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★西アフリカの知られざる国々シリーズ★
サントメ=プリンシペ
サントメ・プリンシペ
アフリカ西部、ギニア湾に浮かぶ、火山島のサントメ島とプリンシペ島、そして
サントメ島の南の沖に浮かぶロラス島(赤道の島)を含む小島嶼や、プリンシペ
島の南の沖合に点在しているペドロ・ダ・ガレ島、ペドラス・ティンボラス諸島
のティホサ・ベケラ島、ティホサ・グランデ島、イルマン・グランデ島、カロス
島、ボンボン島などの無人島から構成される島国です。サントメ・プリンシペは、
2つの州に分かれています。主島で首都が置かれているサントメ州、1995年
4月28日に自治州に昇格した州都サント・アントニオを持つプリンシペ州です。
ふたつの州は、さらに7つの県に分かれています。
・・アグア・グランデ県 Distrito de Agua Grande:
県都はサントメ市で、サントメ市はサントメ・プリンシペの首都でもあります。
最大の人口と最小の面積を持つ県です。
・・ロバタ県 Distrito de Lobata:
県都は大きな常設市のあるグアダルーペ。景勝地ラゴア・アズールがあります。
・・レンバ県 Distrito de Lemba:
県都はネヴィス。サントメ島西海岸に面した村々は殆どこの県に属しています。
・・メ=ゾシ県 Distrito de Me-Zochi:
県都はトリンダーデで、殆どが内陸にあり、東部の一部がギニア湾に面します。
・・カンタガロ県 Distrito de CANTAGALO:
県都はサンタナ。サントメ島東海岸に面した村々は殆どこの県に属しています。
・・カウエ県 Distrito de Caue:
県都はサン・ジョアン・ドス・アンゴラレス。サントメ島の南部、沖に浮かぶ
ロラス島等の小島嶼を含み、土地の多くが熱帯雨林で未開発地帯が多い県です。
・・パグエ県 Distrito de Pague:
プリンシペ島と周辺諸島を管轄する唯一の県で、県都はサント・アントニオで、
プリンシペ自治州の州都を兼ねています。ジョケリの帽子と呼ばれるカロス島、
灯台と、ツーリスト・リゾート旅館が二軒あるボンボン島が注目されています。
■略史: もともとは無人島群。1470年(日本では文明2年。応仁の乱の頃で
後土御門天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)に、サントメ島と
プリンシペ島にポルトガル人が上陸し、1500年(明応9年。後土御門天皇〜
後柏原天皇の御代。室町幕府第十一代将軍・足利義澄の治世)にはポルトガルが
領有を宣言しました。1753年(宝暦3年。桃園天皇の御代。江戸幕府第九代
将軍・徳川家重の治世)には、それまで別々のポルトガル領であったサントメと
プリンシペは連合されました。1975年(昭和50年)サントメ・プリンシペ
民主共和国として独立しました。1995年(平成7年)4月28日プリンシペ島は
自治州となりました。
■面積: 964平方キロメートル
■人口: 約165,000人
■通貨: ドブラ(STD)
1000ドブラは約 5.5円/1円は約185ドブラ
1000ドブラは約5米セント/1米ドルは約20,500ドブラ
紙幣 50,000、20,000、10,000、5000
硬貨 2,000、1,000、500、250、100
■民族: 全人口の約9割が、サントメ島に住んでいます。独立とともに退去した
ポルトガル系住民に代わって、動乱から避難してきたアンゴラから来た
難民が増加しました。バントゥー系アフリカ人、ポルトガル系白人との
混血であるムラート、ポルトガル系、アンゴラ人などが暮らしています。
■言語: 公用語はポルトガル語。しかし、殆どの国民はポルトガル語がベースの
クレオール語を話します。クレオール語にはサントメ方言、プリンシペ
方言、アンゴラ難民が暮らすサントメ島南部のアンゴラ方言があります。
■宗教: キリスト教が殆ど。カトリックが約70%、ほかに福音派が約3.4%、
ニュー・アポストリック教会が約2%、アドヴェンテイスト約1.8%、
その他の宗教が約3%、残りの約19%は無宗教となっています。
■教育: 国民の識字率は85%で、とくに男性は92%です。
■地理: 火山島群であるサントメ・プリンシペは、カメルーン火山列に属します。
この火山島群には、名山とうたわれるアフリカ大陸にあるカメルーン山、
赤道ギニアの首都マラボがあるビオコ島、赤道ギニアの離島アンノボン
島、そして、プリンシペ島および小島嶼、サントメ島が連なっています。
火山活動によってできた肥沃な土壌が全島を多い、古来、大農場経営が
盛んでした。最近では、海底油田の存在が確認され、注目されています。
サントメ島の南部には熱帯雨林が広がり、尖塔のような山ピコ・カン・
グランデ(大きな犬の山)という火山岩峰が、特異な姿で聳えています。
■経済: 経済基盤は脆弱で、世界最貧国の一つに数えられています。
主産業はカカオ農業。
他にココナツ、タロイモ、バナナ、キャッサバ(タピオカの原料)等があります。
海底油田は以前から有望視されていながら、ナイジェリアとの利権を巡る交渉が
難航していましたが、2003年になってようやく落着し、2010年をめどに
生産開始が予定されています。観光産業はまだ、開発途上にありますが、最近は
登山、バード・ウォッチング、ビーチ等、少しずつ、に開発が開始されています。
サントメ島
サントメ島は、サントメ・プリンシペの南端に位置する火山島で、同国の主島を
なしており、サントメ・プリンシペ民主共和国首都サントメはこの島にあります。
最高地点は標高2024m、サントメ・プリンシペの最高峰でもあるサントメ山。
全土が肥沃な土地で、ココア、コーヒー、ヤシの栽培が盛んです。サントメ島の
ヨーロッパ人との最初の遭遇は、1470年〜71年の間、ポルトガルのペロ・
デ・エスコラールであるとされています。使途トマスの日である12月21日に
上陸したため、聖トマスのポルトガル語である“サントメ”と名付けられました。
ポルトガル人による入植が始まったのは1493年(明応2年。後土御門天皇の
御代。後に足利義稙と名乗る室町幕府第十代将軍・足利義材の最初の治世)です。
ポルトガル入植者たちは、アルヴァロ・カミニャに率いられて入植し、アフリカ
大陸から奴隷を購入し、サトウキビやカカオのプランテーションで働かせました。
19世紀になって奴隷制度は廃止されましたが、島の各大農園は維持されました。
1975年の独立以降は、大農園は国家が掌握しますが、カカオ農園はマルクス
主義として独立し、経営されています。現在の主産業も農業であり、中世以降の
大農園のシステムが活かされ、多種多様の穀物品種の栽培も、進められています。
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<観光のみどころ>
首都サントメ Sao Tome:
およそ一国の首都とは思えないほど、こじんまりとした田舎町のイメージです。
ポルトガル人の入植以来、平穏な時代が続いていたと思われがちですが、実は
1599年(慶長4年。後陽成天皇の御代。秀吉死後の豊臣政権五大老の治世)に
2日間、1641年(寛永18年。女性天皇・明正天皇の御代。江戸幕府第三代将軍・
徳川家光の治世)には一年間オランダに占領されたことがあります。
サン・セバスチャン要塞 Forte de Sao Sebastiao:
現在は改装され、サントメ国立美術館となっています。ポルトガル領サントメ
防衛のため1575年(天正3年。正親町天皇の御代。室町幕府第十五代将軍・
足利義昭/織田信長の治世)に築城されました。白亜の城壁を持つ美しい砦で、
商業港のあるアナ・シャーベス湾 Baia Ana Chaves の東の岬に建っています。
要塞の城壁とその内陣には、中世の大砲や、砦の装飾品などが残されています。
西海岸〜北海岸:
そら豆のような形をしたサントメ島ですが、島を一周できる道路はありません。
サントメ島中部から南西部にかけて広がるオボ国立公園 OBO NATIONAL PARKの
熱帯雨林が道路の建設を阻んでいるからです。西海岸から北海岸の海岸線には
サンタカタリーナ Santa Catarina 、モンテフォルテ Monteforte 、ネヴィス
Nevis などの素朴な港町/漁村、景勝地としてはラゴア・アズールがあります。
ラゴア・アズール LAGOA AZUL:
サントメ島の北海岸の西側に、景勝地ラゴア・アズールがあります。火山性の
石の海岸線にエメラルド・グリーンのラグーンが接し、簡素な灯台があります。
東海岸〜南海岸:
首都サントメから南部に向かうと、素朴な村々の風景が続きます。古色蒼然と
した近世〜近代に建てられた大農場主の屋敷、プランテーション、製糖工場跡、
ヤシ林、熱帯雨林、そしてお天気のよい日には、犬の尻尾のような山容を持つ
ピコ・カン・グランデなどを見ることができます。最南端はポルトアレグレで、
大きな車の通れる幹線道路はここで終わっています。素朴な漁村も見られます。
ロラス島 Ilheu das Rolas:
ロラス島はサントメ島の南の沖に浮かぶ島です。リゾート開発が進みつつある
面積3平方キロメートルの小さな島で、約200人の常住している島民たちは、
観光産業に直接携わっています。ロラス島に渡るには、対岸のポルトアレグレ
港からのボートを利用するしかありません。規模の小さなリゾートホテル等が
あり、今後の観光開発が待たれています。赤道記念碑があることでも有名です。
赤道記念碑Marco do Equador はポルトガル海軍の将校で航法士で歴史家でも
あったガーゴ・コーチニョ(1869〜1959)が、サントメの測量任務を
指揮している際、赤道がロラス島を横切っていることを発見したことを記念し、
建てられたものです。この島には定期的にサントメ島からツアーが出ています。
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■店長のサントメ=プリンシペの思い出は こちら
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