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知られざるアフリカの国々シリーズ 
2018年04月28日(土)出発限定
スペイン北アフリカ プラサス・デ・ソベラニア
(メリリャ/ペニョン・デ・アルセマス/
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ/セウタ)
イギリス領ジブラルタル 9日間

フィンエアー+ノストラム航空

ここがポイント!


★ 西アフリカの知られざる国々シリーズ ★


プラサス・デ・ソベラニア



 プラサス・デ・ソベラニア(スペイン北アフリカ)


 スペインには北アフリカ−現モロッコの国土および領海に飛び地を有しています。
 全部で5つある飛び地のうち、チャファリナス諸島のイザベル2世島とペニョン・
 デ・アルセマス、ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラにはスペイン軍が駐屯、
 一般渡航者は訪れることができません。ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ、
 ペニョン・デ・アルセマスの二島は、モロッコからその姿を見ることができます。
  ・チャファリナス諸島: アグア岬沖のコングレソ島、イサベル2世島、レイ島
  ・ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ: 世界最短の国境で繋がる砂州と島
  ・ペニョン・デ・アルセマス: 岩礁の上に要塞を持つ離島。補給船が就航する
  ・セウタ: モロッコのテトゥアンの北に位置するスペインの港町で定住者あり
  ・メリリャ: モロッコのナドールの北に位置するスペインの港町で定住者あり

 今回の旅ではスペイン北アフリカのパーツは、空路メリリャに到着〜陸路で出国。
 さらに陸路セウタに入国〜海路イベリア半島に向け出発します。


 
メリリャ Melilla
 古代フェニキア人により街が建設されたという古い歴史を持っています。その後
 カルタゴやローマ帝国に占領されます。ローマ帝国が衰退するとイスラム勢力が
 台頭、ウマイヤ朝、アッバース朝、イドリス朝、ファーティマ朝、ムワッヒド朝、
 マリーン朝、ワッタース朝と、支配者が代わります。1492年(延徳4〜明応
 元年。後土御門天皇の御代。室町幕府第十代将軍・足利義材=後の義稙の最初の
 治世)イベリア半島におけるレコンキスタは、ナスル朝グラナダ王朝滅亡で幕を
 閉じ、カスティーリャ=アラゴン連合王国は地中海の南岸に勢力を伸ばしました。
 カスティーリャ=アラゴン連合王国がメリリャを占領したのは1497年(明応
 6年。後土御門天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)のことで、
 それ以降、メリリャはスペイン領土となりました。1995年3月14日までは
 マラガ県に属していましたが、以降は自治権を有しています。人口は8万人ほど。
 面積は約12平方キロメートル。スペインとは海路、空路で結ばれ、モロッコと
 陸路で繋がっています。セウタに比べ、モロッコ色が強いという印象があります。
 今回は、スペインのマラガから空路でメリリャに入り、陸路モロッコに抜けます。


 
ペニョン・デ・アルセマス Penon de Alhucemas
 ペニョン・デ・アルセマスは、モロッコの港町でリゾート地のアル・ホセイマ沖
 300mの海上に浮かんでいます。1560年(永禄3年。正親町天皇の御代。
 室町幕府第十三代将軍・足利義輝の治世)に、この地を統治していたスルタンの
 ムーレイ・アブダッラーにより、バルバリア海賊防衛のためスペイン王国に割譲。
 カルロス2世時代にベルベル系のカビル人との貿易で栄えます。その後政治犯を
 含む犯罪者の流刑地となりました。モロッコ戦争時代の1925年(大正14年)
 には、スペイン海軍による『アル・ホセイマ上陸作戦』の前線基地となりました。


 
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ
 Penon de Velez de la Gomera

 メリリャの西方約126km、セウタの南東約117kmの地点に位置する小島。
 全長400m、面積わずか1.9ヘクタールの小島です。1508年(永正5年。
 後柏原天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄〜第十代将軍・足利義稙の
 二度目の治世)7月23日、スペイン軍により島は占領されました。1522年
 (大永2年。後柏原天皇の御代。室町幕府第十二代将軍・足利義晴の治世)には
 島の領主ムーレイ・ムハンマドは島を名実ともに入手。1564年(永禄7年。
 正親町天皇の御代。室町幕府第十三代将軍・足利義輝の治世)フェリペ2世勅命
 でカタルーニャ副王ビリャフランカ侯爵のガルシア・アルバレス・デ・トレドが
 島を奪還、以降スペイン領となります。1934年(昭和9年)までは島でした。
 その後、巨大な嵐によって砂がモロッコと島の間に砂州の地峡を作り出しました。




◆ヘラクレスの柱“セウタ&ジブラルタル◆

 
ギリシャ神話の英雄ヘラクレス。
 そのヘラクレスの十二の功業のうち、第十の功業のくだりに記されたヘラクレスの柱。
 現在、その場所は、ひとつはジブラルタル海峡の北、イベリア半島に位置するイギリス領
 ジブラルタル、いまひとつは北アフリカのセウタまたはモロッコに比定されています。
 それは、古代から交通の要衝として、そして戦略的にも重要視され、“柱”の争奪戦が繰り
 広げられたことを意味するとも考えられます。
 複雑な歴史に彩られたスペイン領北アフリカのセウタと、現在なおイギリス領である
 ジブラルタルを訪れます。


 ヘラクレスの柱
 ギリシャ神話、英雄ヘラクレスのくだりに登場する伝説の舞台です。
 ヘラクレスに課せられた、過酷な“十二の功業”のひとつで出てきます。
 大洋オーケアノスの西の果てに浮かぶ、エリュテイア島に住まう怪物ゲーリュオーンが
 飼う紅い牛を、エウリュステウス王のもとに連れ帰る、ヘラクレスの十番目の功業の中に
 それを見ることができます。
 エリュテイアへ向かう途中に、アトラス山を越えねばなりませんでした。
 ヘラクレスは近道をしようと考え、もともは巨人であったアトラス山を砕きました。
 アトラス三は二つに割れて、ユーラシア大陸とアフリカ大陸が分かれ、大西洋と地中海が
 繋がりました。
 以降、二つに分かれた山を総称し、“ヘラクレスの柱”と呼ぶようになりました。
 柱のひとつは、ジブラルタル海峡に面したイギリス領ジブラルタルにある、ジブラルタルの岩。
 もうひとつは、諸説ありますが、対岸アフリカのスペイン領セウタにある、アチョ山とも、
 モロッコのヘベルムサ山とも言われています。
 今回の旅では、イベリア半島にあるイギリス領ジブラルタルと、アフリカにあるスペイン領
 セウタも訪問します。


 ★セウタ
 アフリカ大陸北部、三方をモロッコに囲まれ、一方が地中海に面したスペインの飛地領、
 それがセウタです。
 スペイン軍が駐屯するモンテ・アチョ、ヨーロッパとアフリカとを結ぶ航路が開けた港を
 中心に町が広がっています。
 沖合には、サンタカタリナ島が浮かび、サンタカタリナ島もまた、スペインの領土となっています。
 同じ北アフリカの“メリリャ”とともに、“スペイン領北アフリカ”とも呼ばれていますが、
 いわゆる植民地ではなく、本土と同じ扱いを受けています。
 古代から、セウタは交通の要衝/軍事拠点として重視されてきました。
 紀元前7世紀にはフェニキア人が定住。その後、ギリシャ人に占領されます。
 紀元前319年、カルタゴがセウタを支配下に置きます。
 紀元前201年、第二ポエニ戦争でカルタゴが降伏し、セウタはヌミディアに割譲されます。
 紀元前47年には、マウレタニア領となります。
 紀元後40年には、ローマの属州マウレタニア・ティンギタナの一都市となり、セプティムと
 呼ばれるようになります。
 5世紀中葉、ヴァンダル人の支配下に置かれましたが、ユステイニアヌス1世の治世下に、
 ベリサリウス将軍が占領し、以降、東ローマ帝国領となります。
 710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まると、
 西ゴート王国のセウタ伯ユリアヌスはイスラム側に寝返ります。
 そのため、セウタはイベリア半島への侵攻の拠点となります。
 やがてユリアヌスの死後、セウタはイスラム勢力に支配されるようになります。
 788年(日本は天応2年。桓武天皇の御代)、モロッコのイドリス朝がセウタを占領。
 931年(日本は延長9年〜承平元年。朱雀天皇の御代。平将門の乱の前)、後ウマイヤ朝の
 アブド・アッラフマーン3世がイベリア半島のカリフ領を制圧。
 その後、グラナダ王国とフェズ王国の係争の舞台となり、さらにカスティーリャ王国と
 アラゴン王国がセウタ攻略に介入するようになります。
 1415年(応永22年。称光天皇の御代。室町幕府第四代将軍・足利義持の治世)、エンリケ
 航海王子がセウタを奪取。ポルトガル領になりました。
 ポルトガル領であった名残に、セウタの紋章がポルトガルの国章に酷似しています。
 1580年(日本は天正8年。正親町天皇の御代。織田政権。室町幕府第十五代征夷大将軍・
 足利義昭は室町幕府滅亡後も将軍職に在職)、ポルトガル王朝滅亡に乗じ、ポルトガルは
 アブスブルゴ朝スペインのフェリペ2世によりスペイン領に、同時にセウタもスペイン領となります。
 18世紀、アメリカ独立戦争の局地戦ジブラルタル包囲戦を勝ち抜いたイギリス海軍が、
 海から、モロッコのアラウイー朝が陸から、セウタを脅かすようになります。
 1925年(大正14年)、スペインのカディス県から分離。
 1936年(昭和11年)、スペイン内戦に乗じて軍が全権を掌握します。
 1956年(昭和31年)、モロッコは独立しますが、セウタはスペインに留まり、今日に到ります。


 ★ジブラルタル
 イベリア半島の南東端に突き出した半島部に位置しており、イギリスの海外領土です。
 地名の由来は、ジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島を征服したウマイヤ朝の将軍
 ターリク・イブン・ズィヤードにちなみ、アラビア語で『ターリクの山=ジャバル・アル・ターリク』が
 訛ったものです。
 ネアンデルタール人が居住していた痕跡があり、かなり古くから人が定住していたことが
 判明しています。
 紀元前950年にはフェニキア人がジブラルタルに定住するようになりました。
 その後、ローマ人やヴァンダル族、ゴート族などがジブラルタルに一時居住しますが、
 定住には到りませんでした。
 フェニキア人が建国したカルタゴが第1次ポエニ戦争後にジブラルタルと南イベリア半島を
 勢力下としました。
 第2次ポエニ戦争によってカルタゴが降伏し、ローマ帝国がジブラルタルとイベリア半島を
 属領としました。
 400年代の初期から西ゴート族がイベリア半島に入植するようになり、西ローマ帝国の
 滅亡後は西ゴート王国の支配下となりました。
 710年(日本は和銅3年。元明女帝の御代)、イスラム系ウマイヤ朝の侵攻が始まり、翌年、
 西ゴート王国はウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤードにより滅亡し、以降、この地は
 ムーア人の支配下に置かれ、イスラム圏に入ります。
 それ以降、ジブラルタルは歴史から姿を消します。
 1309年(日本は延慶2年。花園天皇の御代。鎌倉幕府第9代将軍・守邦親王の治世。執権は
 十六代・北条守時)にナスル朝グラナダ王国の一部となります。
 その後、カスティーリャ王国によって一時占領されます。
 1333年(大覚寺統:元弘3年。後醍醐天皇の御代/持明院統:正慶2年。光厳天皇の御代)に
 マリーン朝がジブラルタルを奪還し、マリーン朝はグラナダ王国にジブラルタルを割譲しました。
 1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)、
 スペインのカスティーリャ王国のメディナ・シドニア公がムーア人からジブラルタルを奪取しました。
 フェルナンド2世がスペイン王国を建国した後の1501年(日本は明応10年〜文亀元年。
 後土御門天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)、ジブラルタルもスペイン
 王国に帰属します。同年にイサベル1世からジブラルタルの紋章が贈られました。
 八十年戦争中の1607年(日本は慶長11年。後陽成天皇の御代。江戸幕府第二代将軍・
 徳川秀忠の治世)オランダ艦隊がスペイン艦隊を奇襲し、ジブラルタル沖が戦場となる
 ジブラルタルの海戦が勃発し、この海戦によってスペイン艦隊は大打撃を被ります。
 1701年(日本は元禄14年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)、
 スペイン継承戦争が勃発。
 王位継承者候補の一人であるカール大公(後の神聖ローマ皇帝カール6世)の即位を
 後押しするイギリス、オランダ、オーストリアがフランス王ルイ14世とスペイン王フェリペ
 5世に対し宣戦布告、英蘭墺三国同盟艦隊はしばしばスペイン南岸の港町を襲撃します。
 1704年(日本は元禄17年〜宝永元年。東山天皇の御代。江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉の治世)
 8月4日、ジョージ・ルーク提督率いる英蘭艦隊が支援する海兵隊がジブラルタルに上陸、交渉の末、
 住民は自主退去し、ジブラルタルは連合軍の指揮下に入ります。
 1713年(日本は正徳3年。中御門天皇の御代。江戸幕府第七代将軍・徳川家継の治世)
 4月11日にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結、以降、イギリス領となります。
 アメリカ独立戦争が勃発すると、スペインは独立勢力支援に回り、1779年(日本は安永8年。
 後桃園天皇〜光格天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)よりジブラルタル
 への厳重な封鎖(ジブラルタル包囲戦)を開始します。
 イギリスは3年近い包囲戦に耐え、浮砲台を撃破し、ジブラルタルを死守しました。
 1985年には既に軍事拠点としての重要性も低下し、スペインとの国境が開放されました。
 現在では観光地として旅行者を受け入れています。


<観光の見どころ>

 ジブラルタルの岩
  ジブラルタルの岩は、英領ジブラルタルの象徴。高さ426mの一枚岩です。
  ジブラルタルの半島部分の殆どを占め、山頂付近は殆どが自然保護区に指定されています。

 ヨーロッパ岬(エウローパ岬)を見下ろす展望台
  ジブラルタル最南端に位置する岬。灯台が建っています。

 聖マイケルの洞窟
  ジブラルタルの岩には、実に150もの鍾乳洞があると言われていますが、その最も
  有名なものが、西の斜面中腹に位置する『聖マイケルの鍾乳洞』。この鍾乳洞は、
  天然の地形に人の手を加え、コンサートホールになりました。

 
バーバリー・マカク(エイプス=サル山)
  約250匹のバーバリー・マカク(バーバリー・エイプ)が住んでいます。
  もともとはアルジェリア北部やモロッコに生息するサルで、ジブラルタルに、それらの
  土地から持ち込まれたと考えられています。

 ジブラルタル包囲戦時の隧道 GREAT SIEGE TUNNEL 
  “ザ・ロック”の愛称で親しまれるジブラルタル・ロックには、地下道網が存在します。
  観光客が通常訪れるのは、第二次大戦時代に掘削された隧道。
  地下通路や弾薬庫、貯蔵庫なども備えた近代的な隧道で、現役軍事施設です。
  最古の隧道はジブラルタル包囲戦(1779年〜1783年)の際に掘られたものです。
  大包囲戦時代、守備隊を指揮していたエリオット将軍は、岩の北部の平地にいる
  スペイン軍の砲列に対し、側面から砲撃すべく戦略を練り、王立工兵の案を入れ、
  ウィリス砲台の上から、方工面の『ザ・ノッチ』なる岩山の天然の突起の部分に到る
  トンネルを掘削させました。この奇想天外な作戦により、イギリス側は3年余の
  大包囲戦に耐えることができたのです。

 
ムーア人のお城
  711年(日本は和銅4年。元明女帝の御代)から1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の
  御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)にかけてジブラルタルを支配した
  ムーア人が拠点とした城です。煉瓦とTAIPAと言われる固いコンクリートでできた
  ハミッジの塔や、ムーア人の居住地区、浴場などがあります。

 
ショッピング地区
  スペインに囲まれたようなジブラルタルですが、ショッピング地区には英語看板が
  目立ちます。
  イギリスの商品や、ジブラルタルのおみやげも売られています。
  フィッシュ&チップスのお店もあり、イギリスが感じられます。

 市街地
  ジブラルタルの中心には“ザ・ロック=ジブラルタルの岩”が聳えており、岩の麓から
  海にかけて、わずかな平地があります。その平地に市街地があり、空港滑走路や
  スペインとの国境へ続いています。

 
ジブラルタル空港滑走路
  スペインとの国境付近に半島と垂直に築かれた滑走路があります。
  ここには、イギリス本土などからの飛行機が離着陸します。




 モロッコ 

 
シャウエン CHEFCHAOUEN
 リフ山脈の北麓、標高2050mのティスーカ山と、1616mのメッグ山の山懐にある
 小さな町です。シャウエンとはアラビア語で“角”を意味しますが、ティスーカ山と
 メッグ山が二本の角のように見えることから、町の名がシャウエンになったとか。
 正式名称はシェフシャウエン CHEFCHAOUEN です。
 この町の起源は15世紀に遡ります。1471年(日本は文明3年。後土御門天皇の御代。
 室町幕府第八代将軍・足利義政の治世/第五代古河公方・足利成氏は享徳20年を
 継続使用)にムーレイ・アリ・ベン・ムーサ・ベ・ラチェッド・エル・アラミが、北アフリカに
 侵略してきたポルトガルと戦うための要塞として建設したのが始まりとされます。
 1920年(大正9年)〜1956年(昭和31年)のモロッコ独立まで、シャウエンの町は、
 スペインに占領されていました。町の建物の白壁と、アクセント・カラーのブルーが
 この町を美しく彩ります。この町にしかない民芸品も人気があります。



モデルプラン(手配旅行です)

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<01日目>04月28日(土)
■行程: 成田空港⇒ヘルシンキ⇒マラガ
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: フィンエアーで空路、ヘルシンキへ。
 AY−072 成田空港    09:50⇒ヘルシンキ   13:50
・・手続: 安全検査
※移動: フィンエアーで空路、マラガへ。
 AY1675 ヘルシンキ   20:40⇒マラガ     00:15翌
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*移動: 鉄道で空港からマラガ・サンブラーノ駅へ。徒歩でホテルへ。
*宿泊: バルセロ・マラガ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<02日目>04月29日(日)
■行程: マラガ⇒メリリャ
*朝食: ホテル または 空港のカフェテリア
*移動: 徒歩でマラガ・サンブラーノ駅へ。鉄道でマラガ空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査
*移動: ノストラム航空の国内線で空路、メリリャへ。
 IB8262 マラガ     09:20⇒メリリャ    10:10
・・手続: 受託荷物引取を済ませ、出口へ。
*送迎: 契約タクシーで空港からホテルへ。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*観光: 午後、メリリャの徒歩観光
 〇
スペイン広場 Plaza de Espana: 
  新市街の中心で市役所が面しています。ガウディの支持者で建築家であった
  エンリケ・ニエトが都市計画の一環として設計したことで知られています。
 〇
アルマス広場 Plaza de Armas : 
  モロッコでいうカスバのような場所で、ここには司令部が置かれ、メリリャ
  防衛の要として機能していました。現在、大砲や牢獄の跡が残されています。
 〇
マリナ門 Puerta de la Marina:
  メリリャの旧市街(メディナ)を囲む城壁の南側に位置する堅固な城門です。
  門を入ったすぐの広場には、貯水池 Aljibes de las Penelasが残されています。
 ◎
市立博物館 Museo Municipal:
  フェニキア時代〜ローマ帝国時代の貨幣、陶器、武具等が展示されています。
 〇
プリシマ教会 Iglesia de la Purisima:
  旧市街の北部に位置する17世紀に建立された、メリリャで最も古い礼拝堂。
 〇
地下倉庫 Cuevas de la Conventico:
  旧市街の礼拝堂の付近にある地下倉庫(穴倉)の跡。音と光のショーの舞台
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: パラドール・デ・メリリャ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<03日目>04月30日(月)
■行程: メリリャ→|スペイン国境|→|モロッコ国境|→アル・ホセイマ
*朝食: ホテル
*移動: 市内⇔国境のバスでスペイン側の国境へ。
・・手続: スペイン出国
・・移動: 徒歩で緩衝地帯を歩き、モロッコ側の国境へ。
・・手続: 入国〜通関を済ませ、出口へ。
*出迎: モロッコのガイドがモロッコ側の国境出口にてお出迎え致します。
*移動: 専用車でアル・ホセイマへ。
*観光: 道中、ペニョン・デ・アルセマスを望む場所に立ち寄ります。
 ●
ペニョン・デ・アルセマス Penon de Alhucemas(スペインの飛び地)
  モロッコの港町でリゾート地のアル・ホセイマの沖合300mに浮かぶ
  長さ170m、幅86mの小島です。島の周囲は約480mで、殆どの
  海岸は切り立った崖に囲まれています。隣島のラ・プルペラ島とは橋で
  繋がり、二つの無人島ティエラ島と、マル島とともにアルセマス諸島を
  形成しています。スペイン陸軍第三十二砲兵連隊が駐屯しており、要塞、
  兵舎等の軍の施設のほかに、スペイン本土からの定期補給船が就航する
  港、灯台、教会や店舗等の施設があります。夜はライトアップされます。
  面積はわずか1.5ヘクタールながら、各時代の建物が犇めいています。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*観光: 午後、ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラを望む場所を訪問。
 ●
ペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラ Penon de Velez de la Gomera
  かつて島であったペニョン・デ・ベレス・デ・ラ・ゴメラは、現在では
  モロッコ本土と砂州の地峡で繋がっています。この砂州の幅は約85m。
  世界で最短の国境として知られています。ペニョン・デ・ベレス・デ・
  ラ・ゴメラにはスペイン軍駐屯地があり、兵士以外の定住者はいません。
  この小さな島の標高は87mで、高台には要塞と望楼が築かれています。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: メルキュール・ケマド・リゾート(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<04日目>05月01日(火)
■行程: アル・ホセイマ→シャウエン
*朝食: ホテル
*移動: 専用車で青の町シャウエンに向かいます。
*昼食: ローカル・レストラン
*観光: 美しいシャウエンの町を観光します。
 〇
シャウエン
  シャウエンの旧市街を歩いて観光します。アンダルシア風の建物、モロッコ風の
  建物が混在するシャウエンは、町全体が青い色で塗られ、独特の雰囲気があります。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: ホテル・アシラー・シャウエン(スタンダード部屋)または同等のホテルまたは民宿
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<05日目>05月02日(水)
■行程: シャウエン→|モロッコ国境|→|スペイン国境|→セウタ
*朝食: ホテル
*移動: 専用車でモロッコ/スペイン北アフリカ国境へ。
>国境: ガイドとお別れ〜モロッコ出国/スペイン北アフリカ入国
*送迎: 国境⇔市内の路線バスでスペイン北アフリカ側の国境からセウタへ。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*散策: 午後〜夕刻、セウタの旧市街を散策します。
 〇
セウタ
  モロッコから近いのに、そこはもうヨーロッパの街並み。町には教会の鐘の音が響き
  犬を散歩させるスペイン系住民の姿をみることも。住民にはモロッコ系も多いのです。
*夕食: ローカル・レストラン または ホテル
*宿泊: パラドール・デ・セウタ(スタンダード部屋)または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<06日目>05月03日(木)
■行程: セウタ〜アルヘシラス→ジブラルタル
*朝食: ホテル
*移動: 徒歩で埠頭のフェリー・ターミナルへ。
・・手続: 乗船手続
*移動: フェリーでスペインのアルヘシラスへ。
 FRS FERRY  セウタ     09:00〜アルヘシラス  10:00
・・手続: 下船手続
*移動: 専用車でスペイン/ジブラルタル国境(LA LINEA)へ(約0.5時間)
>国境: スペイン出国/ジブラルタル入国
*観光: ジブラルタル観光(混載のロック・ツアーに参加します)
 ●ジブラルタルの岩
 〇ヨーロッパ岬(エウローパ岬)を見下ろす展望台
 ◎聖マイケルの洞窟
 〇バーバリー・マカク(エイプス=サル山)
 ◎ジブラルタル包囲戦時の隧道
 ●ムーア人のお城
*移動: 徒歩で、下車地点からホテルに移動します。
*昼食: ローカル・レストラン または ホテル
*散策: 午後から日没まで、ジブラルタルの旧市街と滑走路を散策します。
 〇ショッピング地区
 〇
市街地
 〇
滑走路: ご存知!飛行機の滑走路を一般道路が横切っています。この日の離発着は:
  BA−490 ヒースロー空港発12:25⇒
ジブラルタル着 16:20
  BA−491 
ジブラルタル発 17:10⇒ヒースロー空港着19:00
  但し、航空会社やジブラルタルの都合により、フライトの運休または遅延の可能性があります。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: ブリストル・ホテル(スタンダード部屋)または同等
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<07日目>05月04日(金)
■行程: ジブラルタル→マラガ⇒バルセロナ
*移動: 徒歩でケースメイトのバス・ターミナルへ。
*移動: 路線バスでジブラルタル/スペイン国境へ。
*朝食: 国境沿いのカフェで軽食をご用意致します。
*送迎: 専用車でマラガ=マリア・サンブラーノ駅へ(08:30出発。約1.5時間)
*移動: スペイン特急AVEでマドリッド・アトーチャ駅へ。
*送迎: 専用車でアトーチャ駅からマヨール広場へ。
*昼食: 
ボティン(セゴビア由来の仔豚の丸焼き定食)
*送迎: 専用車でマヨール広場からアトーチャ駅へ。
*移動: スペイン特急AVEでバルセロナ・サンツ駅へ。
*送迎: 専用車でサンツ駅からホテルへ。
*夕食: ローカル・レストラン
*宿泊: バルセロナ・アーバン・デル・コムテ・ホテル(スタンダード部屋)または同等
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<08日目>05月05日(土)
■行程: バルセロナ⇒ドバイ⇒
*朝食: ホテル
*送迎: 専用車でホテルから空港にご案内致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: フィンエアーで空路、ヘルシンキへ。
 AY1654 バルセロナ   10:15⇒ヘルシンキ   15:05
・・手続: 安全検査
※移動: フィンエアーで空路、成田空港へ。
 AY−071 ヘルシンキ   16:45⇒成田空港    08:05 翌日
・・宿泊: 機内泊
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<09日目>05月06日(日)
■行程: ⇒成田空港

・・帰国

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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
 

  2018年04月28日(土)出発決定!
 添乗員が同行または合流し、お世話致します。

  ・・・ 次回は2018年07月下旬を予定しています。



<最少催行人数 :
1名から催行。添乗員同行または合流パターンのみ>

人数 ご旅行代金  航空券代金  合計
1名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
2名様 お問い合わせ下さい ご旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
3名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
4名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
5名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
6名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
7名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
8名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
9名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
10名様 お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい お問い合わせ下さい
一人部屋
追加料金
 お問い合わせ下さい 


●お申込期間:出発2か月前まで



●ご旅行代金には下記のものが含まれます
 *宿泊: 下記のホテル または同等クラスのスタンダード部屋
  ・・マラガ: バルセロ・マラガ(スタンダード部屋)または同等
  ・・メリリャ: パラドール・デ・メリリャ(スタンダード部屋)または同等
  ・・アル・ホセイマ: メルキュール・ケマド・リゾート(スタンダード部屋)または同等
  ・・シャウエン: ホテル・アシラー・シャウエン(スタンダード部屋)または同等
  ・・セウタ: パラドール・デ・セウタ(スタンダード部屋)または同等
  ・・ジブラルタル: ブリストル・ホテル(スタンダード部屋)または同等
  ・・バルセロナ: バルセロナ・アーバン・デル・コムテ・ホテル(スタンダード部屋)または同等
 *食事: 朝食7回/昼食6回/夕食6回
 *交通: 下記の車両/船舶を利用します。
   ・・マラガ: 送迎は鉄道を利用します。
   ・・メリリャ: 空港→ホテルは契約タクシー/ホテル→国境は路線バスを利用します。
   ・・モロッコ: 送迎/観光ともに専用車
   ・・スペイン北アフリカ(セウタ): 国境→市内は公共バス(市内→埠頭は徒歩)
   ・・アルヘシラス→ラ・リネア→マラガ: 専用車
   ・・ジブラルタル観光: 観光は混載車
 *航空: 日本⇒マラガ/バルセロナ⇒日本 航空券(税・燃油代込)
 *案内: マラガ&メリリャ(ガイドなし)/モロッコ(日本語または英語)/セウタ(ガイドなし)/
     アルヘシラス→ジブラルタル国境→マラガ&バルセロナ(スペイン語を話す運転手)
 *観光: 入場箇所の入場料/拝観料
 *税金: 宿泊税/観光税
 *添乗: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/観光同道経費/査証代/現地での通信費

●ご旅行代金に含まれないもの
 x 通信費: 現地でご利用になる通信費(電話/FAX/ネット)利用費用
 x 飲食代: 明記されない食事代/飲物代/お部屋のミニバーやルーム・サービス
 x 個人費: 洗濯代/ホテルや観光施設の有料サービス・施設使用料
 x 観光費: オプショナル・ツアー
 x 経由地: 経由地での諸経費
 x チップ: ガイドや運転手へのチップ/ホテルの枕銭
 x 渡航費: 旅券(パスポート)申請/更新/査証欄増補などの費用
 x 査証代: 査証が必要なお客様の査証代


●旅券(パスポート)/査証(ビザ):
 ・・旅券(パスポート):
   ・帰国日の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間があることが望ましい
   ・未使用の査証欄が4頁以上あることが望ましい。

 ・・査証(ビザ): 日本国籍のお客様は今回の旅に査証は不要です。
        日本以外の国籍をお持ちのお客様はご相談下さい。






電話でのお問合せは・・・・080−5028−6007 まで

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