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知られざるアフリカの国々シリーズ 
2018年12月28日(金)出発限定
スペイン北アフリカ プラサス・デ・ソベラニア
(メリリャ/ペニョン・デ・アルセマス/
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ/セウタ)
西サハラ(モロッコ実効支配地域)
+グランカナリア島 10日間

エミレーツ航空+イベリア/ノストラム航空+ロイヤル・モロッコ航空利用

ここがポイント!


★ 西アフリカの知られざる国々シリーズ ★


プラサス・デ・ソベラニア



 プラサス・デ・ソベラニア(スペイン北アフリカ)


 スペインには北アフリカ−現モロッコの国土および領海に飛び地を有しています。
 全部で5つある飛び地のうち、チャファリナス諸島のイザベル2世島とペニョン・
 デ・アルセマス、ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラにはスペイン軍が駐屯、
 一般渡航者は訪れることができません。ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ、
 ペニョン・デ・アルセマスの二島は、モロッコからその姿を見ることができます。
  ・チャファリナス諸島: アグア岬沖のコングレソ島、イサベル2世島、レイ島
  ・ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ: 世界最短の国境で繋がる砂州と島
  ・ペニョン・デ・アルセマス: 岩礁の上に要塞を持つ離島。補給船が就航する
  ・セウタ: モロッコのテトゥアンの北に位置するスペインの港町で定住者あり
  ・メリリャ: モロッコのナドールの北に位置するスペインの港町で定住者あり

 今回の旅ではスペイン北アフリカのパーツは、空路メリリャに到着〜陸路で出国。
 さらに陸路セウタに入国〜海路イベリア半島に向け出発します。


 
メリリャ Melilla
 古代フェニキア人により街が建設されたという古い歴史を持っています。その後
 カルタゴやローマ帝国に占領されます。ローマ帝国が衰退するとイスラム勢力が
 台頭、ウマイヤ朝、アッバース朝、イドリス朝、ファーティマ朝、ムワッヒド朝、
 マリーン朝、ワッタース朝と、支配者が代わります。1492年(延徳4〜明応
 元年。後土御門天皇の御代。室町幕府第十代将軍・足利義材=後の義稙の最初の
 治世)イベリア半島におけるレコンキスタは、ナスル朝グラナダ王朝滅亡で幕を
 閉じ、カスティーリャ=アラゴン連合王国は地中海の南岸に勢力を伸ばしました。
 カスティーリャ=アラゴン連合王国がメリリャを占領したのは1497年(明応
 6年。後土御門天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)のことで、
 それ以降、メリリャはスペイン領土となりました。1995年3月14日までは
 マラガ県に属していましたが、以降は自治権を有しています。人口は8万人ほど。
 面積は約12平方キロメートル。スペインとは海路、空路で結ばれ、モロッコと
 陸路で繋がっています。セウタに比べ、モロッコ色が強いという印象があります。
 今回は、スペインのマラガから空路でメリリャに入り、陸路モロッコに抜けます。


 
ペニョン・デ・アルセマス Penon de Alhucemas
 ペニョン・デ・アルセマスは、モロッコの港町でリゾート地のアル・ホセイマ沖
 300mの海上に浮かんでいます。1560年(永禄3年。正親町天皇の御代。
 室町幕府第十三代将軍・足利義輝の治世)に、この地を統治していたスルタンの
 ムーレイ・アブダッラーにより、バルバリア海賊防衛のためスペイン王国に割譲。
 カルロス2世時代にベルベル系のカビル人との貿易で栄えます。その後政治犯を
 含む犯罪者の流刑地となりました。モロッコ戦争時代の1925年(大正14年)
 には、スペイン海軍による『アル・ホセイマ上陸作戦』の前線基地となりました。


 
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ
 Penon de Velez de la Gomera

 メリリャの西方約126km、セウタの南東約117kmの地点に位置する小島。
 全長400m、面積わずか1.9ヘクタールの小島です。1508年(永正5年。
 後柏原天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄〜第十代将軍・足利義稙の
 二度目の治世)7月23日、スペイン軍により島は占領されました。1522年
 (大永2年。後柏原天皇の御代。室町幕府第十二代将軍・足利義晴の治世)には
 島の領主ムーレイ・ムハンマドは島を名実ともに入手。1564年(永禄7年。
 正親町天皇の御代。室町幕府第十三代将軍・足利義輝の治世)フェリペ2世勅命
 でカタルーニャ副王ビリャフランカ侯爵のガルシア・アルバレス・デ・トレドが
 島を奪還、以降スペイン領となります。1934年(昭和9年)までは島でした。
 その後、巨大な嵐によって砂がモロッコと島の間に砂州の地峡を作り出しました。


◆ヘラクレスの柱“セウタ&ジブラルタル◆

 
ギリシャ神話の英雄ヘラクレス。
 そのヘラクレスの十二の功業のうち、第十の功業のくだりに記されたヘラクレスの柱。
 現在、その場所は、ひとつはジブラルタル海峡の北、イベリア半島に位置するイギリス領
 ジブラルタル、いまひとつは北アフリカのセウタまたはモロッコに比定されています。
 それは、古代から交通の要衝として、そして戦略的にも重要視され、“柱”の争奪戦が繰り
 広げられたことを意味するとも考えられます。
 複雑な歴史に彩られたスペイン領北アフリカのセウタと、現在なおイギリス領である
 ジブラルタルを訪れます。


 ヘラクレスの柱
 ギリシャ神話、英雄ヘラクレスのくだりに登場する伝説の舞台です。
 ヘラクレスに課せられた、過酷な“十二の功業”のひとつで出てきます。
 大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ、エリュテイア島に住まう怪物ゲーリュオーンが
 飼う紅い牛を、エウリュステウス王のもとに連れ帰る、ヘラクレスの十番目の功業の中に
 それを見ることができます。
 エリュテイアへ向かう途中に、アトラス山を越えねばなりませんでした。
 ヘラクレスは近道をしようと考え、もともは巨人であったアトラス山を砕きました。
 アトラス三は二つに割れて、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が分かれ、大西洋と地中海が
 繋がりました。
 以降、二つに分かれた山を総称し、“ヘラクレスの柱”と呼ぶようになりました。
 柱のひとつは、ジブラルタル海峡に面したイギリス領ジブラルタルにある、ジブラルタルの岩。
 もうひとつは、諸説ありますが、対岸アフリカのスペイン領セウタにある、アチョ山とも、
 モロッコのヘベルムサ山とも言われています。
 今回の旅では、イベリア半島にあるイギリス領ジブラルタルと、アフリカにあるスペイン領
 セウタも訪問します。


 ★セウタ
 アフリカ大陸北部、三方をモロッコに囲まれ、一方が地中海に面したスペインの飛地領、
 それがセウタです。
 スペイン軍が駐屯するモンテ・アチョ、ヨーロッパとアフリカとを結ぶ航路が開けた港を
 中心に町が広がっています。
 沖合には、サンタカタリナ島が浮かび、サンタカタリナ島もまた、スペインの領土となっています。
 同じ北アフリカの“メリリャ”とともに、“スペイン領北アフリカ”とも呼ばれていますが、
 いわゆる植民地ではなく、本土と同じ扱いを受けています。
 古代から、セウタは交通の要衝/軍事拠点として重視されてきました。
 紀元前7世紀にはフェニキア人が定住。その後、ギリシャ人に占領されます。
 紀元前319年、カルタゴがセウタを支配下に置きます。
 紀元前201年、第二ポエニ戦争でカルタゴが降伏し、セウタはヌミディアに割譲されます。
 紀元前47年には、マウレタニア領となります。
 紀元後40年には、ローマの属州マウレタニア・ティンギタナの一都市となり、セプティムと
 呼ばれるようになります。
 5世紀中葉、ヴァンダル人の支配下に置かれましたが、ユステイニアヌス1世の治世下に、
 ベリサリウス将軍が占領し、以降、東ローマ帝国領となります。
 710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まると、
 西ゴート王国のセウタ伯ユリアヌスはイスラム側に寝返ります。
 そのため、セウタはイベリア半島への侵攻の拠点となります。
 やがてユリアヌスの死後、セウタはイスラム勢力に支配されるようになります。
 788年(日本は天応2年。桓武天皇の御代)、モロッコのイドリス朝がセウタを占領。
 931年(日本は延長9年〜承平元年。朱雀天皇の御代。平将門の乱の前)、後ウマイヤ朝の
 アブド・アッラフマーン3世がイベリア半島のカリフ領を制圧。
 その後、グラナダ王国とフェズ王国の係争の舞台となり、さらにカスティーリャ王国と
 アラゴン王国がセウタ攻略に介入するようになります。
 1415年(応永22年。称光天皇の御代。室町幕府第四代将軍・足利義持の治世)、エンリケ
 航海王子がセウタを奪取。ポルトガル領になりました。
 ポルトガル領であった名残に、セウタの紋章がポルトガルの国章に酷似しています。
 1580年(日本は天正8年。正親町天皇の御代。織田政権。室町幕府第十五代征夷大将軍・
 足利義昭は室町幕府滅亡後も将軍職に在職)、ポルトガル王朝滅亡に乗じ、ポルトガルは
 アブスブルゴ朝スペインのフェリペ2世によりスペイン領に、同時にセウタもスペイン領となります。
 18世紀、アメリカ独立戦争の局地戦ジブラルタル包囲戦を勝ち抜いたイギリス海軍が、
 海から、モロッコのアラウイー朝が陸から、セウタを脅かすようになります。
 1925年(大正14年)、スペインのカディス県から分離。
 1936年(昭和11年)、スペイン内戦に乗じて軍が全権を掌握します。
 1956年(昭和31年)、モロッコは独立しますが、セウタはスペインに留まり、今日に到ります。


 ★(対岸の)ジブラルタル
 イベリア半島の南東端に突き出した半島部に位置しており、イギリスの海外領土です。
 地名の由来は、ジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島を征服したウマイヤ朝の将軍
 ターリク・イブン・ズィヤードにちなみ、アラビア語で『ターリクの山=ジャバル・アル・ターリク』が
 訛ったものです。
 ネアンデルタール人が居住していた痕跡があり、かなり古くから人が定住していたことが
 判明しています。
 紀元前950年にはフェニキア人がジブラルタルに定住するようになりました。
 その後、ローマ人やヴァンダル族、ゴート族などがジブラルタルに一時居住しますが、
 定住には到りませんでした。
 フェニキア人が建国したカルタゴが第1次ポエニ戦争後にジブラルタルと南イベリア半島を
 勢力下としました。
 第2次ポエニ戦争によってカルタゴが降伏し、ローマ帝国がジブラルタルとイベリア半島を
 属領としました。
 400年代の初期から西ゴート族がイベリア半島に入植するようになり、西ローマ帝国の
 滅亡後は西ゴート王国の支配下となりました。
 710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まり、翌年、
 西ゴート王国はウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤードにより滅亡し、以降、この地は
 ムーア人の支配下に置かれ、イスラム圏に入ります。
 それ以降、ジブラルタルは歴史から姿を消します。
 1309年(日本は延慶2年。花園天皇の御代。鎌倉幕府第9代将軍・守邦親王の治世。執権は
 十六代・北条守時)にナスル朝グラナダ王国の一部となります。
 その後、カスティーリャ王国によって一時占領されます。
 1333年(大覚寺統:元弘3年。後醍醐天皇の御代/持明院統:正慶2年。光厳天皇の御代)に
 マリーン朝がジブラルタルを奪還し、マリーン朝はグラナダ王国にジブラルタルを割譲しました。
 1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)、
 スペインのカスティーリャ王国のメディナ・シドニア公がムーア人からジブラルタルを奪取しました。
 フェルナンド2世がスペイン王国を建国した後の1501年(日本は明応10年〜文亀元年。
 後土御門天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)、ジブラルタルもスペイン
 王国に帰属します。同年にイサベル1世からジブラルタルの紋章が贈られました。
 八十年戦争中の1607年(日本は慶長11年。後陽成天皇の御代。江戸幕府第二代将軍・
 徳川秀忠の治世)オランダ艦隊がスペイン艦隊を奇襲し、ジブラルタル沖が戦場となる
 ジブラルタルの海戦が勃発し、この海戦によってスペイン艦隊は大打撃を被ります。
 1701年(日本は元禄14年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)、
 スペイン継承戦争が勃発。
 王位継承者候補の一人であるカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)の即位を
 後押しするイギリス、オランダ、オーストリアがフランス王ルイ14世とスペイン王フェリペ
 5世に対し宣戦布告、英蘭墺三国同盟艦隊はしばしばスペイン南岸の港町を襲撃します。
 1704年(日本は元禄17年〜宝永元年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)
 8月4日、ジョージ・ルーク提督率いる英蘭艦隊が支援する海兵隊がジブラルタルに上陸、交渉の末、
 住民は自主退去し、ジブラルタルは連合軍の指揮下に入ります。
 1713年(日本は正徳3年。中御門天皇の御代。江戸幕府第七代将軍・徳川家継の治世)
 4月11日にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結、以降、イギリス領となります。
 アメリカ独立戦争が勃発すると、スペインは独立勢力支援に回り、1779年(日本は安永8年。
 後桃園天皇〜光格天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)よりジブラルタル
 への厳重な封鎖(ジブラルタル包囲戦)を開始します。
 イギリスは3年近い包囲戦に耐え、浮砲台を撃破し、ジブラルタルを死守しました。
 1985年には既に軍事拠点としての重要性も低下し、スペインとの国境が開放されました。
 現在では観光地として旅行者を受け入れています。




モロッコ


 
シャウエン CHEFCHAOUEN
 リフ山脈の北麓、標高2050mのティスーカ山と、1616mのメッグ山の山懐にある
 小さな町です。シャウエンとはアラビア語で“角”を意味しますが、ティスーカ山と
 メッグ山が二本の角のように見えることから、町の名がシャウエンになったとか。
 正式名称はシェフシャウエン CHEFCHAOUEN です。
 この町の起源は15世紀に遡ります。1471年(日本は文明3年。後土御門天皇の御代。
 室町幕府第八代将軍・足利義政の治世/第五代古河公方・足利成氏は享徳20年を
 継続使用)にムーレイ・アリ・ベン・ムーサ・ベ・ラチェッド・エル・アラミが、北アフリカに
 侵略してきたポルトガルと戦うための要塞として建設したのが始まりとされます。
 1920年(大正9年)〜1956年(昭和31年)のモロッコ独立まで、シャウエンの町は、
 スペインに占領されていました。町の建物の白壁と、アクセント・カラーのブルーが
 この町を美しく彩ります。この町にしかない民芸品も人気があります。

≪西サハラ≫
アフリカ大陸の北部、日没するマグレブのそのまた西、さいはての地にある西サハラ。
かつてのカミオン(トラック)交易ルートであった、アルジェリア〜ニジェール/マリ〜西アフリカのルートが、部族による略奪などの危険性により、衰退。代わって、モロッコから西サハラを抜け、モーリタニアに入るルートが誕生しました。欧州からアフリカをめざす旅客が、一度は夢見たサハラ越え。いまでは、西サハラ地域を通るのがほぼ、一般的となっています。
かつてスペイン領であったこの地域は、現在は帰属のはっきりしない地域。実効支配をしているのは、モロッコです。
今回西サハラ地域の主都アイウンと、大西洋とサハラ砂漠の三か所を巡ります。


・・面積は266,000平方キロメートル
・・人口は270,000人

略史

1884年(日本では明治17年)11月15日より、翌年2月26日まで、ドイツ帝国の首都ベルリンで開催された、列強のアフリカ分割会議『ベルリン会議』により、スペインは現在の西サハラの地域を獲得し、現在のモロッコ最南端部に獲得したスペイン領とは別に、植民地化を進めました。 この地域は中世より続く部族社会が形成されており、スペインの植民地化に執拗な抵抗を見せました。
1904年には、スマラを中心にスペインに対する反乱がおこり、1910年には鎮圧されるものの、その後も断続的に反乱が続き、スペインは目標としていた1934年までの全土制圧は難しいと悟りました。
モロッコは1956年の独立に伴い、現在のモロッコの南部に位置するスペイン領モロッコの返還のみならず、スペインが領有していた現在の西サハラ地域をも返還対象との主張を続け、1957年にモロッコとスペインによる、スペイン領モロッコの領有を巡るイフニ戦争を経て、1969年にはイフニがモロッコに返還されました。 1975年、のちに『緑の行進』と呼ばれる、モロッコ、モーリタニアからの領土要求運動の高まりの中で、ついにスペインはこの地域から撤退しました。

以後、この地域はモーリタニア、モロッコによる分割統治の時代に入りますが、部族の執拗なモーリタニア攻撃により、ついにモーリタニアは領有権を放棄。
現在では、モロッコによる実行支配を受けています。
西サハラの独立を求めるポリサリオ戦線=サハラ・アラブ民主共和国の支配地域と、モロッコ実効支配地域は、『砂の壁』と呼ばれる政治的隔壁によって分断されています。
サハラ・アラブ民主共和国の支配地域は現状では入域が非常に困難で、旅行者が訪れることのできる地域はモロッコ実効支配地域に限られます。

複雑な歴史と部族社会をもったサハラの非独立地域『西サハラ』
今回は、主都ラアユンと、古都スマラ、そしてモーリタニアに近い南部の海岸都市ダフラを訪れ、激動の時代に翻弄されたこの地域の歴史や文化に触れます。

日本や欧米の殆どの国は、モロッコ王国との関係重視の立場から、サハラ・アラブ民主共和国を承認していません。現時点では、さしものパームツアーセンターも、サハラ・アラブ民主共和国の実効支配地域の」手配はできません。

この地域の帰属は、いまだに確定していません・・・

◆旅のスタイルは・・・

この地域を訪れる観光客は、モロッコからモーリタニアに陸路で通過する人々に限られると言われています。
今回は、西サハラ地域を旅の目的地として、この地域を旅したいけれども、情報がなく、旅行の仕方が見えてこない・・・という皆様のため、パームツアーセンター店長の同行するプランに加えました。
観光施設は限られており、ホテルは地方では民宿に近い宿など、地元密着型の旅です。

なんといっても、純粋な観光客など、殆ど来たことのない地域。

お土産屋さんすら、ないかもしれない、西サハラ。
この地域を二度も訪れた店長が、皆様を安全に、比較的ラクに、ご案内致します。

<観光の見どころ>
 ラーユーン:
  スルタン統治の時代からスペイン領時代を経てサハラ・アラブ民主共和国が亡命政権として
  独立宣言をするに到る、各時代の面影をご覧頂くことになります。
 ラーユーン市内に、大きな枯川があります。軍の屯所があるので、撮影注意!
 お泊りは野趣あふれるベドウィン・キャンプ(個室)です。





モデルプラン(手配旅行です)

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<01日目>12月28日(金)
■行程: 成田空港⇒
≪成田空港発着の場合≫
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国〜搭乗
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−319 成田空港    22:00⇒ドバイ     04:55 翌日
・・宿泊: 機内泊
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<02日目>12月29日(土)
■行程: ⇒ドバイ⇒マドリッド⇒
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、マドリッドへ。
 EK−141 ドバイ     07:25⇒マドリッド   12:40
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*移動: シャトルまたは契約タクシーまたはシャトルまたは列車で空港からホテルへ。
*昼食: マドリッド郷土料理コシード(つぼ焼き料理)を予定
*散策: マドリッドの王宮周辺/マヨール広場周辺を散歩しましょう。
*夕食: スペイン名物コチニーリョ(子豚のロースト)を予定
*宿泊: トリップ・アトーチャ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<03日目>12月30日(日)
■行程: マラガ⇒メリリャ
*朝食: ホテル
*移動: シャトルまたは契約タクシーまたはシャトルまたは列車でホテルから空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査
*移動: イベリア航空(ノストラム航空)の国内線で空路、メリリャへ。
 IB8790 マドリッド   11:15⇒メリリャ    13:00
・・手続: 受託荷物引取を済ませ、出口へ。
*送迎: シャトルまたは契約タクシーで空港からホテルへ。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*観光: 午後、メリリャの徒歩観光
 〇
スペイン広場 Plaza de Espana: 
  新市街の中心で市役所が面しています。ガウディの支持者で建築家であった
  エンリケ・ニエトが都市計画の一環として設計したことで知られています。
 〇
アルマス広場 Plaza de Armas : 
  モロッコでいうカスバのような場所で、ここには司令部が置かれ、メリリャ
  防衛の要として機能していました。現在、大砲や牢獄の跡が残されています。
 〇
マリナ門 Puerta de la Marina:
  メリリャの旧市街(メディナ)を囲む城壁の南側に位置する堅固な城門です。
  門を入ったすぐの広場には、貯水池 Aljibes de las Penelasが残されています。
 ◎
市立博物館 Museo Municipal:
  フェニキア時代〜ローマ帝国時代の貨幣、陶器、武具等が展示されています。
 〇
プリシマ教会 Iglesia de la Purisima:
  旧市街の北部に位置する17世紀に建立された、メリリャで最も古い礼拝堂。
 〇
地下倉庫 Cuevas de la Conventico:
  旧市街の礼拝堂の付近にある地下倉庫(穴倉)の跡。音と光のショーの舞台
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: パラドール・デ・メリリャ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<04日目>12月31日(月)
■行程: メリリャ→|スペイン国境|→|モロッコ国境|→アル・ホセイマ
*朝食: ホテル
*移動: 市内⇔国境のバスでスペイン側の国境へ。
・・手続: スペイン出国
・・移動: 徒歩で緩衝地帯を歩き、モロッコ側の国境へ。
・・手続: 入国〜通関を済ませ、出口へ。
*出迎: モロッコのガイドがモロッコ側の国境出口にてお出迎え致します。
*移動: 専用車でアル・ホセイマへ。
*観光: 道中、ペニョン・デ・アルセマスを望む場所に立ち寄ります。
 ●
ペニョン・デ・アルセマス Penon de Alhucemas(スペインの飛び地)
  モロッコの港町でリゾート地のアル・ホセイマの沖合300mに浮かぶ
  長さ170m、幅86mの小島です。島の周囲は約480mで、殆どの
  海岸は切り立った崖に囲まれています。隣島のラ・プルペラ島とは橋で
  繋がり、二つの無人島ティエラ島と、マル島とともにアルセマス諸島を
  形成しています。スペイン陸軍第三十二砲兵連隊が駐屯しており、要塞、
  兵舎等の軍の施設のほかに、スペイン本土からの定期補給船が就航する
  港、灯台、教会や店舗等の施設があります。夜はライトアップされます。
  面積はわずか1.5ヘクタールながら、各時代の建物が犇めいています。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*観光: 午後、ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラを望む場所を訪問。
 ●
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ Penon de Velez de la Gomera
  かつて島であったペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラは、現在では
  モロッコ本土と砂州の地峡で繋がっています。この砂州の幅は約85m。
  世界で最短の国境として知られています。ペニョン・デ・ベレス・デ・
  ラ・ゴメラにはスペイン軍駐屯地があり、兵士以外の定住者はいません。
  この小さな島の標高は87mで、高台には要塞と望楼が築かれています。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: メルキュール・ケマド・リゾート(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<05日目>01月01日(火)
■行程: アル・ホセイマ→シャウエン
*朝食: ホテル
*移動: 専用車で青の町シャウエンに向かいます。
*昼食: ローカル・レストラン
*観光: 美しいシャウエンの町を観光します。
 〇
シャウエン
  シャウエンの旧市街を歩いて観光します。アンダルシア風の建物、モロッコ風の
  建物が混在するシャウエンは、町全体が青い色で塗られ、独特の雰囲気があります。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホテル・アシラー・シャウエン(スタンダード部屋)または同等のホテルまたは民宿
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<06日目>01月02日(水)
■行程: シャウエン→|モロッコ国境|→|スペイン国境|→セウタ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でモロッコ/スペイン北アフリカ国境へ。
>国境: ガイドとお別れ〜モロッコ出国/スペイン北アフリカ入国
*送迎: 国境⇔市内の路線バスでスペイン北アフリカ側の国境からセウタへ。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*散策: 午後〜夕刻、セウタの旧市街を散策します。
 〇
セウタ
  モロッコから近いのに、そこはもうヨーロッパの街並み。町には教会の鐘の音が響き
  犬を散歩させるスペイン系住民の姿をみることも。住民にはモロッコ系も多いのです。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: パラドール・デ・セウタ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<07日目>01月03日(木)
■行程: セウタ→|スペイン国境|→|モロッコ国境|→タンジェ⇒ラーユーン→キャンプ
*朝食: ホテル
*送迎: 国境⇔市内の路線バスでセウタからスペイン北アフリカ側国境へ。
>国境: スペイン北アフリカ出国/モロッコ入国〜ガイドと落ち合います。
*移動: 専用車でタンジェ空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査
※移動: ロイヤル・モロッコ航空で空路、カサブランカへ。
 AT−991 タンジェ    13:10⇒カサブランカ  14:20
・・手続: 安全検査/乗換
※移動: 空路、西サハラ(モロッコ実効支配地域)のラーユーンへ。
 AT−485 カサブランカ  16:00⇒ラーユーン   17:45
・・手続: 訪問客登録〜受託荷物引取を済ませ、出口へ。
*送迎: 契約タクシーで空港からベドゥイン・キャンプへ。
*夕食: ベドゥイン・キャンプ
*宿泊: ベドウイン・キャンプ(ル・カンプ・ベドウィン) テント式旅館
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<08日目>01月04日(金)
■行程: ラーユーン⇒グランカナリア島
*朝食: ベドゥイン・キャンプ
*観光: 西サハラの景観をお楽しみください。
 〇

  キャンプの敷地には、『滝』と呼ばれる場所があります。もちろん、砂漠ですから
  轟々と水を落とす滝ではありません。ちょろちょろ流れる”世界最小の滝”です。
 〇
土獏
  キャンプの背後には、高台があります。高台のてっぺんに上ると、どこまでも広がる
  サハラ砂漠を見ることができます。風が強いですが、朝・夕の景色は絵になります。
 〇
枯れ川
  アラビア語では枯れ川を『ワディ』と呼びます。かつては水が流れていた川が、
  長い年月を経て砂漠に飲み込まれ、やがて枯れ川へと姿を変えたものです。
 〇
砂丘
  西サハラは、サハラ砂漠と大西洋が出会う場所。基本的に礫漠ですが、その
  中にも小さいながら美しい砂丘があります。風紋の刻まれた砂丘を訪れます。
 〇
塩湖
  アラビア語では塩湖を『ショット』と呼びます。荒涼とした高台から遠くを見ると、
  テーブル状の山が印象的な小さな島を浮かべる塩湖を見ることができます。
 〇
獅子岩
  高台のはずれには、奇岩怪石が見られる場所があります。そこにはライオンの
  ような形をした獅子岩があります。向きを変えてみると、別の形に見えます。
*昼食: 野菜のタジン または 野菜のクスクス
*送迎: 契約タクシーでベドゥイン・キャンプからラーユーン空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査
※移動: ロイヤル・モロッコ航空で空路、アフリカのスペイン離島グランカナリア島へ。
 AT−998 ラーユーン   17:45⇒グランカナリア島18:30
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ出口へ。
*送迎: 契約タクシーで空港からホテルへ。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: セルコテル・クリスティーナ・ラスパルマス(スタンダード部屋)または同等
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<09日目>01月05日(土)
■行程: グランカナリア島⇒バルセロナ⇒ドーハ⇒
*朝食: ホテル
*観光: タクシーで島の中心ラスパルマスとグアンチェ族の穴居遺跡を見ます。
 〇
ラスパルマス: スペイン人がアメリカ大陸入植前の準備基地として築いた街
 〇
セノビオ・デ・バレロン: 先住民族グアンチェ族の穴居跡
 〇
クアトロ・プエルタス: 先住民族グアンチェ族の穴居跡
*昼食: ローカル食堂
*送迎: 契約タクシーで空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査
※移動: イベリア航空で空路、バルセロナへ。
 IB5109 グランカナリア島15:20⇒バルセロナ   19:40
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−188 バルセロナ   22:05⇒ドバイ     07:35翌
・・宿泊: 機内泊
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<10日目>01月06日(日)
■行程: ⇒ドバイ⇒羽田空港
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、羽田空港へ。
 EK−312 ドバイ     08:35⇒羽田空港    22:45
・・帰国
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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
 

  
2018年12月28日(金)出発決定!
 添乗員が同行または合流し、お世話致します。



<最少催行人数 :
1名から催行。添乗員同行または合流パターンのみ>

人数 ご旅行代金  航空券代金  合計
1名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
2名様 お問い合わせ下さい ご旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
3名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
4名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
5名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
6名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
7名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
8名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
9名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
10名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
一人部屋
追加料金
 お問い合わせ下さい 


●お申込期間:出発2か月前まで



●ご旅行代金には下記のものが含まれます
 *宿泊: 下記のホテル または同等クラスのスタンダード部屋
  ・・マドリッド: トリップ・アトーチャ(スタンダード部屋)または同等
  ・・メリリャ: パラドール・デ・メリリャ(スタンダード部屋)または同等
  ・・アル・ホセイマ: メルキュール・ケマド・リゾート(スタンダード部屋)または同等
  ・・シャウエン: ホテル・アシラー・シャウエン(スタンダード部屋)または同等
  ・・セウタ: パラドール・デ・セウタ(スタンダード部屋)または同等
  ・・西サハラ: ベドゥイン・キャンプ(個室)
  ・・グランカナリア島: セルコテル・クリスティーナ・ラスパルマス(スタンダード部屋)または同等
 *食事: 朝食7回/昼食7回/夕食6回
 *交通: 下記の車両/船舶を利用します。
   ・・マドリッド: 送迎は契約タクシーまたはシャトルまたは列車を利用します。
   ・・メリリャ: 空港→ホテルは契約タクシー/ホテル→国境は路線バスを利用します。
   ・・モロッコ: 送迎/観光ともに専用車
   ・・スペイン北アフリカ(セウタ): 国境→市内は公共バス(市内→埠頭は徒歩)
   ・・西サハラ: 契約タクシー
   ・・グランカナリア島: 契約タクシー
 *航空: 日本⇒マドリッド⇒メリリャ
     タンジェ⇒ラーユーン⇒グランカナリア島⇒バルセロナ⇒日本
     航空券(税・燃油代込)
 *案内: マドリッド(ガイドなし)/メリリャ(ガイドなし)/モロッコ(日本語または英語)/
     セウタ(ガイドなし)/西サハラ(運転手のみ)/グランカナリア島(ガイドなし
 *観光: 入場箇所の入場料/拝観料
 *税金: 宿泊税/観光税
 *添乗: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/観光同道経費/査証代/現地での通信費

●ご旅行代金に含まれないもの
 x 通信費: 現地でご利用になる通信費(電話/FAX/ネット)利用費用
 x 飲食代: 明記されない食事代/飲物代/お部屋のミニバーやルーム・サービス
 x 個人費: 洗濯代/ホテルや観光施設の有料サービス・施設使用料
 x 観光費: オプショナル・ツアー
 x 経由地: 経由地での諸経費
 x チップ: ガイドや運転手へのチップ/ホテルの枕銭
 x 渡航費: 旅券(パスポート)申請/更新/査証欄増補などの費用
 x 査証代: 査証が必要なお客様の査証代


●旅券(パスポート)/査証(ビザ):
 ・・旅券(パスポート):
   ・帰国日の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間があることが望ましい
   ・未使用の査証欄が4頁以上あることが望ましい。

 ・・査証(ビザ): 日本国籍のお客様は今回の旅に査証は不要です。
        日本以外の国籍をお持ちのお客様はご相談下さい。






電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで

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