■アラビア半島の旅 アラブ首長国連邦■ アラブ首長国連邦を見尽くす/遊び尽くす 観光&行楽つきツアー ありそうでなかった、アラブ首長国連邦の観光コース! アラブ首長国連邦は、7つの首長国がひとつになった連邦国家です。 今回お届けするのは、ドバイを基点に、7つの首長国を全て観るコースです。 砂漠でのアクティビティやバーベキューやベリーダンス鑑賞など、定番プランも含まれます。 また、ハッタやアル・アイン、東海岸、西海岸など、田舎の風景もご堪能頂けます。 <観光のみどころ> アラブ首長国連邦には、魅力的な近未来都市もあれば、癒される古い時代の建物が残る アラビアン・ナイトを彷彿とさせるヘリテージ・エリアもあります。 まずは7つの首長国について簡単にご説明します。 ドバイ: アラブ首長国連邦を構成するドバイ首長国の主都で、連邦の第二の都市です。 中東でも屈指の世界都市であり、金融都市でもあり、観光都市でもあります。 ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム首長が治める絶対君主制。 同首長は、アラブ首長国連邦副大統領と首相を務めています。1830年代に アブダビからバニー=ヤース部族のマクトゥーム家が移住するまでは、漁業や 真珠採集を生業とする人々が住む静かな漁村でした。マクトゥーム家の移住に より、ドバイでは首長の治める国としての歴史が始まりました。1853年に は他の首長国と同時にイギリス保護国となりました。1966年、ドバイ沖で 海底油田が発見されたのを契機にこの国の発展が始まりました。1971年に イギリス軍の撤退に伴い、12月2日に他の6首長国と共に、独立しました。 湾岸諸国では早くに観光開発がなされ、世界有数の観光立国になっています。 ハッタ: ハッタは、アラブ首長国連邦と、オマーンとの国境に位置する小さな山村です。 町の北部はアラブ首長国連邦ドバイ首長国の飛地で、東/南/西の三方を隣国 オマーンに囲まれています。山々に囲まれたオアシスの村ですが、風光明媚で 訪れる人も増えてきています。ここには貼った・ヘリテージ・ビレッジがあり、 古い時代のアラビアの山村のライフスタイルを見学することができます。 砂漠のアクティビティ/キャンプ: ドバイに来たら、絶対に外したくないのが砂漠のアクティビティ/キャンプで、 ドバイを訪れる観光客は、殆どこのアクティビティに参加します。博物館や、 ヘリテージ・ビレッジでは体感することのできない、水タバコやヘンナ、料理、 ラクダ試乗、ベリーダンス鑑賞などお楽しみ頂けます。ベドウィン・テントを 模した砂漠のキャンプ地で、アラビアン・ナイトの世界をぜひ、ご堪能下さい。 アブダビ: アラブ首長国連邦を構成し、同連邦の盟主的立場にあるのがアブダビ首長国、 アラブ首長国連邦の7つの首長国のうち、面積も、人口も、経済も最大です。 アブダビの首長はハリーファ・ビン=ザイード・アール=ナヒヤーンで、連邦 大統領の地位にあります。ドバイのマクトゥーム家とはかつては一族でした。 アブダビは3世紀頃から遊牧民と漁民が住みつき、18世紀までは漁業や真珠 採集が生業でした。18世紀バニー=ヤース部族のナヒヤーン家が首長として 統治を開始(19世紀に同族マクトゥーム家がドバイ首長国を建国)しました。 1853年にイギリス保護国に。1958年に石油発見。当初、石油の価値は 重視されず60年代末まで石油産業は伸びませんでした。イギリスが撤退した 1971年に他の6カ国と共にアラブ首長国連邦として独立。以降、産油国と して躍進を果たします。近年は観光事業にも力を入れ、ドバイと競っています。 アル・アイン: アル・アインは“泉”という意味のオアシスです。アブダビ首長国の一都市で、 ドバイから簡単にアクセスできます。この地区は歴史が古く、紀元前3000 年頃に築かれた古墳が出土しており、ヒリ・ガーデンズにはそのうちの一基が、 保存されています。貴重な歴史的地区として世界文化遺産に登録されています。 また、郊外のハフィート山の麓では紀元前4000年の遺跡も発掘されました。 フジャイラ: アラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうち、ペルシア湾岸に領土のない 唯一の首長国です。首長はハマド・ビン・ムハンマド・アッ=シャルキーです。 ペルシア湾岸には面していませんが、オマーン湾には面しており、主都である フジャイラ市には名港フジャイラ港があります。国土の西側は砂漠地帯、山岳 地帯となっており、荒涼とした風景が広がっています。海に砂漠に山岳地帯、 さまざまな地形を楽しむことのできるこの首長国は、連邦で随一の風光明媚な 国として、観光客に親しまれています。オマーン湾に面した地域には、幾つか のリゾート・ホテルが建ち、東海岸ツアーはアラブ首長国連邦の観光の目玉の 一つになっています。フジャイラ首長国の主都はフジャイラで、静かな街です。 町の中には小高い丘があり、その頂上に堅固で美しいフジャイラ砦が築かれて います。地域としての歴史は古く、ビトナには古代のT型の古墳があります。 シャルジャ(シャールジャ): アラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうち、ペルシア湾とオマーン湾に またがる唯一の首長国です。オマーン湾に面した東海岸の3つの領地〜カルバ、 ホール・ファカン、ディッバは、いずれも飛地です。首長はスルタン・ビン・ ムハンマド・アル=カースィミー。シャルジャは、アラブ首長国連邦の中で、 最も古くから栄えた土地です。もともとはオマーンにいたアル=カースィミー 一族は、オマーンからイランの海岸部に移動し、そこをイランによって追われ、 シャルジャに辿りつきました。アル=カースィミー一族はシャルジャで勢力を 確立し、1727年に独立を宣言しました。1853年にイギリスの保護領に。 1971年にはイギリスが撤退し、シャルジャはアラブ首長国連邦に参加表明。 石油に頼れない事情から、商業と観光に力を入れています。尚、イスラム教の 戒律が厳しく、首長国内では一切の酒類の販売や、海での肌の露出も禁止です。 アジュマーン: アラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうち、もっとも小さな首長国です。 首長はフマイド・ビン・ラーシド・アン=ヌアイミーです。シャルジャ首長国 主都シャルジャからは10kmに位置しているため、時折シャルジャの一部と 間違えられます。ペルシャ湾に面しており、残りの周囲はフジャイラ首長国に 囲まれています。石油産業で栄えるアブダビ、石油産業と観光業で“ドバイ・ ショック”を克服しつつあるドバイ、商業センターとしてアブダビとドバイに 連なるシャルジャとは異なり、持続する歴史の中で静かな首長国であることを 続けているアジュマーンも、れっきとした首長国で、アラブ首長国連邦成立の 前には、アジュマーン首長国発行のパスポートもあったくらいです。現在は、 漁業と観光に頼っており、修復された美しいアジュマーン・フォート(塞)は 同首長国随一の見どころとなっています。王子は広島に留学経験があります。 ウム・アル=カイワイン: アラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうち、二番目に小さい首長国です。 首長はサウード・ビン・ラーシド・アル=ムアッラー。この国には高い建物や 近未来的な観光地も、リゾート・ホテルもなく、どこかほっとする癒しの国と 言われています。都市開発とは無縁の地方の首長国であったためか、海岸線は 美しく、昔ながらの漁業や真珠採取が日常的に行われています。国の中心は、 小さな半島にあるウム・アル=カイワイン市で、首長の王宮や、政庁、市場、 図書館などがあります。1768年に築城された城塞が残っていますが、現在、 博物館としてウム・アル=カイワインや、アル=ムアッラー家の歴史や生活に 関する展示品を見ることができます。ウム・アル=カイワインは海に面した国。 その国を防護するために築かれたのはウム・アル=カイワイン砦だけではなく、 高さ3m近い防壁が、アラビア湾に沿って、約300mほど築かれています。 ラス・アル・ハイマ: アラブ首長国連邦を構成する7つの首長国のうち、北東端に位置しています。 北部は隣国オマーンの飛地である、風光明媚なムサンダム半島に接しています。 首長はサウード・ビン・サクル・アル=カースィミー。ラス・アル・ハイマの 国名は“テントの先端”に由来しています。石油産業や観光産業で栄えている アブダビやドバイとは異なり、静かな雰囲気の首長国です。7世紀頃までは、 海のシルクロードの中継点とし、現在のインドや中国との海上交易の中継点の 役割を果たしていたと言われています。バスコ・ダ・ガマの水先案内人として 名を残したアフメッド・ビン・マジットは、主都ラス・アル・ハイマ出身です。 アル・カシム家によって統治されたラス・アル・ハイマ首長国は、海を制する 国として知られるようになり、19世紀のはじめには大艦隊を組織し、交易で 栄えたと言われています。今では国内最古の伝統建築が残る静かな観光地です。