海辺の史跡。西アフリカの大西洋沿岸は奴隷の集散地で、いくつもの奴隷貿易の拠点がありました。セネガルのゴレ島、ガンビアのジェームズ島(現クンタ・キンテ島)、ギニア=ビサウのカシェウ、シエラレオネのバンス島、ガーナの奴隷海岸(エルミナ、ケープコーストほか)、ベナンのウィダーなど・・・ナイジェリアにあるバダグリーの港もかつての奴隷積出港のひとつでした。内陸で奴隷狩りによって掴まった人たちは、この積出港に集められ、劣悪な環境の収容所に入れられ、奴隷船で荷物のように運ばれました。劣悪な環境の中で命を落とす奴隷も少なくなかったと言います。バダグリーでは現在、奴隷貿易史跡を観光客に開放しています。ちなみにバダグリーの町には現ナイジェリア国内における最初の教会が建てられた跡地が残っています。
 
アギヤ・ツリー記念碑 AGIYA TREE MONUMENT:
   1842年(日本は天保13年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十二代将軍・徳川家慶の治世)
   9月24日、この地にキリスト教を布教したことを記念して植樹された木がアギヤの木。
   樹齢300年を迎えた頃には高さ49m、周囲9mほどの大木に育っていましたが、1959年
   (昭和34年)6月20日、台風により倒れ、2012年(平成24年)、記念碑が建てられました。
 
ナイジェリア最初の教会 FIRST STOREY BUILDING IN NIGERIA:
   1845年(日本は弘化2年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十二代将軍・徳川家慶の治世)、
   イギリスからキリスト教の布教のため渡来したチャーチ・ミッショナリー・ソサエティCMS
   に属するヘンリー・タウンゼント牧師らにより建立された、現ナイジェリア国内における
   最初の教会の跡です。この地はもともと敬虔なブードゥー教信者の多い土地でしたが、
   CMSの宣教師たちは誠意を持って地元民に接したために信用され、徐々に地元民は
   キリスト教に改宗してゆきました。忘れてはならないのはサミュエル・アジャイ・クラウザー
   司祭。彼は1809年(日本は文化6年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉
   の治世)に生まれた彼は12歳の折、奴隷としてポルトガルの奴隷船に乗せられましたが、
   その船はイギリス海軍によって拿捕され、現在のシエラレオネにあったイギリス植民地に
   引き渡されました。自由になった彼は、神の御加護により救われたと信じ、イギリスに渡り
   熱心に進学を学びました。やがて故郷に戻った彼は聖職者となり、この最初の教会にて
   聖書を英語からヨルバ語へと翻訳し、地域の布教に尽力しました。
 
宣教師墓地 EARLY MISSIONARIES CEMETERY
   ヨルバの土地にキリスト教をもたらし、布教につとめた早い時期の宣教師たちの墓地。
   この地に教会が建立されたのは、1845年(日本は弘化2年)のことです。
 
チーフ・モビーの奴隷遺物博物館 CHIEF MOBEE SLAVE RELIC MUSEUM:
   首長であるMOBEEさんの一族が経営する奴隷の遺物を展示する博物館。博物館には
   手枷/足枷など、当時の奴隷貿易を知る上で重要な遺物を見ることができます。
 
ヘリテージ博物館 HERITAGE MUSEUM:
   MOBEEさんの博物館にほど近い、もうひとつの資料館です。ここには奴隷船の簡単な
   模型があります。稚拙な模型ですが、奴隷船の過酷な状況をうかがい知るには充分です。
 
奴隷房の跡 BRAZILIAN BARACOONS/SERIKI ABBAS COMPOUND:
   各地から集められた奴隷たちが、船に乗るまでの日々を過ごした奴隷房の史跡です。
   40人の奴隷が入れられていた奴隷房の史跡で、中庭を囲むように建物が配置されて
   います。建物はブラジル風の建物と言われていますが、バダグリーからはブラジルへと
   運ばれた奴隷が多かったようです。ブラジルにはこの地から伝搬したヨルバの神々の
   儀礼が残されています。
 
奴隷市場跡 BADAGRY SLAVE MARKET
   ヨルバの人々は、奴隷狩りによって捕えられ、この地に集められました。土地の支配者は
   ヨーロッパの人々に、その奴隷たちを売っていました。
 
奴隷積出港跡と魂の井戸 BADAGRY SLAVE PORT & SPIRIT ATTENTUATION WELL:
   幾多の奴隷がこの港からブラジルなどへ送られて行きました。そして戻ってくることは
   殆ど不可能でした。
   奴隷がこの地を離れるとき、故郷を忘れないように水を飲んだという井戸。
   西アフリカには奴隷積出港にはこのような伝説が数多くあります。
   ヨルバの神々もともに海を渡り、ブラジルに根付きました。
 
還らずの岬 POINT OF NORETURN
   奴隷積出港を出た奴隷船が最後に通るアフリカの土地。ここを出た奴隷船は、二度と
   戻って来られませんでした。


アベオクタ ABEOKUTA: 【パームツアーセンター推薦遺産】
アベオクタ市は、ヨルバ族の言葉で“岩の下”を意味しています。ここは聖域であるオルモ・ロックという巨大な岩山の麓に広がる町で、オルモ・ロックの門前町の様相を呈しています。
アベオクタの町ができたのは1825年(文政8年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世。江戸幕府が“異国船打払令”を発布した年)のことです。隣接するダホメー王国や
イバダン王国の奴隷狩りから逃れた人々が集まり、建設されました。この時代、ヨルバ人社会は
強大にして最大の版図を持っていたオヨ王国の崩壊により、群雄が割拠する戦国時代となっており、オヨをはじめとするヨルバ人の土地からの戦乱を避けて逃れてきた難民たちにより、瞬時にして一大都市になったと言われています。1851年(日本は嘉永3年〜嘉永4年。孝明天皇の御代。江戸幕府十三代将軍・徳川家定の治世)、ダホメー王国の奴隷狩りの軍団の侵攻を受けますが、アベオクタのヨルバ人は団結。武装して抵抗し、ついに軍団を敗走させました。さらに1864年(日本は文久4年〜元治元年。孝明天皇の御代。江戸幕府十四代将軍・徳川家茂の治世。池田屋事件、禁門の変、長州藩が英仏蘭米の艦隊と戦い敗れた下関戦争などが勃発))、ダホメー王国の奴隷狩りの軍団が再度、襲来しますが、この時もヨルバ人はよく戦い、撃退しました。1893年(明治26年)にアベオクタはイギリスの支配下に入りました。
もとは何もなかったアベオクタは、現在ではゴム、ヤムイモ、パームオイルの集散地として栄えています。また、オルモ・ロックは観光地として有名になり、観光収入も期待できます。
ナイジェリアの第五代/第十二代大統領オルシェグン・オバサンジョ、ノーベル文学賞を受賞したウォーレ・ショインカ、そしてアフロ・ビートの父フェラ・クティの出身地として知られています。
 
オルモ・ロック全望 The View of OLUMO ROCK
   まずはオルモ・ロックの全貌をご覧下さい。奇岩怪石が折り重なる風景を見れば、
   神聖視される理由がわかるような気がするでしょう。
 
社殿群 The SHRINES
   日本の神道の世界観にも通ずる、ナイジェリアのヨルバ人が持つ“八百万の神々
   (オリシャ)”の世界観をご覧下さい。山中には“神社”がたくさんあります。
 
御神木 The SACRED TREES
   “神社”もあれば、御神木もあります。ヨルバの人々の宗教観の一端を、垣間見る
   ことができるでしょう。
 
雷神 SHANGO -- The GOD of THUNDER
   シャンゴは、ヨルバ人に伝わる神々の一柱で、雷と嵐を司る神とされています。
   この神はかつてヨルバ人の社会で最強最大を誇ったオヨ王国の第三代国王で、
   オヨ王国の領土を最大にした偉大な王であり、かつ苛烈な性格ゆえ、暴君として
   恐れられていました。彼には人間であった頃から、雷を操ることができたという
   伝説があります。医師であり、勇猛果敢な武将でもあり、民に畏怖されていました。
   あるとき、力をつけた二人の武将を戦わせ、共倒れも目論みましたが、生き残った
   武将はシャンゴに対して謀反を起こします。人心を得られなかった王シャンゴは、
   防戦するも及ばず、森に逃げ込み、自害しました(一説には雷を操っていた際に
   誤って妻子を殺してしまったため、悔いて自害したという異説もあります)。
   シャンゴは死後、祟りをもたらす荒ぶる神となったため、民はシャンゴを供養し、
   自然の統御、報復的正義と激情を司る神として神格化し、崇めるようになりました。
 
戦時の隠れ家 The TRIBAL WAR-TIME HIDEOUTS
   オルモ・ロックはその複雑な地形のため、戦時における隠れ家としての役割も
   果たしていました。
 
オルモ・ロック頂上 The TOP of OLUMO ROCK
   オルモ・ロックの頂上は、展望台として観光客にも開放されています。アベオクタの人々が
   築いてきた歴史的景観を頂上からご覧下さい。


オシュン=オショボの聖なる木立【世界文化遺産】
ナイジェリア南部、ヨルバの人々には日本の八百万の神々信仰に似た、自然崇拝が息づいています。長らく朽ち果てつつあったお社は、オーストリア人女性により、よみがえりました。オシュン川を中心に広がる聖なる森では、よみがえったお社が独特の宗教観や文化を今に伝えています。例をみない重要な歴史や伝統、宗教観、文化的景観が評価され、世界文化遺産に登録されました。
聖なる木立を散策してみると、あちこちにヨルバの神々が祀られているのが見られます。ユーモラスな表情をした川の神様は特に人気があるようです。
ヨルバの神々は奴隷と一緒に海を渡りました。ポルトガルの奴隷船に乗せられ、行きついた先は主にブラジルです。ポルトガル人が植民して、大農場を経営していた北東部では、ヨルバの人々の労働力は非常に重宝されました。やがて、奴隷制が廃止され、自由になった人々は、ブラジル最初の首都であったサルバドールやその周辺に住みつき、神々への信仰を復活させました。それが現在、カンドンブレ−として知られています。


【海を渡り、ブラジルに根付いたカンドンブレー】
奴隷と共に海を渡った15柱のオリシャは、ブラジルに辿りつきました。
艱難辛苦に耐えて農場開墾に従事するアフリカの人々を見守り続けました。
そして、バイーアの神となって、キリスト教が浸透しても、人々の心に残り続けました。
現在、観光客にも門戸を開放し、彼らの宗教観の一環をみせてはくれます。
しかし、本来のアフリカ神道としての儀礼は、密かに続けられているとか・・・
奴隷が護身のために編み出した拳法カポエイラも独特の文化のひとつとして有名です。




モデルプラン(手配旅行です)
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ナイジェリア
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<01日目> 月 日(土)
■行程: 成田空港/JR名古屋駅→関西空港⇒/関西空港⇒
成田空港発着の場合
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国〜搭乗
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−319 成田空港    22:00⇒ドバイ     04:50 翌日
・・宿泊: 機内泊

JR名古屋駅発着の場合/乗降車場所: 太閤通口の噴水前
・・手続: 乗車手続
※移動: エミレーツ航空のシャトルバスで、JR名古屋駅から関西空港へ。
 EK7031 JR名古屋駅  15:00⇒関西空港    18:30
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国〜搭乗
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−317 関西空港    23:35⇒ドバイ     05:45 翌日
・・宿泊: 機内泊

関西空港発着の場合
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国〜搭乗
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−317 成田空港    23:35⇒ドバイ     05:45 翌日
・・宿泊: 機内泊
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<02日目> 月 日(日)
■行程: ⇒ドバイ⇒ラゴス→バダグリー
・・手続: 安全検査〜搭乗
※移動: エミレーツ航空で空路、ナイジェリアのラゴスへ。
 EK−783 ドバイ     10:30⇒ラゴス     15:40
・・手続: 入国〜機内預け荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*出迎: 運転手兼ガイドが空港にてお出迎え致します。
*送迎: 専用車で空港からバダグリーにご案内致します。
*夕食: ホテル
*宿泊: ウィスパリング・パーム・ビーチ・リゾート(スタンダード部屋) または同等
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<03日目> 月 日(月)
■行程: バダグリー→アベオクタ→オショボ
*朝食: ホテル
*観光: 午前、バダグリーの奴隷関連史跡や、キリスト教史跡などを観光します。
 ○バダグリーの奴隷貿易史跡
  ギニア湾には奴隷貿易の拠点が多く築かれました。
  ナイジェリアの沿岸も例外ではなく、バダガリーに奴隷集積場と港がありました。
  二階建ての最初の教会や、井戸、奴隷貿易に関する資料館などがあります。
   ・・アギヤ・ツリー記念碑 AGIYA TREE MONUMENT
   ・・ナイジェリア最初の教会 FIRST STOREY BUILDING IN NIGERIA
   ・・宣教師墓地 EARLY MISSIONARIES CEMETERY
   ・・チーフ・モビーの奴隷遺物博物館 CHIEF MOBEE SLAVE RELIC MUSEUM
   ・・ヘリテージ博物館 HERITAGE MUSEUM
   ・・奴隷房の跡 BRAZILIAN BARACOONS/SERIKI ABBAS COMPOUND
   ・・奴隷市場跡 BADAGRY SLAVE MARKET
   ・・奴隷積出港跡と魂の井戸 BADAGRY SLAVE PORT & SPIRIT ATTENTUATION WELL
   ・・還らずの岬 POINT OF NORETURN
*昼食: ローカル・レストラン
*移動: 専用車でアベオクタに移動します。
*観光: オグン州の州都アベオクタを観光します。
 ○
アベオクタ ABEOKUTA
  アベオクタ市は、ヨルバ人の言葉で“岩の下”を意味しています。ここは聖域である
  オルモ・ロックという巨大な岩山の麓に広がる町で、オルモ・ロックの門前町の様相を
  呈しています。オルモ・ロックはツーリストセンターとなっており、ヨルバ人の神々への
  信仰を垣間見ることができます。巨大な一枚岩は、神主さんにより守られている聖域。
  ここは地元の人にとっては、占いのメッカとしても有名です。
   ・・オルモ・ロック全望 The View of OLUMO ROCK
   ・・社殿群 The SHRINES
   ・・御神木 The SACRED TREES
   ・・雷神 SHANGO -- The GOD of THUNDER
   ・・戦時の隠れ家 The TRIBAL WAR-TIME HIDEOUTS
   ・・オルモ・ロック頂上 The TOP of OLUMO ROCK
*夕食: ホテル または ローカル・レストラン
*宿泊: パーク・イン(スタンダード部屋) または同等
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<04日目> 月 日(火)
■行程: アベオクタ→オショボ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でオショボに移動します。
*観光: オショボを観光します。
 ◎
オシュンの聖なる森【世界文化遺産】 OSUN SACRED FOREST
  ナイジェリアのヨルバ人の心の拠所である、オリシャ(神々)を祀る神域。
  神々を祀るオショボの聖域は特に貴重とされ世界文化遺産に登録されている。
*昼食: ローカル・レストラン
*移動: 専用車でホテルにご案内致します。
*夕食: ホテル
*宿泊: イデアル・ネスト・ホテル(スタンダード部屋) または同等
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<05日目> 月 日(水)
■行程: オショボ→ラゴス⇒
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でラゴスへ。
*観光: ラゴスのミニ観光にご案内致します。
 ◎
ナイジェリアン国立博物館 NIGERIAN NATIONAL MUSEUM:
  博物館には、塑像、彫刻、考古学的/民俗学的に重要な資料などが展示されています。
  有名な北部ナイジェリアのノク文化のテラコッタ製の JEMAA HEAD はみものです。
 ○
ブラジリアン地区 BRAZILIAN QUARTERS:
  奴隷制の廃止によってブラジルやキューバから帰還したヨルバの人々は、ラゴスの一角に
  家を建て、住まいました。彼らはブラジル建築様式の家を建て、史跡になっています。
 ●
エコ・アトランティック・シティ ECO-ATLANTIC CITY
  ラゴスの新興地区。産油国ナイジェリアの底力を感じさせる近未来都市です。いずれは
  ナイジェリア最大のビジネス地区になる予定です。
 ◎
ナイキ・アート・ギャラリー NIKE ART GALLERY:
  現代ナイジェリアの芸術家の作品を展示しています。ナイジェリア人は芸術性にすぐれて
  おり、それはナイジェリアの美術史が証明しています。
 ○
フリーダム・パーク FREEDOM PARK:
  かつては植民地時代の刑務所のあった場所につくられた公園で、ダウンタウンに位置して
  います。現在では文化的催しが行われる場合、その会場になることが多い場所です。
 ○
ティヌブ広場 TINUBU SQUARE (旧独立広場 INDEPENDENCE SQUARE)
  もとの独立広場。近代ナイジェリアの歴史に残る女傑を記念してティヌブ広場と改名。
  ティヌブは奴隷貿易で巨万の富を築き、アベオクタの政財界に影響力を持った女豪商です。
<ナイジェリアにもいた、おんな城主ティヌブ>
近世〜近代に活躍した豪商。
彼女は1810年(日本は文政7年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)頃にエグバ森林地帯で生まれました。
商人として財をなした祖母によって、交易について学んだことが彼女の一生を運命づけました。
若くして結婚し、二人の息子が誕生し、アベオクタに転居しますが、1830年(日本は文政13年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)頃に夫と死別します。
しかし彼女は退位させられたラゴスの旧王アデレと出会い、再婚し、家族でバダグリーに転居しますが、夫はバダグリーの領主として一時、承認されます。
その時代は奴隷貿易が盛んで、彼女は二人の奴隷を使って、アベオクタとバダグリーなどギニア湾岸との交易事業を開始します。
利益が出るとそれを奴隷貿易の資金として、従業員を増やし、交易事業を拡大してゆきます。
1835年(日本は天保6年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)、ラゴスで王制が復活し、アデレはラゴス王に復帰し、ラゴスに戻り、彼女は王妃の位につきます。
1837年(日本は天保8年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉〜十二代将軍・徳川家慶の治世)、アデレが薨去すると、ムスリムの武将で新王オルウォレの旗本であったオバディナ(正式な名前は YESEFU BADA) と結婚し、王室の御用商人となり、商いを展開します。
1841年(日本は天保12年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十二代将軍・徳川家慶の治世)、オルウォレ王が薨去すると、後継者をめぐりコソコとアキトイェとの間で王位継承の争いが怒ります。彼女と夫はアキトイェを指示し、アキトイェは王位につくものの、アキトイェ王の政権は転覆されます。しかし、その混乱の中、彼女は奴隷貿易を継続し、莫大な利益を得ます。
1851年(日本は嘉永3〜4年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十二代将軍・徳川家慶の治世)、アキトイェの要請を受けたイギリスがラゴスに侵攻し、コソコを退位させ、アキトイェを王位につけます。
これを機に大西洋における奴隷貿易は終結し、奴隷以外の商品取引の時代へと変わります。
ティヌブはアフリカ人の自治と利権を守るためにイギリスに抵抗し、アベオクタに追放されます。
しかし、彼女はアベオクタは奴隷を投入して開拓を開始、ナツメヤシなどの栽培を軌道に乗せます。
さらに、アベオクタの政治にも介入し、アベオクタの IYALODE (女領主)の尊称を授けられました。
そして終生、アベオクタの政治・経済に影響力を残し、1887年(明治20年)に亡くなりました。
ティヌブは日本でいうところの攘夷派であり、奴隷貿易推進派であったようです。
交易で莫大な利益を得たのも、政治に介入したのも、アフリカ人の自治と利権を守るために力を持とうとしていたと言われています。
アフリカ女性は“家事”に埋没するイメージがありますが、ここまで積極的に政財に影響力を持った女性は類をみません。
ティヌブは、植民地かされる以前のアフリカの中で、為政者・成功者として名をあげた珍しい人物であったことは確かです。

*買物: ナイジェリアは民芸品天国。古来からナイジェリアみやげと言えば民芸品が有名。
     塑像、テラコッタの像など、壊れやすい物は梱包をしっかりと。決して言い値では
     買わないように!値切りゲームは買物の常識です。
*昼食: ラゴスのローカル・レストラン
*送迎: 終了後、ラゴス空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国〜搭乗
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−784 ラゴス     18:35⇒ドバイ     05:05 翌日
・・宿泊: 機内泊
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<06日目> 月 日(木)
■行程: ⇒ドバイ⇒
・・手続: 入国〜機内預け荷物引取~通関を済ませ、出口へ。
*送迎: 専用車で空港からホテルにご案内致します。
・・備考: ホテルのお部屋は到着後から出発まで、ご利用頂けます。
*休息: イビス・デイラ・シティセンター(スタンダード部屋) または同等
*送迎: 専用車でホテルから空港にご案内致します。
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<07日目> 月 日(金)
■行程: ⇒ドバイ⇒成田空港/関西空港(→JR名古屋駅前)
・・手続: 安全検査〜搭乗
☆注釈: 入出国/通関をして市内に出ることができます。
※移動: エミレーツ航空で空路、帰国の途へ。
成田空港発着の場合
※移動: エミレーツ航空で空路、成田空港へ。
 EK−318 ドバイ     02:55⇒成田空港    17:20
・・帰国

JR名古屋駅発着の場合/乗降車場所: 太閤通口の噴水前
※移動: エミレーツ航空で空路、関西空港へ。
 EK−316 ドバイ     03:20⇒関西空港    17:10
・・帰国: 検疫〜入国〜機内預け荷物引取〜通関を済ませ、シャトルバス乗り場へ移動
※移動: エミレーツ航空のシャトルバスで関西空港からJR名古屋駅へ。
 EK7032 関西空港    19:00→JR名古屋駅  22:30
・・帰着

関西空港発着の場合
※移動: エミレーツ航空で空路、関西空港へ。
 EK−316 ドバイ     03:20⇒関西空港    17:10
・・帰国

■行程: ⇒ドバイ⇒成田空港/⇒関西空港(→JR名古屋駅前)
※移動: トルコ航空で空路、帰国の途へ。
成田空港発着の場合
 TK−052 イスタンブール 01:15⇒成田空港    19:30
関西空港発着の場合
 TK−046 イスタンブール 01:00⇒関西空港    19:05
・帰国
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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。

 
 2017年01月14日(土)以降、毎週土曜日に出発日を設定できます。 このコースは添乗員が同行/または/合流し、お世話致します。
 添乗員が合流の場合はドバイ空港出発から帰着までです。



<最少催行人数 :1名から催行。定員10名。添乗員つき>

 <添乗員が同行または合流し、お世話致します>
人数 現地費用 航空券代 合計
1名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
2名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
3名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
4名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
5名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
6名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
7名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
8名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
9名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
10名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
 お一人部屋追加料金 お問い合わせ下さい


●お申込期間: 出発2カ月前まで



●現地発着料金には下記のものが含まれます
 *航空券: 日本⇒ラゴス⇒日本
 *車 両: ナイジェリア、ドバイでは専用車を利用します。
 *ガイド: ナイジェリアでは英語ガイドがご案内致します。
 *宿 泊: 各地スタンダード・クラスのホテルのスタンダード部屋
   バダグリー   ウィスパリング・パーム・ビーチ・リゾート または同等
   アベオクタ   パーク・イン または同等
   オショボ    イデアル・ネスト・ホテル または同等
   ドバイ     イビス・デイラ・シティセンター または同等
 *食 事: 朝食3回/昼食3回/夕食3回
 *観 光: 専用車と英語ガイドによる観光(入場料・拝観料込)
 *税 金: 観光税&宿泊税

●現地発着料金に含まれないもの
 X航空券の他に別途徴収される税・料金(燃油付加料金など)
 X個人的な支払い(電話、FAX、ネット通信費/チップ/明記されていないお食事/
  お飲み物/オプショナルツアー/経由地ドバイでの宿泊・送迎以外の諸経費)
 X査証代



【査証(ビザ)】
※査証申請のためにご用意頂く書類は下記のとおりです。

=ナイジェリア=
  @パスポート: 査証申請時に6カ月以上の残存有効期間と、見開き1頁の未使用査証欄
  A証明写真: 縦4.5cmx横3.5cm 2枚 カラー 正面上半身・無帽・背景は無地
  B申請書: 2枚。ダウンロードが必要。署名欄にパスポートと同じサイン
  C渡航目的と訪問予定地を説明した英文のレター
  D往復航空券のコピー
  E黄熱の予防接種証明書
  ☆料金: 査証代実費4,000円+代行手数料6,480円

 ※査証申請要綱や料金は変更になる可能性がございます。
   お申込の前に再度、お問い合わせ下さい。





電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで
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