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知られざる西アフリカの国々シリーズ 2018年
01月19日(金)|02月02日(金)|02月16日(金)出発 冬スペシャル
知られざる西アフリカ
リベリア&シエラレオネ
+ガーナ(アクラ)10日間
エミレーツ航空/ドバイ&アクラ経由

ここがポイント!


★西アフリカの知られざる国々シリーズ★


 シエラレオネ&リベリア + ガーナ(アクラ) 10日間


西アフリカの国々。日本人にはなじみの薄い国々ですが、それでもマリ、ガーナ、 セネガルなど、日本人が旅行者として訪れる国々はいくつかあります。
その西アフリカの中で、一般の旅行者がなかなか行こうと思いつかない国々がいくつかあります。
今回はそうした国々の中で、シエラレオネとリベリアを訪れます。
有名な観光地は少ないけれども、行く先々で人々の暮らしと歴史を垣間見ます。


シエラレオネ
1462年(日本は寛正3年。後花園天皇の御代。室町幕府第八代将軍・足利義政の治世)に
ポルトガルの航海士のペドロ・ダ・シントラにより『ライオンの山』と命名されたフリータウン
半島はやがて英国の支配下に置かれました。
1579年(日本は天正7年。正親町天皇の御代。征夷大将軍は足利義昭。織田信長の時代)、に英国の奴隷商人ドレイクの来訪から、1772年(日本は明和9年〜安永元年。後桃園天皇の御代。江戸幕府第十代将軍・徳川家治の治世)に奴隷制度が廃止されるまでは、バンス島を拠点とした奴隷貿易が行われました。  
1787年(日本は天明7年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世))に
奴隷貿易廃止運動の志士グランビル・シャープを中心とした、第一次シエラレオネ入植を皮切りに、ノバスコシアからの解放奴隷船団や、ジャマイカからの元逃亡奴隷を乗せた船が次々とシエラレオネに来訪して、いまのシエラレオネ国の基礎が作られました。
1808年(日本は文化5年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)〜
1960年(昭和35年)の英国植民地時代を経て、1961年(昭和36年)に独立。
その後不幸な内乱で、国土は疲弊し、経済も低迷しましたが、2002年(平成14年)には
内戦が終結します。その後、エボラ出血熱騒動により、一時、観光不可能な状態が続きましたが、現在は観光を産業のひとつと位置付け、リゾートや観光地の整備もすすんできています。動乱時には訪問が困難だった地域にも観光客向けのホテル等が建設中です。

タクガマ・チンパンジー保護区: 
 タクガマ・チンパンジー保護区は、内戦時代に棲み家を失ったチンパンジーたちを、
 保護しています。

バンス島の奴隷貿易時代の史跡: 
 1663年(日本は寛文2〜3年。後西天皇〜霊元天皇の御代。江戸幕府第四代将軍・
 徳川家綱の治世)にイギリスが貿易の中継地としてバンス島に目を付け、要塞を築き、
 入植を開始しました。1670年(寛文10年)にはイギリスの西アフリカ穀倉海岸における
 最大の貿易拠点となりました。1702年(日本は元禄15年。東山天皇の御代。江戸幕府
 第五代将軍・徳川綱吉の治世。赤穂浪士の討入の起った年)にはフランスにより、島の
 要塞が落城。その後、要塞は再建されますが、オランダやポルトガルに占領され、また
 イギリスが奪還するという、攻防の歴史が残されています。
 1719年(享保4年。中御門天皇の御代。江戸幕府第八代将軍・徳川吉宗の治世)には、
 フランス軍に、活動拠点であるヨーク島を攻撃されていたイギリス王立アフリカ会社が
 バンス島に活動拠点を移転します。しかし1728年(享保13年)に今度はポルトガルが
 バンス島の要塞を攻撃し破壊、王立アフリカ会社は撤退を余儀なくされます。
 1750年(寛延3年。桃園天皇の御代。江戸幕府第九代将軍・徳川家重の治世)になると
 王立アフリカ会社が利用した要塞は、グランド・サージェント・オズワルド社が引き継ぎ、
 直ちに奴隷貿易の主要積出港として機能し始めます。内陸部や、西アフリカ各地から
 運ばれてき奴隷たちは、主にアメリカ合衆国や、カリブ海の西インド諸島の小アンティル
 諸島へと送られてゆきました。アメリカ合衆国のサウスカロライナ州に住む、ガラ人を
 ルーツとするアフリカ系住民は、このバンス島から送られてきたと考えています。

バナナ諸島: 
 フリータウン半島の南東の沖合いに浮かぶ島々、それがバナナ諸島です。ダブリン島、
 リケット島という二つの主島と、その他の島々からなる諸島です。ダブリン島の北の
 はずれにはダブリン村があり、1881年(日本は明治14年)に建立された教会の遺構が
 ありますが、かつては奴隷収容所として機能していました。ダブリン周辺にはイギリス
 植民地時代の大砲、奴隷貿易関連史跡があり、村はずれにはビーチもあります。
 
 
 <フリータウン市内写真: (左)コットン・ツリー/(右)マルーン教会>

  
 <左: フリータウン半島のビーチ/右: フリータウン俯瞰>

 
 <フリータウン郊外写真: (左)解放奴隷の屋敷/(右)タクガマのチンパンジー>

 
 <フリータウン半島写真: (左)バンス島/(右)バナナ島の民家>

 
 <(左)ある日の食事/(右)路上のバー>


リベリア  
1816年(日本は文化13年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)、
米国で設立された米国植民協会が、アフリカ系奴隷の故郷への帰還を計画、1822年(文政5年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)に最初の解放奴隷が乗る船団が現在のリベリアに到着。1824年(文政7年)にはそれまでメスラド岬植民地と呼ばれていたこの地は、リベリアと改名され、更に多くの解放奴隷が入植。
1847年(日本は弘化4年。孝明天皇の御代。江戸幕府第十に代将軍・徳川家慶)7月26日には、合衆国憲法を基本とした憲法を制定し、ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツを初代大統領として独立を果たし、以来独立を守り続けています。
入植者即ち解放奴隷の子孫はアメリコ・ライベリアンと呼ばれ、先住民を差別、抑圧した為、先住民族との間に確執が生じ、たびたびそれは暴動・内乱へ発展。1980年(昭和55年)、先住民族出身のドゥがクーデターで政権を奪取、以降二度の内戦、ドゥ虐殺、政権を手にしたチャールズ・テイラーによるシエラレオネ内戦関与と、動乱が続きましたが、2006年(平成18年)の動乱の終結とともに、少しずつではありますが、国家再建の兆しをみせています。

プロビデンス島: 
 リベリア発祥の地と言える場所。1818年(日本は文化15年〜文政元年。仁孝天皇の
 御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)、アメリカ合衆国政府は、解放した
 奴隷の居住地として、モンロビアの湾口に浮かぶプロビデンス島を、土地の首長から
 割譲させました。1820年(文政3年)には解放奴隷88人を乗せた“エリザベス号”が
 ニューヨークを出発し、西アフリカのシエラレオネに向かいました。1822年(文政5年)、
 初の解放奴隷の一団がプロビデンス島に上陸、彼らは再移住区を建設しました。

ウォーターサイド・マーケット: 
 モンロビア、いや、リベリアにおける最大級のマーケット。カラフルで、活気があります。
 モンロビア市民の胃袋をささえる天下の台所の役割を果たしています。


民芸品: 
 モンロビアの街中には、古色を帯びた儀式用の仮面や木彫りの像を売るお店が
 いくつかあります。また、空港と市内の間にはかごを売る店もいくつかあります。


 
 <モンロビア写真: (左)プロビデンス島/(右)ウォーターサイド・マーケット>




★ガーナ★
ガーナというと、何を思い浮かべますか?
野口英世、チョコレート・・・ 西アフリカはギニア湾岸にあるこの国には、激動の時代を今に伝える史跡の数々があります。この旅では、黄熱の研究に命を捧げた野口英世の胸像、人生における最大のイベント“葬送”文化が形になった棺桶アートの工房、植民地時代の古都ジェームズ・タウンを訪れます。
首都アクラ観光
 ・コレブ地区の病院(
野口英世胸像
 ・おもしろい
棺桶アートの工房
 ・古都
ジェームズ・タウン



復路のアクラ、ドバイでは離団が可能です。お問い合わせ下さい!

■添乗員つきの手配旅行です。全行程、添乗員が同行し、お世話致します。

●復路、経由地のアクラとドバイで途中降機が可能です。お問合せ下さい。

★店長のリベリアの思い出はこちら

★店長のシエラレオネの思い出はこちら


モデルプラン(手配旅行です)

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<01日目>01月19日(金)|02月02日(金)|02月16日(金)
■行程: 成田空港⇒ドバイ⇒
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−319 成田空港    22:00⇒ドバイ     04:55 翌日
・・宿泊: 機内泊
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<02日目>01月20日(土)|02月03日(土)|02月17日(土)
■行程: ⇒ドバイ⇒アクラ
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、ガーナの首都アクラへ。
 EK−787 ドバイ     07:35⇒アクラ     12:05
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*出迎: ガイドが空港にてお出迎え致します。
*送迎: 専用車で空港からホテルにご案内致します。
*昼食: ホテル または ローカル・レストラン
*観光: 到着後、アクラ市内を観光します。
 ○
クワメ・ンクルマー霊廟 MAUSOLEUM OF KWAME NKRUMAH: 初代大統領の廟です。
 ○
コレ=ブ病院 KORLE BU TEACHING HOSPITAL: 野口英世胸像があります。
 ○
棺桶アートの工房 FANTASY COFFIN: 愉しいアート棺をぜひ、ご覧下さい。
*夕食: ホテル または ローカル・レストラン
*宿泊: アフィア・ビーチ・ホテル(スタンダード部屋)または同等
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<03日目>01月21日(日)|02月04日(日)|02月18日(日)
■行程: アクラ⇒フリータウン/ルンギ空港〜アバディーン埠頭→フリータウン
*朝食: ホテル
*送迎: 専用車でホテルから空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: ケニア航空で空路、シエラレオネのフリータウン/ルンギ空港へ。
 
KQ−502 アクラ     12:15⇒ルンギ空港   16:00
・・手続: 入国〜受託荷物〜通関を済ませ、出口へ。
*移動: 水上タクシーでルンギ空港からフリータウン/アバディーン埠頭へ。
*送迎: 専用車でアバディーン埠頭からホテルへ。
*夕食: ホテル
*宿泊: ザ・カントリー・ロッジ・コンプレックス(スーペリア部屋) または同等
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<04日目>01月22日(月)|02月05日(月)|02月19日(月)
■行程: フリータウン
*朝食: ホテル
*観光: 半日〜終日、奴隷貿易関連史跡の残るバンス島を観光します。
 ◎
バンス島 BUNCE ISLAND:
  フリータウン近郊、ロケ川の河口に浮かぶ
  米国のコリン・パウエル元国務長官もバンス島を訪れ、自分のルーツを感じるとの
  コメントを残しました。バンス島には奴隷貿易の時代の城塞、奴隷房などの遺跡や、
  入植者たちの墓地が残されています。ボートを利用するので、船上からの風景も
  お楽しみ頂けます。
*昼食: お弁当 または ローカル・レストラン
*観光: 午後、タクガマ・チンパンジー保護区を観光します。
 ◎
タクガマ・チンパンジー保護区 TACUGAMA CHIMPANZEE SANCTUARY:
  タクガマ・チンパンジー保護区は、内戦時代に棲み家を失ったチンパンジーたちを、
  保護しています。1995年(平成7年)に設立。脱走事件で有名になったブルーノは、
  ここで保護されていました。それぞれのグループの生活圏は巨大な網で覆われ、
  観光客はその網を通して、チンパンジーの姿を見ることができます。午前10時30分、
  午後4時から、観光客の見学時間帯が設けられています。
 ●
クリオ・ビレッジ KRIO VILLAGE:
  タクガマ・チンパンジー保護区の近くには、解放奴隷によって作られた集落があり、
  現在も古色蒼然とした木造家屋が点在しています。現在のフリータウンに最初の
  解放奴隷が入植したのは、18世紀後期の1787年(日本は天明7年。光格天皇の御代。
  江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の治世)で、カナダのノヴァスコシアや、カリブの
  ジャマイカから来た人が多かったそうです。築100年ぐらいの家屋もあるとか・・・
 ○
展望台 VIEW POINT of FREETOWN: 
  タクガマ・チンパンジー保護区は高台にあり、道中、フリータウンの市街地が見渡せる
  箇所を通ります。古くは西アフリカ最大の都市であった市街を俯瞰できます。
*夕食: ホテル
*宿泊: ザ・カントリー・ロッジ・コンプレックス(スーペリア部屋) または同等
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<05日目>01月23日(火)|02月06日(火)|02月20日(火)
■行程: フリータウン
*朝食: ホテル
*観光: 終日 バナナ島
 ◎バナナ諸島 BANANA ISLANDS:
  フリータウン半島の埠頭から小舟に乗り、バナナ諸島にある二つの主島のうち、
  ダブリン島を訪れ、上陸します。ダブリン島では奴隷貿易関連史跡(教会跡など)、
  入植者の遺跡、島民の家などをご覧頂きます。天候と時間が許せば、美しい砂浜で
  海水浴もお楽しみ頂けると思います。車窓からフリータウン半島の景観もお楽しみ
  頂けます。※
水着、タオル、ビーチサンダルをご用意下さい
 ※フリータウン半島の様々な景観の例
  ・・美しい砂浜のある
リバー・ナンバー・ツー・ビーチ RIVER NUMBER TWO BEACH
  ・・小さな漁船やバナナ諸島への渡し舟が停泊する
ケント村 KENT VILLAGE
*昼食: ダブリン島の食堂
*夕食: ホテル
*宿泊: ザ・カントリー・ロッジ・コンプレックス(スーペリア部屋) または同等
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<06日目>01月24日(水)|02月07日(水)|02月21日(水)
■行程: フリータウン→アバディーン埠頭〜ルンギ空港⇒モンロビア
*朝食: ホテル
*観光: 午前 フリータウン市内観光(専用車+英語ガイド)
 ○
聖ジョージ大聖堂 ST. GEORGE'S CATHEDRAL:
  1817年着工ー1828年竣工の、フリータウン最大にして荘厳な大聖堂です。
 ○
鉄道博物館 RAILWAY MUSEUM:
  シエラレオネには1974年まで鉄道が活躍していました。現在、鉄道博物館では、
  蒸気機関車、ディーゼル機関車など、かつての雄姿を見ることができます。
 ○
国立博物館 NATIONAL MUSEUM:
  解放奴隷が長い航海を終えてフリータウンに上陸してから現在までの歴史や、
  シエラレオネの諸民族の民俗に関する資料が展示されています。
 ○
聖ジョーンズ・マルーン ST. JOHN'S MAROON CHURCH:
  1820年(日本は文政3年。仁孝天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の
  治世)に建立されたフリータウン最古の教会です。国指定の史跡でもあります。
 ○
マーテロー塔 MARTELLO TOWER (フリータウンの真田丸?):
  1805年(日本は文化2年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の
  治世)に港をテムネ族から守るために築城された、防御のための出城
 ○
コットン・ツリー COTTON TREE:
  樹齢500年。万里の波濤を越え、フリータウンに上陸した解放奴隷が、一休みした
  といわれる、シエラレオネの建国神話の舞台です。撮影は、ガイドに聞いてから!
 ○
ソーントーン要塞 FORT THORNTON:
  1792年(日本は寛政4年。光格天皇の御代。江戸幕府第十一代将軍・徳川家斉の
  治世)に着工し、13年かけて完成した稜堡式要塞です。
*昼食: ローカル・レストラン
*買物: 時間が許せば、
民芸品市場で買物の時間をとります。
*夕食: ローカル・レストラン または 空港のカフェ
*送迎: 専用車でアバディーン埠頭へ。
*移動: 水上タクシーでアバディーン埠頭からルンギ空港へ。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: ケニア航空で空路、リベリアの首都モンロビア/ロバーツフィールド空港へ。
 KL−511 フリータウン  21:40⇒モンロビア   22:45
・・手続: ロバーツフィールド空港に到着。入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*送迎: 混載の送迎車で空港からホテルにご案内致します。
*宿泊: ロイヤル・グランド・ホテル(スタンダード部屋) または同等
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<07日目>01月25日(木)|02月08日(木)|02月22日(木)
■行程: モンロビア
*朝食: ホテル
*観光: 午後、モンロビア市内の観光(タクシーまたはホテルの車両を利用)
 ○
プロビデンス島 PROVIDENCE ISLAND: 
  解放奴隷上陸とリベリア独立の史跡。
 ○
プロビデント・バプティスト教会 PROVIDENT BAPTIST CHURCH : 
  リベリア最古の教会のひとつです。
 ○
100年祭パビリオン CENTENNIAL PAVILION
  歴代大統領就任式会場史跡。第19代大統領ウィリアム・タブマン(1895-1971) の
  墓所が隣接しています。
 ○
スナッパー・ヒル SNAPPER HILL : 
  モンロビアの市街地を見下ろす高台。
 ○
デュコール・パレス・ホテル跡 DUCOR PALACE HOTEL SITE: 
  内戦で廃墟と化したかつてのインターコンチネンタル系列の最高級ホテル跡。
 ○
キャピトル・ヒル CAPITOL HILL : 
  モンロビアを形成する半島部の中央に位置するキャピトル・ヒルは官庁街。
  政府機関は殆どここに集まっています。
 ○
テンプル会堂 TEMPLE OF JUSTICE : 
  官庁街にあるリベリアの国会議事堂。
 ○
国立博物館 NATIONAL MUSEUM: 
  リベリア独立前から現代までの史料を展示。
  解放奴隷の子孫アメリコ・ライベリアンの遺物や古銭、国旗などもあります。
 ○
アフリカン・アートセンター AFRICAN ARTS CENTER: 
  リベリアの芸術家の作品が展示、即売されています。
  モンロビアの新しい町おこしのかたちです。
 ○
メイソニック寺院跡 The RUIN OF MASONIC TEMPLE : 
  内戦で廃墟と化した、リベリアにおけるフリーメイソンの拠点の史跡です。
  一部修復されています。
 ○
郵便局 POST OFFICE: 
  リベリアの珍しい切手が買えるかもしれません。
 ○
両替商 FOREX BUREAUS: 
  雑居ビルのフロアの奥や、市場の奥で営業。まるで秘密結社?いえいえ、正規の
  両替商です。
*昼食: ホテル または ローカル・レストラン
*観光: 午後、モンロビア郊外を観光します。
 ○
マンバ・ポイント MAMBA POINT: 
  モンロビアにある大西洋の白砂のビーチ。
 ○
シンカーズ・ビーチ THINKERS BEACH : 
  内外の観光客に人気があるビーチ。
 ○
ブロ・デグボ BLO DEGBO: 
  リベリアが最近、観光地として紹介しています。
  人面岩として、知る人ぞ知る奇岩怪石のひとつです。
*夕食: ホテル
*宿泊: ロイヤル・グランド・ホテル(スタンダード部屋) または同等
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<08日目>01月26日(金)|02月09日(金)|02月23日(金)
■行程: モンロビア/ロバーツフィールド空港⇒アクラ
*朝食: ホテル
*観光: 午前 モンロビア市内ミニ観光にご案内致します。
 ○ウォーターサイド市場 WATERSIDE MARKET:
  食品や雑貨、衣料品などが売らている大きな市場。
 ○民芸品店 HANDICRAFT SHOP(S):
  リベリアや周辺国の仮面や木彫り製品、民芸品などが買えます。
 ○バスケット工房またはバスケット展示即売所 BASKET WEAVER / VENDER
  空港への街道沿い等に点在するバスケットの露店をのぞいてみましょう。。
*昼食: お弁当 または ローカル食堂 または 空港のスナック
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: ケニア航空で空路、アクラへ(
経由地フリータウンで乗換または便名変更があります
 KQ−502 モンロビア   15:10⇒フリータウン  16:00
 KQ−503 フリータウン  17:10⇒アクラ     19:40
・・手続: 入国〜受託荷物引取〜通関を済ませ、出口へ。
*送迎: 専用車で空港からホテルにご案内致します。
*夕食: ホテル
*宿泊: アフィア・ビーチ・ホテル(スタンダード部屋)または同等
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<09日目>01月27日(土)|02月10日(土)|02月24日(土)
■行程: アクラ⇒
*朝食: ホテル
*観光: 到着後、アクラを観光します。
 ○
灯台 The LIGHTHOUSE: 古都ジェームズタウンの近くにある植民地時代の灯台
 ○
ジェームズタウン JAMESTOWN: 最初の郵便局跡/最初の宿屋跡/商館跡があります。
 ○
ウッシャー砦 USSHER FORT: イギリスによって建てられたジェームズタウンの防禦砦
*昼食: ローカル・レストラン
*送迎: 専用車で空港にお送り致します。
・・手続: 搭乗手続〜安全検査/出国
※移動: エミレーツ航空で空路、ドバイへ。
 EK−788 アクラ     18:30⇒ドバイ     05:50 翌日
・・宿泊: 機内泊
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<10日目>01月28日(日)|02月11日(日)|02月25日(日)
■行程: ⇒ドバイ⇒羽田空港
・・手続: 安全検査
※移動: エミレーツ航空で空路、羽田空港へ。
 EK−312 ドバイ     08:35⇒羽田空港    22:45
・・帰国
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※内容は予告なく変更になる場合もあります。
※この旅行は手配旅行となります。
 

 2018年01月19日(金)|02月02日(金)|02月16日(金) 成田空港を出発。
 添乗員が同行し、お世話致します。



<最少催行人数 :1名から催行。添乗付きのみ>

人数 ご旅行代金 航空券代 合計
01名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
02名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
03名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
04名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
05名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
06名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
07名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
08名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
09名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
10名様でご参加の場合 お問い合わせ下さい 旅行代金に含まれます お問い合わせ下さい
  お一人部屋追加料金 お問い合わせ下さい


●お申込期間:出発1か月前まで



●ご旅行代金には下記のものが含まれます*
 *宿泊: 下記のホテル または同等クラスのスタンダード部屋
  ・・アクラ: アフィア・ビーチ・ホテル(スタンダード部屋) または同等
  ・・フリータウン: ザ・カントリー・ロッジ・コンプレックス(スーペリア部屋) または同等
  ・・モンロビア: ロイヤル・グランド・ホテル(スタンダード部屋) または同等
 *食事: 朝食7回/昼食7回/夕食7回
 *交通: 下記の車両/船舶を利用します。
   ・・リベリア: 送迎/観光ともに混載車(燃料代込)
   ・・シエラレオネ: 送迎/観光ともに混載車(燃料代込)
    船舶: 水上タクシー空港送迎/バンス島観光のボート/バナナ島観光の渡し舟
 *航空: 日本⇒リベリア⇒シエラレオネ⇒日本 航空券(税・燃油代込)
 *案内: リベリア、シエラレオネ、ガーナいずれも英語ガイド兼運転手がご案内致します。
 *観光: 入場箇所の入場料/拝観料
 *税金: 宿泊税/観光税
 *添乗: 添乗員の交通費/宿泊費/食費/観光同道経費/査証代/現地での通信費


●ご旅行代金に含まれないもの
 x 通信費: 現地でご利用になる通信費(電話/FAX/ネット)利用費用
 x 飲食代: 明記されない食事代/飲物代/お部屋のミニバーやルーム・サービス
 x 個人費: 洗濯代/ホテルや観光施設の有料サービス・施設使用料
 x 観光費: オプショナル・ツアー
 x 経由地: 経由地での諸経費
 x チップ: ガイドや運転手へのチップ/ホテルの枕銭
 x 渡航費: 旅券(パスポート)申請/更新/査証欄増補などの費用
 x 査証代: ガーナ査証代金/シエラレオネ査証代金/リベリア査証代金


●旅券(パスポート)/査証(ビザ):
 ・・旅券(パスポート):
   ・帰国日の翌日から起算して6カ月以上の残存有効期間
   ・未使用の査証欄が左ページから連続2頁(見開き1頁)x3カ国分

 ・・査証(ビザ): リベリア/シエラレオネの観光査証が必要です。

 【シエラレオネ】 日本で申請し、空港到着時に取得します。
  <必要書類>
   @上記の条件を満たす旅券
   A実費US$180.00/申請手数料10,800円

 【リベリア】
  <必要書類>
   @上記の条件を満たす旅券
   A証明写真 縦4.5cmx横3.5cm 2枚(背景は白の無地。無帽)
   B英文銀行残高証明書
   C会社推薦状または登記簿の写し ⇒ これについてはお問い合わせ下さい。
    ・会社員=会社推薦状/自営業=定款/無職・学生=身元保証書
   D黄熱予防接種証明書
   E実費8,000円+手数料10,800円
   ※査証申請要綱は複雑なので、お申込時、ご説明致します。
   ※査証事情は流動的です。必ず、お問合せ時に、最新情報をお伝え致します。

 【ガーナ】
  <必要書類>
   @パスポート: 査証申請時に6カ月以上の残存有効期間と、見開き1頁の未使用査証欄
   A証明写真: 縦4.5cmx横3.5cm 4枚 カラー 正面上半身・無帽・背景は無地
   B申請書: 2枚。ダウンロードが必要。署名欄にパスポートと同じサイン
    1枚作製し、残り1枚はコピーでも可能。但し、サインは全て直筆。
   C個人履歴用紙: 2枚。必要事項は英文で記入すること。
    1枚作製し、残り1枚はコピーでも可能。但し、サインは全て直筆。
   D渡航目的と訪問予定地を説明した英文のレター 2枚
   E往復航空券のコピー 2枚
    1枚作製し、残り1枚はコピーでも可能。但し、サインは全て直筆。
   F黄熱予防接種証明書
   G実費9,440円+代行手数料8,640円






電話でのお問合せは 080−5028−6007 まで

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・・・店長のシエラレオネの思い出・・・

1993年の12月15日。ギニアのコナクリーからの乗り合いタクシーで、陸路国境を越え、フリータウンにたどり着いたのは翌日の早朝。当時シエラレオネは夜間外出禁止令が発令されていて、夜9時から朝の6時までは車で移動することもできませんでした。フリータウンについて真っ先に向かったのは、ロンリープラネットにも載っていた古びた木造の宿シティホテルでした。そこのおじいさんが昔日本の漁船で働いていたということで、記憶を辿りながら、日本語でいろいろ話しかけてくれたのは驚き。思えば、シエラレオネで日本語を話すなんてまず普通では考えられないですよね。これが第一の驚き。
第二の驚きは、コットンツリーの周りを歩き回っていたとき、憲兵に検挙されたことです。通常アフリカでこういう状況に陥ると、賄賂をせびりまくられるのがオチですが、憲兵たちは「政府関係の建物の周りをうろついてるとスパイと間違えられるよ!」とか、日本のことをいろいろ聞かれたり、アフリカ放浪の旅を顛末を聞かれたり、シエラレオネの国内ではどこそこが危ないから行ってはいけないとか、どこの店のぶっ掛けご飯はおいしいとか、両替をするならレートのいい銀行を教えてあげる、今晩サッカーの試合があるので一緒に観戦しようとか・・・・・いままでのアフリカの官憲のイメージが崩れ去ってしまうような、不思議で暖かい時間を過ごしました。一銭もせびられるわけでもなく、おみやげを要求されるわけでもなく、仲良くなった1人の憲兵が市内の案内役まで買って出てくれました。
あれから不幸な内乱の業火にたたきこまれたシエラレオネであの親切な人たちがどうなったか知る由もありませんが、もし今回ご縁があって皆様とご一緒にフリータウンに行くことができたら、あの気のいい親切な友達の消息を聞いてみたいと思います。


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・・・店長のリベリアの思い出

2000年の9月。
内戦後、初めてリベリアに行った。
以前行ったときとは、政体も、何もかもが違う、いわば、新しい国に行くようなものだ。

リベリアに入国するためにはビザを取らなければならない。
日本にはリベリア大使館がある。
当然、日本人はそこでビザを取らなくてはならない。
訪れたリベリア大使館は、マンションの一室だった。
インターホンを押すと、地域住民のように着飾らない、気さくな大使が出迎えてくれた。
『こんにちは。リベリアに行きますか?』と、そのあとは英語での会話になった。
必要書類を提出、代金を払うと、『ちょっとまってください』といわれた。
大使はビザ発給を始め、10分ほどでビザができた。
頂いた麦茶と、近所から聞こえてくる風鈴の音が、ここが大使館だという事を忘れさせた。
まるで親戚の家に遊びに行ったような感覚がいつまでも残った。

アビジャンからモンロビアへの航空券は日本で購入した。
が、帰りの航空券は日本では買えず、当時流行りつつあったネットを使い、買い方を調べた。
モンロビア⇒アビジャンの便を持つのはウエワスア航空だという。
そしてその航空会社のオフィスは、アビジャンの空港の一画にあることがわかった。
アビジャンに到着するや、ウエワスア航空のオフィスに直行し、帰りの便を購入した。
そこのマネージャーさんは、駄菓子屋さんのおっちゃんのようなイメージだった。
カバンからノートを出し、運航スケジュールを見せ、どれにする?と聞いてくれた。
3日後のフライトを指差し、これを下さい、というと、手書きでチケットを発券してくれた。
「どこに泊まっているの?」「イビスです。」「何かあったら連絡するね」そんな会話をした。
翌日、空港にはあの、駄菓子屋のおっちゃんのようなマネージャーさんが改札をしてくれた。

リベリアに15年ぶりに入国したが、入国管理官が私服だったのには驚いた。
何か聞かれるでもなく、スタンプを押され、パスポートが戻された。
そのあと、荷物をピックアップして、税関を抜けたが、拍子抜けするほど、簡単だった。
出口を出ると、タクシーの運転手が、これにのりなよ!と声をかけてくる。
いちばん、商売っ気のない運転手さんに、モンロビアに連れて行ってもらった。
ホリデイ・インというホテル(あのチェーンではない)に泊まると、定額だけ受け取った。
「帰りも乗ってくれますか?」 アフリカ人には珍しい、口数の少ない、好男子だった。
ホリデイ・インは、博物館や、商店街に近く、観光には一番便利な立地だったと思う。
おっそろしく高いレストランがあるほか、何の変哲もないホテルだったが、みな親切だった。
ただ、リベリアの英語は聞きづらい。相手の親切が伝わるのに時間のかかる国だった。

廃墟が、あちこちにあり、夜になると、その中で灯りがゆらゆらと揺れている。
ホテルの従業員に、「あの灯りは何ですか?」と聞いた。
「ああ、あれは、田舎からモンロビアに出てきた人たちが勝手に住んでいるんです」という。
「あの人たちは、田舎には帰らないんですか?」と聞く。
「帰ろうにも、帰るお金がありません。だからお金が貯まるまで、あそこで暮らすんです。」
内戦の悲惨さは、内戦が終わった段階ではまだ終わっていないのだ。
翌日、その廃墟の前を通ったが、なるほど、あちこちに洗濯ものが干してある。
「Japan!こにちわ!」 廃墟から声が降ってきた。
見上げると、そこには・・・
たいへんな状況に置かれながらたくましくその日を生きる人たちの満面の笑みがあった。

帰りのウエワスア航空は、小型プロペラ・ジェット機で、定刻に出発した。
アフリカ最大級の熱帯雨林や蛇行するカフェオレ色の川の景観の上をゆっくりと飛んだ。
2泊3日で、モンロビアと近郊にしか行かれなかったが、この国は深く、印象に残った。